9.

暗黒武術会会場では、まもなく次の2回戦が始まろうとしていた。
テンションがどんどん上がっていく観客に対し、ひとりスタンドで沈黙を保っている男がいた。

(…雪菜…)

飛影は心の中で、ずっと探し求めていた大切なものの名を呼んだ。
なぜまた目の前に現れたりなどしたのだろう。
飛影は困惑していた。

しかし、これでしばらくは傍で見守れる。
そう思ったのも事実。
けれど、こちら側の応援として来てしまった以上、危険はつきものだ。
しかも、万が一、氷女だということがバレてしまったら、
彼女に危害を加えようとする奴も出てくるだろう。
心配は増える一方だった。

不用意に雪菜に近づくつもりは毛頭無かった。
親しくなってはいけない。
幽助や桑原の仲間。
それ以上の印象を与えるつもりは無い。
雪菜とは近づいてはならないんだ。
飛影はそう思っていた。


「そろそろですね」
「……あぁ」

飛影の思考は、近づいてきた蔵馬によって打ち消された。
そう、今まさに、試合が始まるところだった。

「どう思います? この試合」
「…さぁな」



*



裏御伽チーム対獄界六凶チームの試合の火蓋は切って落とされた。
結果は2分という驚異の速さで裏御伽チームの圧勝。
その事実に呆気に取られている桑原に、相手が弱すぎたと飛影は言った。

「ところで蔵馬、ケガはいいのか?」

幽助が蔵馬を気遣ってそう言った。

「大丈夫だ。明日中には治る」
「ボコボコのツラでやせ我慢はよすんだな。
 凍矢に貫かれた手足の痛みがそんなに早く治るものか」
「ガマン強さは貴方といい勝負でしょ」

飛影は蔵馬を皮肉ったが、逆に言い返されて苦い顔をした。

「そーだ!! 蔵馬よ、雪菜さんの治療を受けろよ。
 彼女の治癒能力とお前の薬草あわせりゃ鬼に金棒だぜ」

雪菜という言葉に、飛影はわずかに反応した。
それを蔵馬が見逃すはずも無い。

「実は彼女、兄貴を探しにきたそうでよー。この大会が終わったら、俺も探すの協力すんだ!!」
「ほぉぉお。それは大変だ、飛影!! 俺たちも手伝おうじゃないか! ね!!」

ここぞとばかりに蔵馬は飛影をからかった。

「おい…幽助」
「う」
「キサマ、よりによって一番厄介なヤツに……!!」
「いや、蔵馬はもうてっきり知ってると思ってなに気なーく…」

幽助の口の軽さと、蔵馬の厄介な性格に、飛影はうんざりした。



しかし、桑原の言葉が飛影の耳について離れなかった。
“兄貴を探しにきた”
妹は兄の存在を知ってしまったのだ。
自分が忌み子の片割れだという事実も。
心に傷をまたひとつ負って、人間界に来たのだ。

だが、なぜ兄を探そうとする?
相手は忌み子だ。
会えば殺される可能性が高いと考えるのが普通だろう。
怖くはないのだろうか。
兄を探そうとする雪菜の気持ちが、飛影には理解できなかった。

しかし、雪菜が自分を探していると知っても、
名乗り出るつもりはないという飛影の気持ちは変わりはしなかった。
名乗れば雪菜は辛い思いをすることになる。
飛影の中でそれだけは明白だった。
傷つけるくらいなら、知らないほうがいい。これ以上傷を負わせたくない。
自分に恨みを持っているヤツがたくさんいることは知っている。
だから、尚更言えるわけがない。

こんな兄はいらない。

自嘲気味に飛影は心の中でつぶやいた。



*



桑原と別れたあと、雪菜はある場所へ向かっていた。
ある人物との待ち合わせがあったのだ。

「よぅ。こっちだ」
「すみません、お待たせして…」

ホテルのVIPルーム。
雪菜を呼び出したのは、霊界の王子コエンマだった。

「あの、お話ってなんですか…?」

なんとなく予想はついていたが、雪菜は一応そう聞いた。

「二度と国から出るな。確かにワシはそう言ったよな?」
「……」
「何故来た? しかも人間界で今一番危険な場所に」
「…和真さんたちの応援に」
「お前の責任ではないと言ったであろう」
「責任とか、そういうことではなくて…ただ、応援したいと思ったんです…」
「…今からでも遅くない。国へ戻れ」

氷女が地上をうろつくのがどれほど危険なことか、コエンマには解っていた。
彼女がまた人間界で捕まれば、霊界が動かざるを得ない。
それほど氷泪石の存在は大きいのだ。
第一、そうなれば一番傷つくのは雪菜だ。

そして、ここまでコエンマが口を出すのにはもうひとつ理由がある。
彼女が飛影の妹だからだ。
飛影は妹のためになら何だってするだろう。
だから、もし、ふたりが兄妹であることがバレ、それを利用されでもしたら、
飛影にとって命取りになる。
その他いろんな不安要素をこの少女は持っているのである。
だから、国にいる方のが安全なのである。
よっぽどの者じゃないと、氷河の国を見つけることは困難だ。

雪菜はコエンマの圧力に気圧されていた。
しかし、雪菜は意を決したように言葉を返した。

「…嫌です」
「なっ…! 自分の価値がどれほどのものか、まだわからんのか!?」
「私に価値なんてありません…! 自分の身くらい、自分で守ります」
「…そんなに甘くはない」
「わかってます…! でも、私は国を捨てたんです」
「…!?」
「もう、戻れません。…戻りたくもない」
「何故、そのようなことを…!」
「……私は、ただ、兄に会いたいだけなんです」
「!」
「それがいけませんか…!」

雪菜は引き下がれなかった。
たとえ相手が霊界の王子であっても、兄を探すという意思は変えられない。
誰になんと言われても、この意思だけは曲げられない。
もう自分には兄しかいない。
その思いが彼女を突き動かした。
コエンマと今対峙している少女は、ただ守られているだけの存在ではなかった。

「…氷女に兄がいるとすれば、それは忌み子であろう?」
「……」
「探して何の意味がある?」
「意味があるから、探すんです。」

意志の強いその真紅の瞳は、コエンマを捉えて離さなかった。
そう、よく知っている人物にそっくりだ。
飛影、さすがはお前の妹だ。
コエンマは心の中でそうつぶやいた。

「…ったく、折角ワシがありがたーく忠告してやったというのに…」
「…すみません…」
「いいか、霊界は一切関知せんぞ」
「はい。わかってます」

おそらくこの少女には、何を言っても無駄なのだろう。
コエンマはそう悟った。
ここまで頑固だと、帰って清々しい気もする。
お前もいろんなものを背負っておるのだな。
コエンマは、部屋を出て行く華奢な背中にそう語りかけた。



コエンマは初めて雪菜を見たときのことを思い出した。
あのときは、飛影とは似ても似つかないほどの、儚く淡い少女だと思った。
しかし、たった二月ほどの間に、彼女は大きく変わっていたのだ。
もしかしたら、これが彼女の本質なのかもしれない。
コエンマは大きくため息をついた。

「…前言撤回。良く似ておるわ」

そう独り言ちた。



霊界は関知しない。
そうは言ったものの、彼女が人間界にとどまるのであれば、関知しないわけにはいかない。
さっきのはいわば、脅しのようなものだ。
雪菜はそれに全く動じないどころか、初めから当てにしていないようだった。
自分の身は、自分で守る。
それを本当に実行するつもりなのである。

(さすが、というか…やはりというか……)

霊界の保護下に置くべきなんだろうなとコエンマは思った。
それに、放っておけばまず自分の身が危ない。
飛影に殺されるわ、と身を震わせた。
なんといっても、それが一番怖いのである。















8//10