2.

「少しは食べた方がいい」
「……」

物好きだと思った。
この人には覚えがある。
初めてここへ連れて来られたとき、私のことを哀しそうな瞳で見ていた。

「死ねばすべてが終わるんだぞ…!」

わかったようなことを言う。
私に死ぬなというのか。
この状況で。

私は終わらせたいというのに。
死ねるのならば、死んでやりたい。
けれど、出来ないからここにいいる。

「…食べないくらいじゃ死にません」

私が言葉を発したのが予想外だったのか、彼は驚いたようだった。

「化け物…ですから」

自嘲の言葉しか出てこなかった。
この数年で、すっかり心は閉じてしまったらしい。

「……良かった…」
「……」
「声…久しぶりに聞いた…」
「……?」

思わず顔を上げて彼を見てしまった。
彼は、あまりにも変なことを言う。
声が聞けて良かった…?

合わさった瞳が逸らせなかった。
少し微笑んで見せた彼が温かく感じた。
不思議な感覚だった。

「ごめんな、今は同情しかしてやれなくて…」

信じようとはしなかった。
己の欲の為にしか生きていない人間を、どう信じろというのか。
その方が無理だった。

「あなたもいつか、私を裏切るのでしょう?」

冷たく言い放つと、彼は淋しそうな顔をした。
言って後悔した。
わずかに残る感情が痛んだような気がした。



*



彼は私の食事当番で、食事を運んでくるたびに、私に話しかけた。
私はただ、彼の言葉を黙って聞いていた。

いつも、その言葉に、表情に、優しさが溢れているような気がした。

「…今日も食べないのか」
「平気ですから」

そう言っても、彼はなかなか納得してくれなかった。
不満げな彼から視線を外して、窓の外を見た。
すると、小鳥たちが飛んでくるのが見えた。
なぜか最近私のところへやってくる。
小鳥たちは私の肩や指にとまった。

「…鳥…?」
「なぜか私になついてるんです」
「あ……」
「…?」
「今、笑った…」
「え……」
「笑ったよ、今! 初めて見た…!」
「……」
「そんな風に笑うんだな」

嬉しそうに彼は言った。
笑ってる…?
私が?
…気づきもしなかった。

感情なんて、表情なんて、もう忘れたと思っていたのに。
知らないうちに、小鳥たちとそして彼が、私の心に変化をもたらしていた。

「雪菜…っていうんだよな、名前」
「はい」
「なんか、今まで気恥ずかしくて呼べなくてな…」

どういう意味なのか、よくは分からなかったけど、
そう言って苦笑した彼の笑顔が、どうしようもなく好きだった。

「雪菜。もう少しの辛抱だ…。スキを見て必ず助け出してやる」
「……」
「故郷にあんたと同じ年頃の妹がいてな…。どうしてもほっとけないんだ」
「でも…!」
「心配しなくていい」

そう言って、彼は微笑んだ。

彼は私を裏切るような人ではなかった。
なぜもっと早くから信じてやれなかったのだろう。
人を見る目さえなくしてしまった。
初めからずっと、優しく微笑んでくれていたのに。

“必ず助け出す”
その言葉がどんなに嬉しかったか。
それが無理だと解っていても。



*



「チャンスだ! 垂金が海外旅行に出た。警備も薄い。今日しかない!」

それは唐突にやってきた。
彼は本気だったのだ。
本気で私を助けようとしている。

「でも……! 私がいなくなったらあなたが………」
「バカ野郎、人の心配してる場合か!!」

彼は私の手を引いて走り出した。

「ごめんな。…もっと早く助け出せれば良かったが…」
「……」
「今まで、辛かっただろう」

彼の言葉には、いつも温かさがある。
彼がいてくれたから、私は心を失わなかった。

「…ありがとうございます」

ポツリ、とつぶやいた。
彼は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに温かい笑顔に戻った。

「もう少しで出口だ!」
「…はいっ!」

もうすぐだ。
もうすぐで私は自由になれる。
この苦痛から解き放たれる。


はず、だった。


バタンッと扉が開いた。

「!!?」

そこに立っていたのは、旅行中のはずのあの男。
拳銃を持った男たちを従えている。

「尻尾を出しおったな。裏切り者が」
「くっ…!!」

拳銃が構えられる。
私は彼に突き飛ばされた。

ドォンッ、ドォンッ、ドォンッ―――。

「……っ!!!」

目の前で、彼が撃たれた。
十数発の銃弾をあびて、その場に崩れ落ちた。
おびただしい血が流れ出る。

「…っ…雪、菜…。…すま…な…い…っ……」

それが最期の言葉だった。


「いやぁぁぁぁっっ!!」



*



私のせいで、彼は死んだ。
あまりにも、むごい死に方だった。
彼が突き飛ばしてくれたおかげで、私は無傷だった。
それが皮肉で、哀しかった。

「…あなたの方こそ、人の心配してる場合じゃなかったんじゃない……!」

もともとリスクは高かったはずだ。
それでも彼は、私を助けようとした。
自分がこうなるかもしれないと、解っていながら。

あの男は全部知っていたのだ。
彼と私が信頼で結ばれかけていること。
彼が私を助けようとするだろうということ。
全部知っていたから、彼を罠にかけた。
私の目の前で殺す、というのにも、意味があったのだろう。

そう。私が殺したようなものだ。



彼が死んで、何日も涙が止まらなかった。
この環境で、彼は温かすぎた。
彼の微笑みを思い出すたびに、心が張り裂けそうだった。

「裏切り者のあの男のおかげだな」

毎日のように氷泪石が手に入るので、あの男は上機嫌だった。

「どんどん使用人と仲良くなっていいぞ? その度にワシが殺してやるから」

卑しく笑ってそう言う。
人の死など、どうでもいいかのように。



彼は、私にとってかけがえのない人だった。
私が小さく微笑めば、彼はその倍の笑顔で応えてくれた。

私は二度と、彼のような人を失いたくない。
だから、もう、逃げ出そうとは考えない。
私のせいで誰かが死ぬなんて、耐えられない。
自分がその分傷つけばいい。
彼を殺した私への罰。


どうせ、あの男が死ぬまでの辛抱だ。
あの男の寿命はせいぜいあと50年もない。
それまで耐えればいい。

それとも早く、殺して欲しい。
あの男の価値の為に生きていて、何の意味がある?
私に生きる価値などありはしない。


望みは二度と持ちはしない。


死ぬのを待つだけだ。




あの男か、私が。















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