5.

「お前にも、話しておきたいことがある」
「?」
「静流にはもう話したんだが、お前にも知っておいてほしいと思ってな」
「なにを、ですか?」

先の見えない幻海の話に、雪菜は小首をかしげた。
どんな話を聞くかなど、予想もしていなかった。

「あたしはもう、長くはない」
「え…?」
「近いうちに、あの世へ逝くよ」
「そんな…!」
「自分の死期くらい自分でわかるさ。…なに泣いてるんだい」
「…だって…っ!」
「一度死んだ身だ。あたしは何も恐れちゃいないよ。
 心残りがあるとすれば、そうだね、お前を置いて逝くことかね」
「…幻海さんがいなくなったら、私…どうすれば…っ!」
「大袈裟だね。お前の知り合いは、あたしだけじゃないだろ?」
「……」
「静流に話はつけてある。お前が行きたければ、そうすればいい。
 ひとりで生きていくのなら、それでも構わないがね」
「……本当に、死んでしまうのですか…?」
「だから、覚悟をしておいてほしい」

その言葉に、雪菜はただ泣き崩れた。
いつでも自分は、取り残されていく。

「お前のトラウマに拍車をかけることになるかもしれない。それはすまないと思ってるよ。
 でも、あたしに出来ることは、お前を置いて逝くことだけさ。仕方ない」
「………」
「別れの多い生涯かもしれない。でも、その分出逢いは多かったろ?」

人間界へ来て、たくさんの人に出逢った。
それは、故郷にいては味わうことの出来ない、たくさんの喜び。
いろんな考えの人に会って、いろんなことを知った。
だけど…。

「……でも、私……っ」
「お前が誰のことも信用できなくても、まわりはお前を愛してくれるよ」
「…!」
「そろそろ気づいてもいいんじゃないかい? まわりに誰かがいることを」
「……」
「わからなきゃいけないことが、まだまだたくさんあるんだよ、お前には」
「……そうなのかも、しれません…」

でも、自信がないの。

「今は、お前が何も口にしなくても、気づいてくれるヤツがまわりにいる。
 でも、お前が言わなきゃ気づけないヤツも、気づけない想いもある。
 それを伝えずに生きていけば、お前は本当に独りになるんだよ」
「……」
「雪菜。お前が心を開かない限り、お前は生きていけない」
「!」
「生き物ってのは、そういうふうにできてるもんさ」



小さい頃から、わがままなんて言わなかった。
言える相手がいなかった。

あの人が見てたのは、私じゃない。
私を気遣うように、母を見ていた。
私を慰めるように、兄を見ていた。
あの人は私を見るたびに、罪を思い出していた。

そんなあの人に、私が何を言える?
何を、求められる?

私を育ててくれたことには感謝している。
愛情があったこともわかっている。
でも、真っ直ぐな気持ちではなかったのでしょう?

後悔と義務。
そんな愛情で、私を満たそうとしないで。

もう何も、要らないから。
あなたが苦しんでいたことも、知ってたよ。

だから、私はあの人の前から消えた。



誰になにを言えば、なにがどうなるの?

私がなにを言えば、心を開いたことになるの?

誰が私を、わかってくれるの?



かつて私が信じた人は、私のために死んだ。

その事実が、今も私を縛るの。



「…信用していないわけじゃないんです。皆さんのことは、良い方だと思っています」
「……」
「でも…。…距離の縮め方がわからないんです」
「本音でぶつかるのが怖いかい?」
「…はい」
「そんなの、誰だって怖いんだよ。でも、それを乗り越えて皆強くなる」
「……」
「自分を守ることも大切だけど、誰かと関わることも大切だよ」
「……」
「しっかり悩んで、しっかり傷つけばいい。そして何度でもやり直せばいい。
 お前が呼びかければ、必ず誰かが応えてくれるよ」



*



押し寄せては引いていく波が、すべて洗い流してくれる気がした。
だから、海が見たかった。
本当は、そんなことはありえないのだと知っているのに。

日が傾き、青い海が朱へと染まる。
あの日の海だと、雪菜は思った。
状況は、かなり違っていたとしても。

「なにも言わないのが、私の悪いところですよね」

雪菜の瞳は、決して蔵馬を見ようとしない。
先にあるのは沈み行く太陽。
雪菜が口を開くまで沈黙を保っていた蔵馬は、ただその言葉の続きを待った。

「わかっては、いるんです…。でも…」

うまく伝える方法が見つからない。
どうしたら、理解してもらえるのか。
理解してもらおうとするのが、そもそも間違いなのか。
過去なんて、ただ重いだけ。
相手にとっても、自分にとっても。

「誰かに何かを言ったら、私は楽になれるんですか…?」
「雪菜ちゃん…」
「誰かの重荷になるだけでしょう…?」

これが距離をおいていることだとは、今の雪菜には気づくことなどできなかった。
他人を思いやるばかりに自分を傷つける。
重荷になれば嫌われる、捨てられる。
頭のどこかで警報が鳴る。

それほどまでに、雪菜の過去は重すぎた。

「もういいですよ、これ以上言わなくて。あなたの気持ちは十分伝わってます」

その言葉に、雪菜は泣きそうになった。
視線が思わずそちらへと向く。
そこには、ただ優しく微笑む蔵馬の姿があった。

慈愛に満ちたその瞳に、心が痛む。
赦されている気になってしまう。
だから、見たくなかったのに。

「私は、何も、伝えてないです…。
 ただ、蔵馬さんが聞いてくれようとしてくれただけで…私はただ、それに甘えているだけで…」
「それでもいいじゃないですか」
「…だって、私、自分じゃ何も伝えてない…!」

いつも、気づいてくれる人が、励ましてくれた。
それは、私の勇気じゃない。



蔵馬はふわりと雪菜の頭に手を置いた。

「今日は、もう、帰りましょう?」

その手があたたかくて、少し怖かった。

「いつまででも待ちますよ、俺は」
「!」
「俺だけじゃない。みんな、あなたの本音を待ってます」
「……本当に?」
「時間はたくさんありますからね」

どれだけ時間がかかっても。
どれだけ月日が流れても。


「…ごめんなさい。……ありがとう…」


ずっと、待ってる。





でも、だから、早く気づかないと。
早くしないと、伝えることさえできなくなってしまう。
待っていても、君がいなくなってしまう。

過去に喰われるその前に。
過去に押しつぶされるその前に。


過去を捨ててはいけない。


過去は、背負うもの。
苦しみや哀しみは、吐き出すもの。

目をそらし、押し留めるものではない。



手遅れになってからでは、遅いのだ。















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