はっきりと言えないまま、だらだらとここまで来てしまった。 告げることもできなくて、突き放すこともできない。 拘わらないと決めていたのに、ぬるま湯のような環境にいつしか心地よさを覚えて。 傍にいる資格なんてないのに、笑ってくれるのが嬉しくて。 こうなるはずじゃなかったのに、自分を甘やかし続けてる。 だけど、このままじゃ駄目なんだ。 ただひとつ確かなことは、俺は必ずあいつを傷つけるということだけ。 I just wanna be with you 「飛影さん、こんにちは!」 俺の姿を見つけて嬉しそうに笑う。 なにがそんなに嬉しいのか。 大袈裟だ、といつも思う。 「今日はあったかいですね」 「…ああ」 「? どうかされました?」 「……」 会うたびに、今日こそ言おうと思う。 もう会わないと告げようと。 だけどいつもタイミングを失って、言えないままでいる。 それは、なんの未練なのか。 幸せにできないと知っているのに。 名乗ることはない。 その気持ちに変わりはない。 これからも、きっと。 なのになぜ、俺は雪菜と会っているのか。 なんのために、会っているのか。 名乗るつもりもないくせに、なにを期待しているのか。 「…しばらく、人間界には来ない」 「え…?」 「お前にも会わない」 「…パトロールお忙しいんですか…?」 「いや…」 俺の言葉に、雪菜は判然としないような顔をした。 伝わらない意図に、また揺らぎそうになる。 でも、もう決めたんだ。 「お前には、もう会わない」 「…!」 「だからここにはもう来ない」 「……」 雪菜は目を見開いたまま俺を凝視した。 信じられない。 そんな顔をしている。 変わっていく雪菜の顔を見ていられなくて、俺は目を逸らした。 「…ごめんなさい…」 「……どうしてお前が謝る」 「だって…私がなにか怒らせるようなことしたから、飛影さんもう来ないって…」 「違う。そうじゃない」 「…嘘です…飛影さん優しいから…。…ごめんなさい」 「だから、お前のせいじゃない」 「……」 「お前は悪くない」 「…だったら、どうして…?」 「……」 「どうしてですか…っ!」 雪菜が声を荒げた。 泣きそうな瞳で俺を見ているのが、視線を逸らしたままでもわかる。 どうして? それは俺が訊きたい。 どうしてお前は、そんなことで泣く? 俺みたいな奴ともう会わなくて済むんだ。 いっそ、せいせいするような、そんな顔してくれ。 「もう会わないなんて言われても…納得できません…」 「……」 「そんな哀しいこと言わないでください…」 華奢な手で服を握りしめて、雪菜はそう言った。 こんな姿を見たくないんだ。 傍にいたら、きっとこんなふうに哀しませることばかりしてしまう。 だから、俺は傍にいるべきじゃない。 「…俺は、きっとお前を傷つける」 「…!」 「俺といたって幸せにはなれない」 「……」 「俺は、なにかを大事にはできない」 「…だからですか…?」 「……」 「飛影さんの言ってることが私にはわかりません…」 「雪菜」 「そんなの、わかりません…!」 雪菜はそう吐き捨てて、俺を見据えた。 一途な真紅の瞳が、こっちを見ている。 「飛影さんに傷つけられたことなんて一度もありません」 「まだ、だろ?」 「…!」 「俺はなんでも利用する。そんな奴だ」 「嘘です…そんなの」 「今までだってそうしてきた。生まれてからずっとそうしてきた」 「嘘です! 飛影さんは…そんな人じゃありません…!」 「…お前になにがわかる?」 「……」 「お前に俺のなにがわかる?」 どれだけ狡く生きてきたのか。 どれだけ残酷なことをしてきたのか。 どれだけの血を見て、どれだけの命を奪ってきたのか。 お前は知らないんだろう? なにも知らないんだろう? いつかお前を傷つけるかもしれないだなんて、考えたこともないんだろう? これ以上、お前の中で俺を美化するのはやめてくれ。 そんなに立派じゃないんだ。 お前が思ってるほどすごくなんてないんだ。 「…飛影さんは優しい方です」 「……」 「少なくとも、私にとってはずっと…」 「やめろ」 「…!」 「それはただのお前の勝手な理想だ。幻想だ」 「……でも、私の印象です」 「……」 「飛影さんはそう思ってなくても…実際にそうじゃなくても、私にとっては優しい方なんです…」 「…ずいぶんと勝手な話だな」 「…すみません…」 申し訳なさそうにそう言いながら、それでも雪菜の言葉は続いた。 「飛影さんが私を傷つけるだなんて考えられません」 「……」 「だから、会わないだなんて言わないでください…」 「…わかれ」 「無理です…!」 「俺は、お前を傷つけたくないんだ」 「…!」 「わかれよ…」 「……」 いつも笑っていてほしい人がいる。 幸せでいてほしい人がいる。 だから、自分が傷つけるわけにはいかないんだ。 俺が壊してしまうわけにはいかないんだ。 忌み子の俺が、誰かを幸せになんてできるはずがない。 まして、お前を、幸せになんてできるはずがない。 奪うことしか知らないんだ。 傷つけることしか知らないんだ。 離れることでしか、大切にできない。 「…だったら、幸せなんていりません」 「…! 雪菜!」 「幸せってなんなんですか? 大切な人と一緒にいることじゃないんですか?」 「……」 「飛影さんが私を幸せにできないというのなら、私は幸せなんていりません」 「…なに言ってるんだ」 「飛影さんがいないのに、幸せになんてなれません…」 「!」 なにを、言ってるんだ。 幻聴なのかと思わせるほど、信じられない言葉。 ありえない。 そんなことはありえない。 俺の頭は、必死で雪菜の言葉を否定した。 目に涙をためて、真紅の瞳が俺を見ている。 俺を捕らえて離さない。 瞳を濡らしていても、揺るがない強い瞳。 ああ、なぜ俺は、雪菜を泣かせてばかりいるのだろう。 「…たとえ傷ついても、飛影さんといたいんです…」 「……」 「一緒にいたい…!」 「……」 「…それは、駄目ですか?」 「……」 返す言葉が出てこない。 すべてを失ってしまったかのように思考が働かなかった。 なにか言おうとして、すべての言葉が素通りしていく。 傍にいれば必ず傷つけるのに、離れると決めても、俺はお前を傷つけるのか。 どちらがましか、だなんて考えている自分が酷く滑稽に思えた。 考える必要なんて、迷う必要なんてないはずなのに。 傍にいないと決めたじゃないか。 離れると決心したはずじゃないか。 なのに、こんなにも迷うだなんて。 本当は、俺の中で答えはもう決まっていたのかも知れない。 望みが、あったのかもしれない。 「…なんでお前はそうなんだ」 「え…?」 「どうしてそう聞き分けがないんだ」 「…ごめんなさい…」 「そうやって謝るくせに我は通すんだな」 「…! …ごめんなさい…」 「…でも、そうだな。そういうところが気に入ってるのかもしれない」 「!」 「俺は、多分…こうやってまたお前を泣かす」 「……」 「…それでも、いいのか?」 「…はい…」 「何度傷つけるかわからんぞ」 「それでも…平気です…」 「……物好きだな」 そう俺が言うと、雪菜は涙を流しながら笑った。 瞳からあとからあとから止めどなく雫が溢れ出す。 それをどうしたらいいのか俺にはわからなかった。 「俺にはなにもできない」 「……」 「泣いてるお前を慰める方法も知らない」 「…飛影さん…」 「…こういうとき、どうしたらいい?」 泣かないでくれ、と祈ることしかできない。 だけど、それは、あまりにも滑稽で。無力で。 俺は、お前のためになにができる? 「傍に…いてください」 「…!」 「それだけで、十分です」 「…それは、慰めたことになるのか?」 「はい、もちろん」 「…そうか」 「泣きやむまで、傍にいてください」 「…ああ」 傍にいることしかできない。 だけど、本当は、そうではなくて。 傍にいることができる。 それで、十分なんだ。 優しくはないから、ぶっきらぼうな物言いしかできなくて。 器用ではないから、気の利いた言動もできなくて。 素直ではないから、想いを言葉にすることはできなくて。 そんな俺は、たくさんたくさんお前を傷つける。 お前はそんな素振りは見せなくても、きっと哀しませる。 だけど、それでも、傍にいてほしいとお前は言った。 こんな俺に、傍にいてほしいと言ってくれた。 傷ついても、いいのだと。 幸せになれなくても、それでもいいのだと。 泣きながら、そう言ってくれた。 だから、俺もいたいと思った。 何度哀しげな顔をさせても。 何度そんな顔を見たくないと思っても。 己の無力さを痛感しても。 自分を、情けないと思っても。 それでも、傍にいたいと思った。 雪菜を傷つけたくなくて、そんな雪菜を見て自分が傷つきたくなくて。 でも、それで離れてしまっては、結局お互いが傷つくだけで。 無力でも、愚かでも、本当は傍にいたいんだ。 「会わないなんて飛影さんが言わなかったら、私が傷つくことはないです」 「…!」 「もうそんなことは言わないでください」 「……」 「そしたら私は幸せになれます」 「…そんな簡単じゃないだろう」 「簡単ですよ」 雪菜は俺を見て笑った。 花のような笑顔だと思った。 「私の幸せは、飛影さんと一緒にいることなんですよ」 「!」 「だから私は、ずっと前からもう幸せです」 「雪菜…」 「幸せになれないんじゃなくて、私はもう十分幸せなんですよ?」 その言葉を聞いた瞬間に、気づけば俺は雪菜に手を伸ばしていた。 この込み上げてくる想いはなんなのだろう? 突き動かされる衝動はなんなのだろう? なぜ、こんなにも、愛しい。 名乗らないとそう決めて。 見守り続けるとそう誓って。 それは、大事にできないことを知っていたから。 だけど。 俺はなにも知らないから。 なにも手に入らないのだと思っていた。 なにかを得ることなんてできないのだと思っていた。 愛情も、友情も、希望も、夢も。 なにひとつ手に入れることなんてできないのだと思っていた。 でも、今目の前にあるのは。 今手にしているのは。 感じたこともないようなあたたかさと愛おしさ。 知らなかったはずの感情が、今ここにある。 一緒にいることが幸せだとそう言った。 もう幸せなのだとそう言った。 はっきりと、曇りもなく。 その言葉に俺は、自分の中の答えを見つけた気がした。 長い長い時間の中で、ようやく得た答え。 それを、見つけた気がしたんだ。 「俺も、多分…」 お前といると幸せなんだ。 ----------------------------------------- 飛影は自分の好きなように生きるタイプだけど、雪菜ちゃんに対しては後ろ向きだと思います。 明るくて真っ直ぐな雪菜ちゃんを見て、自分は相応しくないって考えてしまうと思う。 だから、本当は傍にいたいけど、名乗ることはしないし、近づくこともできない。 雪菜ちゃんの存在に魅かれるものの、これ以上近づいちゃいけないと思って離れようとして。 だけど、雪菜ちゃんはそんなことはしてほしくなくて。 結局、雪菜ちゃんに甘い飛影は逆らうことができずに傍にいると思います(笑) 飛影が、雪菜ちゃんにとっての自分の価値を理解するのはもう少し先の話なんでしょうね、きっと。 2008*0501 戻 |