4.

今までひたすら隠し続けてきた重い過去の蓋が開いてしまったとき。
私が抑えきれない気持ちを吐き出してしまったとき。

誰かが傍にいてくれるの?


…そんなの、愚問だ。



*



蔵馬は耳を疑った。
滅ぼしてほしい。
そんな想いで兄を探していた…? そのために?

氷河の国がどんな国かは知っているし、
忌み子が国を滅ぼす厄災だと言われていることも知っている。
忌み子と一緒に生まれてきた彼女が、良い扱いを受けていなかったであろうことも想像できる。
だから、彼女がまだ見ぬ兄にそんな願望を持っていたとしても、おかしくないのかもしれない。
だって、彼女は兄が誰か知らない。

でも、自分は知っている。
兄が誰で、どんな想いで妹を探していたのか。

そんな兄に今の言葉は酷かもしれない。
そして、彼と共有してきたものが多い自分にとっても。



「…最低でしょう?」
「…確かに、驚きました。でも、それだけじゃないんでしょう?」
「……」
「お兄さんへの気持ちは」
「……!」
「だったら、幻滅はしませんよ」

苦しんでるのが伝わってくる。
悩んでるのが見てわかる。
そんな彼女を、誰が幻滅などするだろうか。

「…お兄さんに会いたい?」
「……今はまだ、ダメです…」
「まだ、滅ぼしてほしいと思ってるから…?」
「………まだ、私が私を許せないから…」
「難しく考えすぎですよ」
「…だって…だって兄は、私のことなんていらないかもしれない…!」

傷ついた少女の、真紅の瞳が揺れる。

「会いたくなんて…ないかもしれない。兄は私を、探してなんかないかもしれない…」



大きな誤解が生まれていても、蔵馬は真実を伝えられなかった。
自分が伝えてはいけないと思った。

目の前の少女が、どれだけ傷ついているのかを知ってしまっても。



「私が兄に会いたいのは、私がただ淋しいだけで。私の、ためだけで…。
 だって、そんなのズルイでしょう…?
 初めは滅ぼしてほしいと思ってて、その次は、自分が淋しいからだなんて…
 そんなの、勝手すぎます…」
「雪菜ちゃん…」
「だから、探さないんです」
「…いいの? それで」

返事はなかった。
ただ彼女は、何かに耐えるようにうつむいていた。

「…雪菜ちゃん、これだけは覚えておいて」
「……」
「一番悪いことは、考えすぎて動けなくなること、ですよ」
「……」
「家族に会いたいだけなのに、どうして難しく考えるんですか。
 理由なんて、ただ“会いたい”それだけでいいんですよ」

雪菜の瞳は、蔵馬を見上げた。

「たとえどんな理由であったとしても、会えば変わりますよ」

あなたの兄が、そうであったように。

「大切なのは、会いたいという“気持ち”と、会いたいという“理由”ですよ」
「……そう、なんでしょうか…」


“会いたい”だけで、会ってもいいの?

それは、許される?



ひときわ大きな波が砂浜を襲う。
波が砂をかき乱し、さらってゆく。
それを何度も繰り返す。

雄大な青い青いこの海は、日が傾き始めても、まだ、雪菜にとっては眩しすぎるものだった。
いつか自分がこの波に飲み込まれていくのではないかという感覚に陥った。



蔵馬はただ、目の前の少女の脆さを痛感していた。

彼女には何もないのだ。
兄という存在以外に執着するものが。

孤独を背負って生まれてきた彼女は、ひとりであることが当たり前で。
それが“普通”だと生きてきた。
頼れるものなどなかった。
故郷にそんな存在がいたのであれば、たとえ疎ましく思っている故郷であっても帰っただろう。

けれど今、ここにいる少女は、ひとりではない環境に身を置いてしまった。
今までひとりでしてきたことが、ひとりじゃなくなる。
誰かを求め始める。


そして、気づいてしまったのだ。
自分の心の穴に。

自分は、淋しいのだと。


生ぬるい環境を受け入れることも拒絶することも出来ずに、揺れている。



雪菜は過去の痛みを清算できていない。
傷を抱えたそのままで、ここまで来てしまったのだ。
過去に重い蓋をして。

だって彼女には、慰めてくれる人などいなくて。
想いを聞いてくれる人などいなくて。
本音を話せる人などいなくて。
すべてにおいて距離をおいていた。

自分自身で。


想いを吐き出すことも、心を開くことも、彼女には出来なかった。
辛いとか、淋しいとか、苦しいとか。
口にすることさえ出来なかった。
一度口にしてしまえば、自分が崩れ落ちていくような気がした。

彼女は耐えることしか知らない。
自分で自分を傷つけることでしか自分を守れない。
そんなところまで来てしまったのだ。



*



「…飛影さんにもこういう話をしたことがあるんですよ」

途切れた会話をつないだのは雪菜だった。
突然飛影の名前が出てきたことに、蔵馬は驚いた。

「まだ私が兄探しを続けようかどうしようか迷っているときに…
 国が滅んでしまえばいいって言ったら、甘ったれるなって、言われて。
 それで初めて気づいたんです。兄さんを利用しようとしてたんだなって…」
「それでやめたんですか? 兄探し」
「はい。…あのとき飛影さんにああ言われてなかったら、今でもずっと、悩んでたと思います」
「…どうして飛影にそんな話を?」
「わかりません…。気づいたらしゃべってしまっていて…」
「彼になら話していいと思った…?」
「…勝手に信頼しているのかもしれませんね」

そう微笑した彼女は、なぜだか少し哀しそうだった。



彼女は気づいているのだろうか。
自分が飛影にどれだけ酷な話をしたのかを。

飛影はどう感じたのだろうか…。
蔵馬は遠い地にいる戦友に思いを馳せた。



ひとつわかったことは、雪菜は飛影に対して信頼の念を抱いているということだ。
これこそが、兄妹だという確かな証拠かもしれない。

哀しい鎖に縛られたまま、お互い未だに苦しみ続けている。



「もうすぐ、幻海さんの命日ですね」
「…そうだね」
「……ダメですね、もっとしっかりしないと。
 今の私を見たら、きっと幻海さんは私を叱るでしょうね」


そしたらまた、頑張れるのに。

どうして、いなくなってしまったの。





青い海が波打つ海岸で、どんな優しい言葉も彼女には届かないのだと、蔵馬は痛感した。















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