8.

湧きかえる声援と野次が飛び交う妖怪の群れ。
その視線はただひとつのモニターへと集まっていた。
暗黒武術会。
それはすでに始まっていたのだ。

会場に入れなかった妖怪たちが口々に叫ぶ。

「くそー!! なんで場外テレビで見なきゃなんねーんだ!」
「10倍でもいいぜ! だれか券持ってねーか!!」



そんな妖怪たちの群れの後ろに、ひとりの少女がたたずんでいた。
どう見ても戦いには無縁そうで、明らかに場違いな雰囲気の少女は、
目の前の光景を見つめて、そして静かにため息をついた。

「……困ったわ。券がないと入れないのね」

その唇から、見た目通りの澄んだ声が発せられた。
透き通るような白い肌。
陽の下で煌く緑がかった蒼い髪。
吸い込まれそうな真紅の瞳。

故郷を捨て、生き別れの兄を探すことを決意したその少女――雪菜は、
正面のモニターを仰ぎ見た。
そこでは今、幽助対陣戦の決着が付こうとしていた。



*



このまま外で見ていなくてはいけないのだろうか。
この先の試合も券がないとやっぱりダメなんだろうか。
雪菜がそんなことに思いを巡らせていると、モニターから一際大きな実況の声が響いた。

『なんと驚きです!! そうです、この人がいました!!
 イチガキ戦で瀕死の重症を負った桑原選手、根性の復活!!』
「!」

その声に、雪菜はモニターへと目をやる。

(和真さん…!)

そこに映っていたのは、自分の為に命をかけてくれた人。
人間全部を嫌いにならないでくれ、そう言ってくれた人。
この人を、そして先程汚いやり方で引き分けにされてしまった幽助を、
雪菜は応援しに来たのだった。
今の状況がどうなっているのか雪菜にはよく解らなかったが、
傷だらけの桑原を見て、彼のことが心配になった。
その時。

「もー、信じられないわ。丸一日全員酔いつぶれるなんて」
「どいてどいて。まだやってるかねー? すいませーん」

数人の女性の声が雪菜の耳に届いた。
思わずそちらの方へ視線を移す。
その中に聞き覚えのある声が聞こえたからだ。
こちらの方へだんだん近づいてくる女性たちを、雪菜はじっと見ていた。

「ん?」

その中の1人、水色の長い髪を高く結わえた女性――ぼたんが、その視線に気づいた。

「あれま!? どうしたのさ、なんで雪菜ちゃんがここに……」
「あ…やっぱり、ぼたんさん」

驚いているぼたんに、雪菜は穏やかに微笑んだ。
知っている人がいて、ほっとしたのだった。



*



「あの…いいんでしょうか?」

会場へ強行突破を決め込んだ人間の女性――螢子、静流、温子にのされている
警備員の妖怪を見ながら、おずおずと雪菜は言った。

「いーのっ!」

対するぼたんは呑気である。
確かに券があるのに入れようとしなかった警備員の方が悪いのだが、
のされているのを見ると同情したくもなる。



「それにしても、よくこっちに来れたねぇ。桑原くんたちの応援に来たんだろ?」
「ええ。あれから治癒能力を高める修行もしました。
 少しでも手助けすることが出来ればと思って。…でも、もうひとつ大きな理由があるんです」
「え? ってゆーと?」

雪菜は一度目を伏せて、ひと呼吸おいた。

「私には………兄がいると」

そう言った雪菜の顔は、少し複雑な色合いを見せていた。
複雑な感情が絡み合う。
雪菜本人も気づかないほど、静かに。

雪菜とは別の意味で表情を変えた人物がいた。ぼたんだ。
心なしか冷や汗をかいている。

「それで、私を助けてくださった和真さん達の協力を得られるなら、期限付きですけれど、
 兄を探すため人間界に滞在することを許されたんです」
「まー、そうなの!! 私たちも協力するわよ!」

幽助の母、温子が明るくそう言った。

「でも、手がかりとかあるの? 例えば、写真とか…」
「いえ、全く」
「ホ」

螢子の最もな問いに雪菜は答え、その答えにぼたんは安心していた。
しかし、その安心も、次の雪菜の言葉で打ち砕かれることになる。

「でも……なぜか近くにいるような気がするんです」
「ドキッ」

ぼたんは胸中で、雪菜の実の兄・飛影の言葉を思い出していた。
“命がいらんならしゃべれ。”
その言葉がしばらく、ぼたんの中をぐるぐる回っていた。



客席へ向かう途中、雪菜は軽い罪悪感にとらわれていた。
さっき言ったことは、ほとんど嘘だ。
国が兄探しを許すはずもなく、そして、兄への手がかりが全くないわけでもなかった。
しかし、そんなこと言えるはずがなかった。
簡単に他人へ口外するわけにはいかない。

ぼたんたちは、この見るからに純粋そうな少女が自分たちに嘘をついているだなんて、
夢にも思っていなかった。



*



「和真さん…!!」

鶴の一声ならぬ、雪菜の一声は、浦飯チームを勝利へと導いた。

瀕死の状態だった桑原は、どこにそんな力が残っていたんだというくらいの力を発揮した。
さすが、と言うべきか。
やはり、愛の力は偉大である。



「雪…菜?」

飛影は呆気にとられていた。

桑原があっさり勝利したことにもそうだが、その原因が自分の妹であるというのが何とも言えない。
そして、もう二度と会うこともないと思っていたのに、目の前に急に現れ、途惑っていた。
命の恩人の応援に来たとはいえ、ここは危険すぎる。
どこまで怖いもの知らずなんだと、内心毒付いた。



なにはともあれ。

「浦飯チーム、準決勝進出決定!!」

である。



*



「蔵馬、立てるか?」
「…あぁ、何とか…」

頼りない足取りの蔵馬に幽助は肩を貸した。

「それにしても驚きましたね、桑原くんには」
「だよなー。雪菜ちゃんには感謝しねェーと」
「…ユキナ…?」

蔵馬はその名前に聞き覚えがあった。
確か、飛影と関係のある…そんなことに思いを巡らせている蔵馬をよそに、
幽助はお構いなく話し続けた。

「にしてもよー、あの子があの飛影の妹なんて、まだ信じられねェーよ、俺」
「え?」
「………え。…も、しかして、知らなかった……!?」
「初耳です」
「…マジ?」
「飛影に妹がいたとはねぇ…」
「オメーはてっきり知ってるもんだと…」
「これで飛影をからかうネタが増えましたよ」

にっこりそんなことを言われてしまっては、さすがの幽助も罪悪感を感じずにはいられない。

「あっ、でも、なんか複雑みてェーだし、そっとしといてやれよ?
 雪菜ちゃんは飛影が兄だって知らねェーんだから」
「そうなんですか?」

またもや、蔵馬はにっこりする。

「…蔵馬〜…」

情けない幽助の声に、思わず蔵馬は吹き出した。

「わかってますよ。そこまでプライベートに踏み込むつもりありませんから。」

からかうつもりではいますけど。
蔵馬は心の中でそう付け足した。



*



「いやー、わははは、実力ですよ、実力!! 浦飯チームのキーマンですから!!」

島の一角で、桑原がデレデレしながらそう言った。
雪菜に会えて、かなり上機嫌である。
そのおかげでどんどん傷口がふさがっていく桑原を見て、雪菜は驚いていた。
それを愛の力だと意味の解らないことを言われ、適当に相槌を打っておいた。

「まさか雪菜さんが応援に来てくれるなんて夢見たいっスよ!」
「助けてくださった和真さん達の手助けになれればと思って…。
 傷ついたら、いつでも私の力に頼ってくださいね」
「雪菜さん! あなたの存在自体そのものが癒しです!!」
「…え? …あ、そうですか? …?」

言っている意味がイマイチ解らず、雪菜は首をかしげた。
その仕種に、桑原の体温が更に上がったのは言うまでもない。

「…あの、実は、人間界に来たのはもうひとつ理由があるんです…」
「もうひとつ…?」
「はい。…私、兄を探しに来たんです」
「兄…? 雪菜さん、兄貴がいるんスか!?」
「兄といっても、生まれてすぐに離れ離れになってしまったので、
 どういう方かは解らないんですが…」
「…そう…なんスか……」
「私、兄にどうしても会いたいんです…! 大切な…存在だから…。だから…」
「雪菜さん。この大会が終わったら、俺も探すの手伝いますよ!」
「…和真さん…」
「きっと雪菜さんの兄貴も、雪菜さんのこと探してますよ」
「……」
「早く会えるといいっスね!」
「…はい…!」

雪菜にとって、まっすぐな桑原の言葉は温かかった。
桑原の曇りのない言葉は、雪菜を笑顔にさせる。
雪菜の桑原に対する信頼は、どんどん高まっていくのだった。

そして、雪菜はまた、少しの罪悪感を感じていた。
桑原はこんなにもまっすぐ応援してくれるのに、自分にはまだ不純な理由がある。

双子の兄と忌み子の兄。
どちらを求めているのか、未だ答えは出ていないままだった。















7//9