You're all I need



「綺麗…」
「パトロールの最中に見つけたんだ。この辺は時空の歪みが多いからな」
「兄さんってなんでも知ってるんですね」
「…そうか?」
「はい!」


いつしか月に何度かこうやって、ふたりで穏やかな時間を過ごすようになっていた。
ただとりとめもない話をしたり、ただ沈黙のまま寄り添っていたり。
傍にいられることが幸せで、それ以上のことなんてない。



今日飛影が雪菜を連れてきた場所は、たくさんの花々が咲き乱れる野原だった。
自ら花びらが光を放つ魔界特有の花が、淡くふたりを映し出す。
風が吹くたびに花びらが宙を舞い、光の軌跡を描く。
揺れて、舞って、輝いて。
幻想的な雰囲気に雪菜は酔いしれた。
こんなに綺麗な光景は、見たことがない。
雪菜は隣に腰を下ろしている飛影に笑顔を向けた。

「…ありがとうございます」
「もっと日が落ちれば、もっと綺麗になる」
「ホントですか? 楽しみですっ!」

雪菜のとびきりの笑顔を見て、連れてきてよかったと飛影は思った。
この笑顔があれば、自分はなんでもできる。そう思えた。





*





「そこで俺はこう言ってやったわけよ」
「…なんて?」
「オメーに愛はねェーのか!? ってな」
「…ふーん」
「そしたら、ナイって即答しやがったんだぜ!」
「…へー」
「ったく、ホントに素直じゃねェーんだから」
「で、結局なにが言いたいんですか?」
「んー? のろけ」
「……あ、そう」


蔵馬は盛大なため息をついた。
さっきから、幽助はずっとこんな感じだ。
なにか嬉しいことがあったらしいが、ラーメンを食べに来ただけの蔵馬にとってはいい迷惑だ。

幽助のラーメン屋台は繁盛しているようで、毎日のように客が来ている。
もともと人に好かれやすいタイプの幽助だから、常連客ができるのも当たり前なのかもしれない。
蔵馬も常連客のひとりで、客は今たまたま彼だけだった。
だからなのか、幽助ののろけは止まらなかった。
これ以上のろけられてはたまらないと、蔵馬は話題を変えることにした。


「そういえば、今日でしたよね?」
「あ? なにが?」
「飛影と雪菜ちゃんの魔界デートの日」
「あぁ! そうだったな、確か。桑原がへこみまくってたな」
「…結局ふたりが兄妹ってことは、桑原くんには言えずじまいですからね」
「タイミングがなー。いまさらって気もするし」
「まぁ、それはそれでいいですけどね。おもしろいから」
「出たな、本音!」
「あなただってそう思ってるくせに」
「…まぁな」

真剣にへこんでいる友人に対して、ヒドイ言いぐさである。
幽助は蔵馬のグラスにビールを注ぎながら、にやけ顔で言った。

「静流さんがお泊まり許可出したんだってな」
「そうらしいですね」
「ってことは、もしかしたらもしかするかもな!」
「…ないですよ。飛影に限ってそんなこと」
「わっかんないぜ〜? あの溺愛っぷりだしな」
「俺は、溺愛してるからこそ、お泊まり自体ないと思いますね」
「あ? なんでだよ?」
「飛影が雪菜ちゃんを百足に連れて行くとは思えないし、
 まして野宿させるなんて考えられませんよ」

ビールをあおりながらそう言う蔵馬に、幽助は妙に納得してしまった。





*





陽が傾き始め、野原はより幻想的になっていた。
花びらが蛍のように舞い踊り、淡い光がふたりを優しく包み込む。
もはやふたりの間に言葉はなく、ただ目の前の光景に魅せられていた。

この時間がずっと続けばいいのに。

あるのはただ、癒しの光と穏やかな時間。
それ以外なにも望みはしない。
だから、どうかこのままで。

月の光と花びらの輝きとお互いの存在。
飛影は自分の心がひどく安らいでいるのを感じていた。
そして、それは雪菜も同じだった。

だから、この時間が崩れる瞬間を、気のゆるみが命取りになることを、
このとき考えてもいなかった。





「!!」

複数の殺気を感じて飛影が振り返る。
しかし、気づいたときには既に遅く、鋭利な刃物と庇う間もなく吹き飛んでいく雪菜の姿が見えた。
穏やかな時間への気の緩みが、飛影と雪菜の反応を一瞬遅らせた。

「雪菜っ!!」

自分に刺さる刃物を気にも止めず、飛影は叫んだ。

雪菜の身体が宙を舞う。着物の裾が風ではためく。
雪菜はとっさに受身の体勢を取ったが衝撃は免れず、地面に強かに身体を打った。
小さな呻き声が洩れる。白い着物の肩口が紅く染まっていた。

飛影は目の前の相手を蹴り飛ばし、雪菜の方へと駆けよろうとした。
しかし、別の相手によって、それを阻まれる。
繰り出された拳を、跳び退ってかわす。

「なんなんだ、貴様らは…!」

相手の男は不適に笑った。

「…その首、もらうぜ」







敵の数は4人。
みな一様の格好をしていて、全身を黒のコートで覆っていた。
頭にはフードを被り、顔はよく見えない。

3人は飛影へ、1人は雪菜へ。
飛影は雪菜の傍へ行きたかったが、3人がそうさせてはくれなかった。
自分と同等か、もしくはそれ以上か。

飛影は己の甘さを呪った。
自分がいながらこのザマはなんだ。
刺された腹部の痛みよりも、不甲斐なさへの苛立ちが飛影の心を締め付けた。







「…くっ…!」

雪菜は懸命に身体を動かした。足音がひとつ近づいてくる。
このままではやられる。
起き上がってよろけながら数歩下がると、もう目の前に男がいた。

「安心しな、嬢ちゃん」
「……」
「俺ァ、こんなかじゃ一番弱ェぜ。」
「……!」

男が抜刀した。
それを見て雪菜は後ろへと飛ぶ。
それが、闘いの合図だった。




雪菜はB級妖怪で、もともとそんなに弱くはない。
妖力自体は高いのだ。
父親譲りの戦闘能力と、母親譲りの度胸がある。

ただ、雪菜にとって致命的なのは、戦闘経験がないことだった。
知識はあっても、それを使いこなす術がない。
護りには長けていても、攻撃することができない。
傷つけることを厭う雪菜は、争うことを選ばなかった。
だから、今、この闘いを脱する方法を見つけることができなかった。




「オイオイ、逃げてるだけじゃ勝てないぜ?」

男が笑いながら追いかけてくる。
大柄の男と小柄な雪菜。
スピードは五分のように見えた。

しかし、体力のない雪菜にいつまでも同じ速さで逃げ続けることはできなかった。
切っ先が首元を掠める。

「…っ…!」

跳び退った雪菜は体制を崩してその場に倒れた。
肩で息をしながら目の前の男を睨みつける。

「いいねェ、その目。ゾクゾクするぜ」
「…なにが、目的なの」
「名を上げる。それだけさ。でも、嬢ちゃんは生かしてやってもいいぜ?
 いろいろ楽しめそうだ」

見下して笑う男に、雪菜は剣呑な視線を向けた。

「お断りよ…!」

纏う妖気が冷気に変わった。







3人の攻撃を紙一重でかわしながら、飛影の頭は別のことを考えていた。
雪菜を護る方法だ。
自分だけが狙われているのなら、雪菜を残して別の場所に移動すればいい。
だが、雪菜も敵の1人に狙われているのだ。

逃げ惑う雪菜の姿がちらちらと視界に入る。
自分が護らなくてはならないのに、それすらもできないなんて。
体制を崩した雪菜の姿に、飛影は気を取られた。

「よそ見してる場合か?」
「!!」

衝撃とともに地面に叩きつけられる。
喉の奥から鉄の味がせり上がる。
降ってきた斬撃をかわし、繰り出された拳を受け止め、背後からの蹴りを跳ね返す。
3人と闘う飛影は、すでに肩で息をしていた。
最初の一撃で刺された腹部から、おびただしいほどの鮮血が流れていた。
護りもせずに受けた傷は、深すぎたのだ。

「…くそっ…!」

せめて黒龍波が撃てれば、なんとかなるかもしれない。
しかし、それには雪菜との距離が遠すぎる。
この距離で撃てば、雪菜すら巻き添えにしかねない。
飛影は唇を噛み締めた。

「躯軍筆頭戦士といえども、たいしたことはないな」
「…元だ」
「ふっ、負ける言い訳にしては陳腐だ」
「貴様らにやる命などない!」

飛影は黒い炎をその身に纏い、3人の敵へと向かっていった。

こんなところで死んでたまるか。







遊ばれている。そうとしか思えなかった。
雪菜は何度か相手へ冷気を放ったが、傷つけることはできても
致命傷を負わせることはできなかった。
脆弱すぎるのだ。戦闘自体が向いていない。
だんだんと自分が弱っていくのがわかる。

しかし、それでも、男はとどめを刺そうとはしなかった。
じわじわと痛めつけて楽しんでいるのだ。
壊れていくおもちゃを見るかのように。

「そういやァ、さっきからなんか足んねェーと思えば、悲鳴だ」

切っ先が向く。

「可愛い声で啼いてくれよ?」

振り下ろされた刃物が腹部を掠めた。
身体が吹き飛ばされる。
帯が裂け、朱が散らばる。
雪菜は顔を歪めて、その場に崩れた。

「あーあ、可愛い声で啼いてっつってんのに」
「…っ…!」
「啼く気力もねェってか?」

刀を振り上げながら近づいてくる男を前にして、雪菜の身体はもう、思うようには動かなかった。







剣を振り上げて襲ってきた相手をなんとかかわし、背後に回って背を打つ。
すかさず剣を奪って切り捨てた。

「ぎゃぁぁぁっっ!!」

斬られた相手が地面でのたうつ。
斬られた傷が黒い炎に焼かれる。
静かになるまで、そんなに時間はかからなかった。

「…まず、1人」

飛影は額の汗をぬぐった。
傷口が熱を持ち始めたのだ。長くは持たない。

「ずいぶん苦しそうだな」
「…ハンデには十分だろ?」

飛影は不適に笑って見せた。なめられた2人が激昂する。

「調子に乗りやがって!」
「さっさとくたばれっ!」

相手の妖力は同等かそれ以上。
けれど、それでも負けられない。まだ死ねない。
でなければ、いったい誰が雪菜を護るのだ。

「邪王炎殺煉獄焦!!」

妖力は同等かそれ以上。
しかし、格闘センスと戦闘経験は飛影の方が上だった。





*





「!」
「躯様? 急にどうなされたのですか?」

百足の長い廊下で、躯は足を止めた。
部下たちが不思議そうに視線を向ける。

「…あのバカ、どっかで闘ってやがる…!」

躯は悪態をついた。
妹いるときになにをしている。

「用事ができた。あとは頼んだぞ」
「え? 躯様!? お待ちください!」

呼び止める部下の声を気にも止めず、躯は姿を消した。

躯は走りながら思った。
なんと弱々しい妖気なのだろう、と。





*





野原はすでに血で染まり、花々は鈍く光っていた。
あんなにも幻想的だった光景は、一瞬にして惨状へと変わった。
穏やかな時間は、もうない。



身体中の傷が悲鳴を上げる。
雪菜は目の前の相手を睨み付けるだけで精一杯だった。
男が笑いながら近づく。

「その目は気に入ったぜ、嬢ちゃん」

男は刀を振り上げた。

「でも、もうお別れだ」
「…っ!」

雪菜は覚悟して堅く目をつぶった。

が、覚悟した衝撃も痛みも感じることはなく、代わりに鉄のぶつかり合う音が耳を貫いた。

「!」

驚いて目を開けた雪菜の目には、いつも頼ってきた大きな背中があった。
傷だらけの、その姿が。

「兄さんっ…!!」

飛影は相手の刀を振り払い、振り向くことなく告げた。

「巻き込んですまない。すぐ片付ける」

その宣言どおり、飛影は一撃で片付けてみせた。









荒い呼吸を繰り返しながら、ふたりは寄り添った。

「大丈夫か? 俺のせいでこんな…」
「私は平気です。兄さんこそ、ひどい怪我…」
「心配するな」
「でも…!」

雪菜の瞳が心配そうに揺れた。
自分だって大怪我を負っているのに。
人の心配なんかするな、と飛影は思った。
ましてや自分のせいなのに。

「…ここにいては危ない。移動するぞ。立てるか?」
「はい」

全員にとどめが刺せたわけではなかった。
致命傷を与えるのが精一杯だった。
息を吹き返されたら、今度は勝てるかどうかわからない。
まして、新手が来たら、それこそ終わりだ。

よろけながら立ち上がっても、歩くのが精一杯で、たいした距離は進めない。
けれど、ここから離れなくては。
本能が告げた。







踏み荒らされてくしゃくしゃになった花が、それでもなお、ふたりを照らすように輝いた。
変わり果てた野原に、目のやり場がなかった。

新たな血のあとを地につけながら、ふたりは歩いた。
崩れ落ちそうになる身体を叱咤する。
息が上がって視界が霞む。
雪菜がバランスを崩しかけて立ち止まったとき、後ろからなにか物音がした。

「!」

飛影が雪菜の身体を支えながら慌てて振り返ると、
倒れている4人のうち、1人の身体がわずかに動いているのが見えた。
まだ息がある。

「…くそっ…!」

飛影は舌打ちした。
もう闘える力など残っていないのだ。



そのとき、空気が揺れた。風が震える。
飛影には身に覚えのある感覚だった。
普通でない異質なこの感じ。

時空の歪ができる瞬間。

気づいたときには、数メートル先に大きな穴が口を開けていた。

「兄さん、あれっ…!」

雪菜が驚いたように指差した。



歪に入るのは、一種の賭けだ。
普通の穴と違って、どこに着くかはわからない。

しかし、迷ってなどいられなかった。
背後で立ち上がろうとしている気配を感じる。

「入るぞ!」

飛影は雪菜を抱えて、閉じかけている歪の中へと飛び込んだ。
歪の穴が閉じきる瞬間、飛影は野原の向こうに見知った人影を見たような気がした。







「…賭けたな」

血臭漂う野原で、躯はひとりそうつぶやいた。
飛影と雪菜が空間の歪へと入っていくのを、数キロメートル離れたところから見ていたのだ。
辿り着くのが一足遅かった。
ちなみに、4人の敵は、躯の手によってすでに息絶えている。

偶発的にできる空間の歪には、2種類のものが存在する。
1つは行き先が常にランダムなもの。
もう1つは、行き先が願った場所となるもの。

だから飛影は賭けたのだ。
後者だと信じて。

「…ったく、ホントに世話の焼ける…」

躯はため息をついて、再び姿を消した。





*





「サラリーマン生活はどうよ?」
「楽しいですよ。いろいろ勉強になるしね」
「これ以上オメェーに学ぶことがあるってのが不思議」
「知りたいことは山ほどありますからね」
「知識悪用すんなよ?」
「心外ですね。その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」
「俺はいいんだよ、俺は」
「…どういう理屈ですか、それは」

蔵馬は呆れたような顔をした。

「じゃ、俺そろそろ帰りますね」
「え、なに? 怒ったの?」
「違いますよ。明日も早いんでね。幽助と違って」

そう言って立ち上がったとき、なにか違和感を感じた。

「幽助…! 今、なんか…」
「オメェーも感じたか? なんか、ヤな予感すんな…」


ふたりが息を呑んで構えたとき、空気が揺れた。風が震える。
空が割れたかと思うと、そこからなにかが降ってきた。
白と黒のコントラストが、コンクリートの地面にぶつかって呻き声を上げた。

「オイ! あれ!」
「まさかっ…!」

幽助と蔵馬は、慌てて駆け寄った。

「飛影っ!」
「雪菜ちゃんっ!」

うずくまるふたりから、おびただしいほどの血が流れていた。
無数の傷が痛々しい。

「なんでこんなことに!?」
「一体なにがあったんですか!?」

慌ててふたりを抱き起こす幽助と蔵馬に、雪菜は縋りつくように言った。


「…助けて…」




もうすでに、飛影の意識はなかった。















2007*0311
/中編