You're all I need



「気分はどうです?」
「…大丈夫だ」

ふたりの様子を見に、蔵馬が部屋へと入ってきた。
また借りを作ったな、と飛影は小声で言った。
その言葉に蔵馬は、気にしないで、と答えただけだった。

「…雪菜、ちゃんと寝かせてやってくれないか。この体勢はキツイだろう」

自分の胸で小さな寝息を立てている雪菜を、飛影は見た。
まだ身体が満足に動かせないので、自分ではできなかった。
飛影の言葉を受けて、蔵馬は雪菜を起こさないように、
ベッドの傍に敷かれている布団へと横たわらせた。
雪菜は熟睡しているのか、少しも起きる気配を見せなかった。

「安心しきってるようですね」
「…ああ」
「あなたが眠っている間、心配でしょうがなかったみたいですよ。
 寝ずにあなたの傍にいましたから」
「………また、人の心配か」
「あなただから、ですよ」
「……」

蔵馬の微笑に、飛影は目をそらした。
無意識にシーツをきつく握り締めていた。

「自分を責めているんですか」
「…!」
「離れようと思っていますか?」
「……」
「昔みたいに?」
「…俺は…」

言葉が出てこなかった。
傍にいるべきではない、そう思っていたから。

「離れていても意味がないと思ったから、傍にいると決めたのでしょう?
 たった一度巻き込んだだけで離れようと思うだなんて、その方が情けないですよ」
「…もう二度と巻き込まないだなんて保証はない」
「そのたびに護ればいいじゃないですか」
「簡単に言うな」
「少なくとも俺はそうしてきましたよ」
「…!」

失念していたとでもいうかのように、飛影は蔵馬を見た。
蔵馬は笑って言った。

「もう少し俺を見習ってほしいですね。俺にできてあなたにできないわけがないでしょう?」
「……」
「雪菜ちゃんがあなたをどれほど大切に思っているか、考えなくてもわかりますよね?」

雪菜の笑顔が飛影の中で咲き乱れる。
いつもそれを自分に向けてくれていた。

「その想いに応えるのが、あなたにできる精一杯の誠意ですよ」

蔵馬の言葉に飛影が答えることはなかった。
静寂な部屋に、規則正しい雪菜の寝息だけが聞こえた。





「…蔵馬」
「はい?」
「なんで俺がベッドで雪菜が布団なんだ」
「…やだなぁ、飛影。そんな、雪菜ちゃんと一緒に寝たいだなんて」
「誰がそんなこと言った!」
「ふふっ。それだけ怒鳴る元気があれば大丈夫ですね」
「…うるさい」
「ああ、そういえば、桑原くんからお叱りを受けると思いますから、
 覚悟しておいた方がいいですよ」
「桑原が…?」
「どうやらバレてしまったようです」
「……!」
「彼もずいぶん心配してましたからね。雪菜ちゃんのことも、あなたのことも」
「……そうか」

そう言ったきり飛影は口を閉ざした。
蔵馬もまた、ゆっくり休んでくださいね、と残して部屋を出て行った。



太陽が完全に沈みきっても、飛影はまだ眠れずにいた。





*





「オメェーはさ、いつから知ってたんだよ?」
「あ? なにを?」
「雪菜さんの兄貴が飛影だってこと」
「あー…それなー…」

真剣な顔つきの桑原に、幽助は苦笑した。
いつかはバレるだろうとは思っていたが、こんなに早いとは思っていなかった。
第三者である自分の口で認めてしまうことは気が引けるような気がしたが、
これ以上隠すのも後ろめたい気がした。第一、誤魔化せる自信などない。

「あのな、桑原。元はと言えば、オメェーだって悪いんだからな」
「なんでだよ?」
「指令ビデオ途中ですっぽかしただろーが」
「指令ビデオ? いつのだよ?」
「だーかーらー。雪菜ちゃん救出のビデオ! あれでコエンマが言ってたんだよ!」
「………マジで?」

大きく目を見開いた桑原に、幽助は気の毒そうにうなずいた。

「でもよぉ、知ってたんなら後で教えてくれたってよかったじゃねェーかよ!」
「言えなかったんだよ、タイミング的に! 飛影にも口止めされてたし」
「なんだよ、みんなして俺のこと騙して!」
「別にそーゆーんじゃねェーって! 成り行きだって!」
「…待てよ。ってことは、雪菜さんも俺にはずっと隠してて……」
「いや、それは違ェよ。雪菜ちゃんが知ったのも最近だし」
「? なんでだよ? 雪菜さんと飛影が会ったのって随分前じゃねェーか」
「飛影はずっと言わなかったんですよ」

部屋から戻ってきた蔵馬が会話に加わった。

「自分が傍にいたって彼女を傷つけるだけだ、ってね」
「納得できねェーよ、そんなん! 雪菜さんがどんな想いで探してるか知ってたんだろ?
 なのに言わなかったなんて…! それに、お前らだってなんで教えてやらなかったんだよ!?」
「俺らが教えたら意味ねェーだろーが!」
「けどよ…!」
「飛影にだっていろいろあったんだよ。わかってやれよ」
「…わかんねェーよ…! 俺はずっと淋しそうな雪菜さんの顔見てきたんだ!
 事情とか、そんなん理解できねェーよ!!」
「桑原…」
「大切だったら傍にいて守るのが当たり前だろ!?
 結局名乗る気だったんなら、なんでもっと早く言わねェーんだ…!!」





きっと見つかると励ますたびに、雪菜は淋しそうに微笑った。
もう見つからないかもしれないと弱音を吐いたこともあった。

物憂げに空を見上げる姿を、ずっと見てきた。
なにもできない自分を何度も悔やんだ。


なのに、本当は、こんなにも近くにいただなんて。

知っていながら、ずっと黙っていただなんて。





「今は兄妹として普通に接してるのかも知れねェーけど…
 雪菜さんは気にしないかも知れねェーけど…でも、俺は、済んだことだとは思えねェーよ…!」

桑原の言葉に、幽助も蔵馬も口を閉ざした。



「直接言ってやれよ」

部屋の片隅でずっと傍観していた躯が口を開いた。

「あのバカは言ってやらないと気づかないぜ」

艶っぽい唇が、妖艶な笑みを作り出す。

「それに、お前も納得できないだろ?」
「……あぁ」
「飛影ならまだ起きてると思いますよ。考え事をしているみたいでしたから」
「またくだらないことを考えてるのは、アイツは」
「おそらくね」

蔵馬は苦笑し、躯は呆れたような顔をした。
桑原は真面目な顔のまま一度だけ頷いて、幽助の部屋へと入っていった。



「しっかし、ホント義理堅っつーか」
「面倒くさいヤツだな」
「それが彼のいいところでしょう」

三者三様に、桑原の背を見送った。





*





ドアの開く音がして、飛影はそちらへと視線をやった。

「…来客が多いな」

桑原はただ静かに雪菜と飛影を交互に見た。

「…飛影。話がある」
「話なら全部聞こえてた」
「え……」
「お前は図体だけでなく、声もでかいからな」
「ほっとけっ!」

そう叫んでから、桑原は慌てて口をふさいだ。
しかし、雪菜が目覚める気配は少しもなかった。
安心しきった様子で、熟睡している。
飛影の傍にいるからだろうかと考えると、桑原は少し切なくなった。




「オメェー、今までなんで黙ってた?」
「……」
「なんで教えてやらなかったんだ…!」

桑原の言葉に、飛影はしばらく黙っていた。
なにを伝えたらいいのかがわからなかった。

「………例えば…」
「…?」
「例えば、俺がお前の実の兄だったらどうする?」

唐突な質問に、桑原は呆気に取られたような顔をした。

「んなもんヤに決まってるじゃねェーか! 気色悪い!!」
「そーゆーことだ」
「あ? なに言ってんだ、オメェー」
「…俺みたいなのが兄だったら、コイツが可哀想だ」




飛影は視線を雪菜に移した。
頬に貼られた絆創膏が、嫌でも目に入る。

無邪気な視線を受けるたびに感じる負い目。
ふさわしくないという劣等感。


ほら、また傷つけたじゃないか。




「ちょっと待てよっ! 雪菜さんがそんなこと思うわけねェーだろーが!」
「…なんでそう言いきれる?」
「なんでって…」
「優しいから? …そうだとしたら、そんなの同情だろ」
「オメェーは! 雪菜さんが信じられねェーのか!?
 雪菜さんがどんだけオメェのこと慕ってるのか知らねェーのか!?」

雪菜を起こさないように、なんて配慮は、今の桑原にはできなかった。
怒りを抑えることなんてできない。
飛影は、力の入らない両腕でなんとか身体を支えて起き上がった。
眩暈がしたが、そんなことは気にも止めず桑原を見た。

「……知ってるさ」
「!」
「…知ってるから、余計に不釣合いになるんだ」
「……」
「雪菜が思ってる俺と、本当の俺は、違う」

頼りになる存在なんかじゃない。
ただいつも空回りするだけで、自信過剰なだけなんだ。

「俺は、肝心なときに役に立てない」




夜の帳に星が瞬く。
欠けた月が光を放ち、それは、憎らしいほどの美しさだった。




「…じゃぁ、なんで傍にいんだよ」

桑原が静かに口を開いた。

「そう思うなら、名乗ったりすんなよ…!」
「…さっきと言ってること違うぜ」
「うっせーよっ! 俺ァ、腹立ってんだよ!」
「……」
「オメェーがそうやって考えることが、一番雪菜さんを傷つけてんだよ!」
「!」
「そんぐらい気づけ!」

桑原の言葉に、飛影は目を見開いたまま言葉が出なかった。
そんなこと考えてもいなかった。

「不釣合いだぁ? んなこと気にしてたら誰とも一緒にいれねェーっつの!」

腕組みして、桑原はふんぞり返って言った。
ま、俺と雪菜さんはお似合いだけどよ、という桑原の言葉は飛影の耳には入らなかった。

自分の存在ではなく、自分を否定することが雪菜を傷つけている。
そんな考えは自惚れではないのだろうか。
傷つけないように離れようとすることが、余計に雪菜を傷つけることなのか。
飛影にはわからなかった。





「俺はオメェーが兄貴だなんて認めェーからな」
「……」
「絶対お義兄さんなんて呼んでやらねェーから!」
「…当たり前だ」

桑原は腰に手を当てて、ため息をついた。

「…なに言いにきたのかわかんなくなっちまったじゃねェーか」
「お前の話はいつもグダグダだろう?」
「あぁ!? 相変わらず口の減らねェー野郎だな!」

このままでは埒があかないと、桑原は思った。

「要するにだな、俺が言いたいのは、雪菜さんの気持ちをちゃんと考えろっつーことだっ!
 わかったなっ!?」
「………ああ」

桑原は飛影の言葉に満足したのか、ドアの方へと向かった。


「オメェー病人なんだし、くだらねェーこと考えてねェーでさっさと寝ろよ」
「……」
「じゃ、オヤスミ」
「…桑原」
「あ?」

振り返った桑原に、飛影は意地悪く笑って言った。

「お前に雪菜はやらん」





*





「魔界に戻るんですか?」
「ああ。仕事があるんでな」

アイツも大丈夫そうだし、と躯は付け足した。
魔界での仕事を、これ以上おざなりにするわけにはいかなかった。

「あのバカに伝言頼めるか?」
「もちろん」
「当分人間界で謹慎してろ、と伝えとけ」
「随分優しい謹慎処分ですね」

苦笑する蔵馬に、躯は口許を緩ませただけだった。
そのまま、音も立てずに闇の中へと消えてゆく。
蔵馬はマンションの屋上から、その姿を見送った。





*





桑原という名の嵐が去って、飛影は小さくため息をついた。
視線を雪菜の方へと移す。
あれだけ言い騒いでいたのに、少しも目覚める様子はなかった。
本当に、熟睡している。

「……お前は」

月明かりが雪菜の髪を照らす。
照らされた髪は、あたたかで優しい色を放っていた。

「あんなことがあっても、まだ、俺を信頼してるのか?」

眠る雪菜に飛影の言葉は届かない。
しかし、沈黙が肯定を示していた。



思考に体力が追いつかず、飛影はベッドへと身を沈めた。
深い眠りに誘われ、瞳を閉じた。





*





咲き誇る花のように、儚くて優しくて美しい。

一番大切だと思いながら、一番距離をおきたかった。
接し方がわからない。
どう話したらいいのか。どう触れたらいいのか。

手折ってしまうのが怖かった。
傷つけてしまうのが嫌だった。

だって、命に代えてもいいくらいかけがえのないものだから。
自分には眩しいくらいの、失えないものだから。




ちゃんと向き合えば、お前は応えてくれるだろうか。
不器用でも傍にいてくれるだろうか。
お前が傷つかない道をちゃんと選ぶことができたら、お前は微笑ってくれるだろうか。


お前は俺にとって、なによりも大切な存在。
それだけは、嘘じゃないから。
それだけは、誓える。





*





眩しい陽の光を浴びて、飛影は目を覚ました。
目を開けて一番最初に飛び込んできたのは、いつもの笑顔。

「おはようございます」
「…あぁ」
「昨日はちゃんと寝られましたか?」
「大丈夫だ」

その言葉を聞いて、雪菜はにこりと微笑んだ。




「…私、もう一度あの場所に行きたい」
「…!」
「せっかくの綺麗な場所を、傷ついた思い出にはしたくないです」
「……」
「だめですか?」

雪菜の言葉に、飛影は黙ったままだった。
雪菜も黙ったまま飛影を見つめる。

無神経だと思われたかもしれない。
だけど、このまま終わるのは嫌だった。
飛影との思い出の場所は、たくさんあった方が嬉しい。
雪菜はただ、飛影の言葉を待った。




「…お前は、怖くないのか?」

飛影の言葉が、早朝の光の中で静かに響く。

「また、同じことが起こるかもしれない」
「起こっても平気です」
「俺はお前を護れなかったんだ」
「護ってくださったから、私は生きてるんですよ?」
「…今度は、助からないかもしれない」
「それでも、兄さんと一緒ならかまいません」
「雪菜!」

飛影はわずかに声を荒げた。
どうしてそこまで言い切れるのか。
雪菜は飛影を少しも責めないけれど、飛影は自分を責めずにはいられない。
それをわかっているからなのか、雪菜は少しも引く気はなかった。





雪菜は飛影の優しさを知っていた。
あのとき、自分がいなければ飛影はもっと楽に闘えた。
もっと傷は少なくてすんでいた。
自分を気遣ったせいで、あんなにも苦しめてしまった。

B級妖怪の自分がS級の強い妖気に当てられないように、飛影が力を抑えていたことも、
相手を本気にさせないように闘っていたことも、雪菜は全部わかっていた。

いつでも自分のことを優先してくれる。
そんな飛影に不満を感じたことなんて一度もない。

だから、飛影が自身を責めることだけはしてほしくなかった。





「どうしたらわかってくれるんですか?」
「…!」
「護ることが義務だとか、そんなことはいらない」
「……」
「一緒にいてくれれば、それでいいんです」
「……俺は……」

飛影はなにか言いかけて、しかしその言葉を飲み込み、別の言葉を紡いだ。

「…そうだな、なにもわかってないんだな」
「兄さん…」
「お前の傍にいるべきじゃないと思った」
「……」
「でも、それが一番お前を傷つけるんだと桑原に言われた」
「…和真さんの方が私のことわかってくれてるみたいですね」

雪菜はそう言って苦笑した。
不本意だなと飛影は小声でつぶやいた。


雪菜が飛影の緋色の瞳を見つめる。

「護ってくれなくてもいいです」
「…!」
「優しくしてくれなくても、大事にしてくれなくてもいい」
「……」
「でも、離れることだけはしないで…。会わないことで護れるなんて思わないで…!」

雪菜の瞳がわずかに揺れる。

「私のこと、嫌いじゃないなら、傍にいてほしい…」

その言葉に、気づけば飛影は手を伸ばしていた。

「嫌いになることなんてない。絶対に…!」

飛影の腕の中で、雪菜はただ頷いた。

この温もりだけあれば、それでいい。
何度でも立ち上がれるのは、あなたがいるから。
忘れないで。



雪菜がわずかに動いたとき、飛影は我に返って雪菜から離れた。

「…その、なんだ……すまない」

抱きしめるだなんて、また柄にもないことをしたと飛影は思った。
焦っているような照れているような飛影の表情に、雪菜はほころぶように微笑った。
飛影のこういう不器用なところが大好きだった。

「……笑うな」
「はい」

そう返事をしながらも、雪菜の表情は変わらなかった。
飛影はなんだか悔しくなったが、どうしようもなかった。





「…また行くか、あの場所に」
「はい…!」

飛影の言葉に雪菜の顔は輝いた。

「今度は、ちゃんと護るから」

低いしっかりとした声が部屋に響く。

「お前はいいって言ったけど、それは俺が嫌だから」

傍にいるだけ、なんて嫌なんだ。
いつも与えられているから、自分もなにかをしたい。

「優しくもするし、大事にもする」
「兄さん…」
「もっと頼れる存在になるから」

今でも十分頼りになると雪菜は思ったが、それは今ほしい言葉ではないだろうと思った。

「ありがとうございます」

雪菜が微笑んで見せると、飛影も優しい目になった。





できることは多くはないけれど、だけど、諦めはしない。
いつも笑っていてほしいから。
想いに応えたいから。

与え合って支え合って、これからも一緒に生きてゆく。


たとえなにが起こっても、会うことだけはやめない。





遠い魔界の地で、今でもなお輝き続ける花は、ふたりを見守るかのように咲き誇っていた。















------------------------------------
最後まで読んでくださってありがとうございます!
当初の予定ではこんなに長くなるはずではなかったのですが…(苦笑)
桑ちゃんを出したら話が長くなってしまいました(笑) 思った以上に飛雪のシーンが少なかったような気が…;;
飛影と雪菜ちゃんにはいつまでもお互いを支えあう存在でいてほしいですね。
2007*0318


中編 /