You're all I need 幽助と蔵馬は、飛影と雪菜をそれぞれ抱えて、幽助のマンションへ向かった。 ここからなら幽助のところが1番近いし、なにより融通が利く。 屋台はこのまま置き去りにすることになったが、この際そんなことは言ってられなかった。 「ちょっと、どーしたのよっ!?」 「俺らにもわかんねェーんだ! おふくろも手伝ってくれ!」 「わ、わかった…!」 ベランダから入ってきた幽助と蔵馬を出迎えた温子は、血まみれの2人に気圧されたようだった。 無理もない。運んできた幽助と蔵馬も染まるほどの血の量だった。 飛影の方が重症だと判断した蔵馬は、その身体をベッドに横たわらせた。 意識はなく、ピクリとも動かない。息も脈拍も弱々しい。 「…飛影っ…!」 蔵馬は唇を噛み締めた。 こんな仲間の姿など、見たくはない。 傷口の止血を始めるべく、飛影のシャツを裂いた。 「兄さんっ…!!」 まだ動ける雪菜がベッドに駆け寄る。 露わになった傷口を、泣きそうな顔で見た。 「…兄さん、しっかりして…っ…!」 飛影の傷口へと手をかざす。 その手を蔵馬がつかんだ。 「力は、使わない方がいい」 「でも! 兄さんがっ…!」 「死ぬ気か!?」 「!」 いつも冷静な蔵馬の焦燥の混じった声に、雪菜の身体が震えた。 かざした手が下がる。 「…力を使えばどうなるか、わからないわけじゃないでしょう…?」 諭すような、けれど厳しい蔵馬の言葉に、雪菜は口を閉ざした。 浅い呼吸を繰り返す飛影が目に入る。 幽助は、呆然とする雪菜の肩に手を置いた。 「蔵馬の言う通りだ。雪菜ちゃんに万が一があったら、飛影がここまでして護った意味がない」 「…でも…!」 「これくらいでくたばるタマじゃねェーよ!」 「雪菜ちゃんは自分の治療に専念してください」 力なくうなずく雪菜を、幽助はベッドから下がらせた。 壁にもたれて座る雪菜の身体が光りだす。 自己治療が始まったのだ。 「幽助。俺の部屋に行って救急箱取って来てください。窓は開いてます」 飛影の止血をしながら、蔵馬が言った。 手持ちの薬草だけでは間に合わない。 「わかった」 「できるだけ早く」 「1分もかかんねェーよ!」 そう言った瞬間、幽助の姿は消えた。 脆弱な呼吸。蒼白い肌。 すでにシーツは紅で染まった。 飛影の治療を続けながら、蔵馬は焦っていた。 先程まで確かにこちらを見ていたはずの雪菜の視線が、もう感じられない。 自己治療をしていた雪菜も、ついに意識を失ったのだ。 どちらも絶対に助けなければ。 間に合えと祈りながら、蔵馬は傷に効く薬草を次々と召喚した。 幽助が救急箱とともに戻ってきてからは、さらに慌ただしくなった。 「幽助と温子さんは雪菜ちゃんの治療を!」 「おぉっ…って、手当てなんてしたことねェーよ!」 「やってください! 傷口に消毒液とぬり薬を! すぐに傷がふさがるはずです。 ふさがり始めたらガーゼと包帯を!」 「俺が着物脱がすのか!?」 「恥じらってる場合ですか!! 命がかかってるんですよ!」 「そうよ、バカ息子! さっさとやるわよっ!!」 蔵馬が魔界の薬草を調合して作った薬は、効果絶大だった。 すぐに血も止まり、傷もふさがっていく。 治療は完璧だった。 ただ、すぐに本格的な治療を行えなかった時間のロスがどう影響するかは、 蔵馬にもわからなかった。 * 白い天井を見上げながら、桑原はため息をついた。 雪菜はとうとう帰ってこなかった。 「…姉貴が余計なこと言うから…」 独り言が虚しく響く。 なぜ雪菜が飛影を慕うのかが理解できなかった。 まして、人付き合いが得意でない飛影が、何度も雪菜と会っているだなんて。 理由を考えるだけで気が重いと、桑原はベッドから起き上がった。 「みゃ〜」 愛猫が足元に擦り寄ってくる。 「永吉…。慰めてくれてんのか?」 「みー。みー」 桑原は永吉を抱き上げて窓へと近づいた。 窓を開けると、入ってくる風が生ぬるい。 心がざわつく。 「……なんか、あったんかな…」 永吉を撫でながら、桑原は他人事のようにつぶやいた。 暗闇の中で、空が泣きそうに見えた。 この感じる不快がなんなのか、今の桑原は失念していた。 * 一通り手当てが終わった頃には、もう日付をゆうに超えていた。 外では静かに雨が降っている。 ベッドに横たわる飛影と、その下に敷かれた布団に眠る雪菜の呼吸は落ち着いていた。 魔界の薬草が効いているのだ。 蒼白く、包帯だらけの身体は相変わらず痛々しいが。 「一体なにがあったんだろうな…」 「ええ。飛影がこれだけの傷を負うだなんて」 「しかも、雪菜ちゃんを護りきれなかった…」 なによりも雪菜を優先してきた飛影が、それでも護りきれなかったのだ。 もし彼らを襲った敵が今この場にやってきたら、自分たちは護り通せるのか。 幽助と蔵馬は焦燥を感じた。 「にしても、空から降ってくるとはなー。魔界にいたはずだろ?」 「空間の歪を通ってきたんでしょう。…運がよかった」 「それがなかったらと思うとゾッとするぜ…!」 「考えたくもないですね」 「コイツ、目ェ覚ましたら借りを返しに行くとか言いかねねェーな」 「仕方ない。付き合いますか」 共に闘った仲間なのだから。 幽助と蔵馬が苦笑を見せたとき、声が聞こえた。 「その必要はない」 「「!!?」」 さっきまで何もいなかったはずのベランダから、気配がする。 幽助と蔵馬が慌ててそちらに目をやると、そこには見知った人物がいた。 「躯!!」 驚きを隠せない2人の反応に、躯は満足そうに笑った。 開けっ放しだったベランダから断りもせずに部屋へと入ると、窓ガラスにもたれて座った。 「感謝しろよ? 変に刺激を与えないように、妖気を消して来てやったんだから」 笑ってそう言う躯に、急に現れる方が怖ェーよ!とは、さすがに幽助もつっこめなかった。 躯は部屋の奥で眠る双子に視線を移した。 身体が上下するのが見えて、生きているのだと安著した。 「…やっぱり、ここに来てたな」 「やっぱりって…なんか知ってんのか!?」 「教えてください。なにがあったんです?」 「奇襲さ」 「!」 「のんびり花なんか眺めてるからこんなことになるんだ」 自業自得だなと躯は言った。 「…でも、まぁ、4対2で頑張った方か」 「4!? 4人と相手したってのか!? 飛影は!」 「正確には3だ。1人は雪菜が相手した」 「雪菜ちゃんが!?」 どおりでひどい怪我だと幽助と蔵馬は思った。 「でも、飛影はもともと多人数を相手に闘うのに慣れてるはずです。 それでも、これだけの傷ということは…」 「仕方ないさ。4人中2人が格上だ。 そのうえ雪菜が心配で闘いに集中できないとなれば、これぐらいの傷を負って当然だ」 「あーなんかムカついてきたぜ! そいつら俺が倒して来てやらァ!」 「オイオイ、誰が負けたなんて言った?」 「え?」 「さっきから負けたこと前提で話してるみたいだが、飛影はちゃんと勝ったぜ」 躯は飛影と雪菜の身に起こったことを、順を追って説明した。 闘いの流れや、なぜ歪へ逃げなければならなかったのかを、事細かに。 幽助と蔵馬はその話に聞き入っていた。 「…なるほど。そういうことですか」 「でもよー、見てたんなら助けてくれたっていーじゃねェーか」 「オレが見てたのは歪へ入るとこだけさ」 「?」 「奴らの身体に聞いた」 敵の記憶をたぐって見たのだ。 それぐらいのこと、躯には簡単なことだった。 * 夜中に降っていた雨は朝方には止み、空は晴れ渡っていた。 しかし、桑原の心は晴れないまま、どんよりとしていた。 飛影と雪菜のことが気にかかる。 しかも、それが嫉妬からくる不安ではなく、もっと大きなことのように思えた。 なにかが、あったのかもしれない。 おまけに、幽助と蔵馬に連絡がつかないことが、さらに拍車をかけた。 「どーなってんだよ、一体…」 取り越し苦労であればいい。 そう思いながら桑原は幽助のマンションへと向かうことにした。 行く途中で、置き去りにされた幽助の屋台を見つけた。 材料もお金もそのままだ。 飛影と雪菜の血痕は、追撃を懼れた蔵馬が消しておいたので残ってはいなかったが、 それがなくても、なにかあったんだということが桑原には理解できた。 幽助のマンションへと向かう足は、さらに速度を増した。 * 「オメェー、今日仕事は?」 「休ませてもらいましたよ。さすがにね」 「そっか。…早く目ェ覚まさないかな、アイツら」 静かな双子に幽助は視線を向けた。 一夜が明けても、ふたりが目覚める気配は少しもなかった。 「薬が効いてますから、すぐには目覚めませんよ」 「蔵馬…」 「大丈夫ですって。2人のタフさなら、俺たちが一番よくわかってるでしょう?」 蔵馬は幽助をなだめるように微笑ってみせた。 蔵馬だって、不安でないかといえば嘘になる。 朝方までいた躯も、心配ないだろうと言ってどこかへ消えてしまった。 静か過ぎるこの空間が、嫌でも考えをネガティブにさせる。 一度下がった気持ちは、そう簡単には上がらなかった。 「浦飯! いるか!?」 静寂を破ったのは、うるさいくらいの大きな声だった。 遠慮もせずに中へ入り、幽助の部屋のドアを開けた。 「桑原!? オメェ、なんで…!?」 「浦飯にも蔵馬にも連絡つかねェーから、なんかあったんじゃねェーかと思ってな」 それに、なんかヤな予感がするしな、そう言いかけて、桑原の視線が止まった。 ある一点を凝視したまま動かない。 その光景を頭が認識するまで、かなりの時間を要した。 「…なんだよ、コレ…」 「桑原くん…」 「なんで、こんな傷だらけで…!」 白い包帯と、それと変わらないほどに蒼白い肌。 「魔界にいるんじゃなかったのかよ…! 飛影がついててなんで…!!」 桑原の悲痛な声に、応えられる者はいなかった。 * 淡く灯った花びらが、微笑みかけるように揺れては舞って。 なにもかもを癒してくれる。 こういう綺麗な光景が好きだと思ったから、絶対に見せたいと思ったんだ。 「どこに連れてってくれるんですか?」 「…さぁな」 「もぅ。そろそろ教えてくれてもいいじゃないですか」 むくれた姿に、珍しいものを見たと思った。 一緒に過ごす時間が増えるにつれて、新しい表情にたくさん出逢う。 「綺麗…!」 花に触れる指が、いたわるようだった。 「魔界にも、こんな素敵な場所があるんですね!」 そんな笑顔が見たかったんだ。 「静流さんが、今日は泊まってきてもいいって言ってくださったんです」 輝く花に負けないくらいの笑顔で、雪菜は微笑った。 「いつもより、もっとたくさん一緒にいられますね」 いつまでもその笑顔を見ていたかったのに。 気づいたときには、すべてが消えたあとだった。 雪菜の身体が吹き飛ぶ。髪が、袖がはためく。 悲鳴を押し殺した小さな呻き声と、地面に叩きつけられる音。 流れる鮮血が視界をうめつくす。 輝く花が紅で染まった。 なにがあっても護る。 そう誓ったはずなのに。 目の前の光景に心が揺れる。 自分が傍にいながら、こんなことになるだなんて。 情けなくて、許せない。 不甲斐なさに吐き気がする。 なのに、ぶつかる視線は助けを求めるものじゃなくて、俺を気遣うもので。 こんなときまで人の心配なんかしなくていいのに。 思いっきり責められた方が、よっぽど楽だ。 俺なんかと一緒にいたから、こんなことになったんだ。 「…さん…」 声が聞こえる。 なにかを、誰かを呼ぶ声。 「兄さん」 鈴のような綺麗な声が、呼んでいる。 呼ばれる資格なんてないのに。 「兄さんっ!!」 「!」 飛影の視界に雪菜の姿があった。 心配そうな顔で飛影を見つめる。 「…雪、菜…」 「よかった…。うなされてたから心配で…」 「……すまない」 雪菜は思い切り首を横に振った。 「…無事で、よかったです…。ホントに…」 泣き出した雪菜に、飛影はどうしたらいいかわからなかった。 「よぉ、やっと目ェ覚ましたか」 「あまり心配させないでくださいよね、まったく」 「…幽助、蔵馬」 飛影は、ふたりの姿を見止めて始めて、自分が幽助の部屋にいるのだと気づいた。 「…俺は、どれくらい寝てた?」 「2日ほど」 「2日!? そんなに寝てたのか?」 「傷がふさがりきるまでに暴れられては困るので、薬でちょっとね」 そういう蔵馬を、飛影は無言で睨んだ。 「そう睨んでやるな。オレの意見だ」 声と共にベッドの傍に人影が現れた。 「躯…! お前も来てたのか?」 「そろそろ目覚める頃だろうと思ってな」 躯を目の前にして、飛影はバツの悪そうな顔をした。 「…無様だな、飛影」 「………悪かったな」 「そんなことないですっ!」 「雪菜…」 「だって、兄さんは必死で私のこと護ってくれて…! こんなに、たくさん傷ついて…っ!」 雪菜の瞳から溢れた涙が氷泪石となって飛影の身体を打った。 飛影は雪菜をなだめようと身体を起こそうとしたが、薬がまだ効いているのか、 思うように力が入らなかった。 「…泣くな」 そう言って雪菜の頭に手を伸ばす。 それでも雪菜の涙は止まらなかった。氷泪石が身体を打つ。 「…涙が、痛い…」 「…ごめんなさいっ…。でも、止まらなくて…!」 飛影は苦笑してみせると、そのまま雪菜を自分の胸へと引き寄せた。 雪菜の泣いている姿を、見ていられなかった。 「頼むから、もう、泣くな」 飛影の胸で抱きしめられるように、雪菜は泣いた。 部屋の隅からの桑原の視線に、このとき飛影は気づいていなかった。 * 2日の間に、雪菜はだいぶ回復したようだった。 まだところどころに白い包帯がのぞくが、顔色はだいぶいい。 己の胸で泣き疲れて眠ってしまった雪菜の頭を、飛影は撫でた。 この重みと温もりが、確かに生きている証拠だった。 みな気を遣ってくれたのか、今この部屋にはふたりしかいない。 しかし、それが逆に飛影の胸を揺さぶった。 護りきれた、だなんてお世辞にも言えない。 護ると誓ったことさえ見当違いも甚だしく感じられた。 傷つく雪菜になにもできなかった。 不甲斐なさに苛まれながら、飛影は自分を責めた。 どこまでも浅はかで、どこまでも情けない。 傍にいたいだなんてそんな願いを抱いたこと自体が間違いだったのか。 自分のせいでこんなにも危険な目に遭わせて、こんなにも泣かせている。 こうして髪に触れていることさえ、おこがましく思えた。 沈み行く太陽が、紅く世界を照らす。 太陽の断末魔。 哀しく儚く、そして美しい。 電線に止まっていた小鳥が、一声鳴いて飛び去った。 2007*0313 前編/戻/後編 |