10.

浦飯チームは裏御伽戦に勝利し決勝へと歩を進めたが、
それまで、飛影と雪菜の接触は全くと言って良いほどなかった。
飛影が意識的に避けていたからだ。
まともな会話をしたことすらなかった。

しかし、今、その機会が巡ってきた。



「飛影さん」

準決勝後、島の一角で飛影は雪菜に声をかけられた。

「ケガなさってるって、蔵馬さんに聞いて…」
「…あのおしゃべりめ…」

小さな声で飛影は毒ついた。

ケガとは、準決勝で裏御伽チームの黒桃太郎に右肩を噛み付かれたときのものだ。
本人は平気そうな顔をして、その場で包帯代わりに布を巻いていたが、その傷は深そうだった。

「診せてください。治療します」
「……たいしたことじゃない」
「無理しないでください。大丈夫かそうじゃないかくらい、私にだってわかります…。
 それに、たとえ小さな傷だったとしても、役に立てるのなら治したい…!」

雪菜は痛みに敏感だ。
5年も苦痛を味わえば、嫌でもそうなる。
まして、他人への思いやりが深い彼女が、引き下がるはずなかった。

「…勝手にしろ」

飛影は途惑うしかなかった。
関わらないようにしていたのに。
なるべく離れていようと思っていたのに。
向こうから近づいてこられてはどうしようもない。
それを払い除けられるほど、雪菜に対して非情にはなれなかった。

観念した飛影はその場に座り、そこへ雪菜が駆け寄ってきた。
すでに真っ赤に染まった白い布を、雪菜は飛影の右肩から取り払った。
今もなお血が滴り落ちる傷に、雪菜はその白い手をかざした。
雪菜の妖気が飛影へと流れ込む。
知っている妖気が飛影を満たしはじめた。

「私、あなたにちゃんとお礼しなきゃと思って…」
「礼…?」
「助けていただいたから」
「…あぁ」
「本当にありがとうございました」
「俺はただ……指令に従っただけだ」
「ふふっ。皆さん同じようなことを仰るんですね。たいしたことしてないとか、指令だからとか」
「……」
「でも、私は、助けていただいたことに感謝してるんですよ? 私にとっては大きなことです。
 みなさんにとってたいしたことじゃなくても」
「……」
「だから、ありがとうございます」

にこり、と雪菜は笑った。
屈託のない笑顔だった。

「…別に、たいしたことじゃなかったとか思ってるわけじゃない。
 ただ………礼なんて言われ慣れてない」

照れ隠しだった。
あぁ、そういう人なんだ。
雪菜はすぐ理解した。

「はい…!」

もう一度、雪菜はその笑顔で返した。



「……よく、笑うんだな」
「え?」

氷河の国で逆境の中生きて、人間界で5年間もの肉体的苦痛を味わって。
それでも、いじけることも屈折することもなく、こんなにも真っ直ぐに生きて、こんなにも笑っている。
笑顔から、優しさがあふれている気がした。

「あ、ごめんなさいっ!」
「…?」
「飛影さん、こんなに怪我なさってるのに、私ったら無神経に笑ったりなんかして…!」
「…いや、そうじゃなくて…」

反省しているのか、雪菜は申し訳なさそうな顔をしていた。

「…いい」
「…?」
「そのままでいい。……褒めたんだ」

ボソリと、飛影がつぶやいた。
とたんに雪菜の顔に笑顔が戻った。
雪菜といると、どうもペースを乱されることに飛影は気づいた。
関わるつもりなどなかったのに、言葉が口をついて出る。
不思議な空気を持つ女だと、飛影は思った。



「はい、終わりました」

そう言われて飛影は自分の肩を見ると、綺麗に治っているのに驚いた。傷ひとつない。
雪菜の治癒能力は、予想を遥かに上回るほど高度なものとなっていた。

「何かあったら、言ってください。
 これくらいじゃ恩返しにはなりませんけど、これしか出来ませんから」

そうにこりと笑って、雪菜は踵を返そうとした。

「…お前は大丈夫なのか」
「え?」
「他の奴のケガも治してるんだろ?」
「平気です! これでも妖力上がったんですよ?」

ふふっと笑って、雪菜はホテルへと戻っていった。



*



残された飛影の頭には、いろんな感情が渦巻いていた。
雪菜とあんなにも話をしたのは初めてだった。
本当に自分の妹なのかと疑うくらい、優しさの塊で出来たような少女だった。
強さと優しさを併せ持っているからこそ、真っ直ぐ生きられるのだろうと飛影は思った。
しかし、同時に非情に危うい存在であるような気もした。

あれがただの強がりで、精神ギリギリのところで笑っているのだとしたら…?
今はそうでなくても、いつか重みに耐え切れなくなってそうなってしまったら…?

考えるだけで恐ろしい。
でも、それほどの過去を少女は背負っているのだ。
助け出されたあと、誰が彼女の心を温めてくれたのだろう。
みんなを癒す彼女を、誰が癒してくれるのだろう。

だけど、それは、少なくとも自分じゃない。

そこまで考えて、飛影は思考を止めた。

(…何を考えてるんだ、俺は)

ただの危惧だ。
現に彼女はあんなにも笑っていたじゃないか。
あれが強がりの笑顔には見えなかった。
心配しすぎだ。
飛影は一瞬感じた不安を振り払った。


ただ飛影の中で、妹を知る度に強くなる想いがあった。
何があっても守りたい。
それは無意識の誓いだった。



*



ドゴォッッ…!!

「雪菜さ…!!」

それは半ば無意識の行動だった。
考えるよりも先に、体が動いていた。
飛影にとって、瓦礫が崩れ落ちる前に雪菜を助け出すことなど簡単だった。

「ボヤボヤするな。行け」
「は…はい。ありがとうございます」

崩れ行くドームの中で、また助けられてしまったと、雪菜は飛影の背中を見ていた。
寡黙で目が鋭くて、不器用だけど、優しい人。
雪菜の中で、飛影はそんな印象だった。



*



浦飯チームの優勝で幕を閉じた暗黒武術会。
一行は船の上にいた。

「まさかばーさんが生き返るとは思わなかったぜ」
「ホントだよー! 驚いたよ、まったく」
「これぐらいで驚くなんて、お前たちもまだまだだね」
「んだと!? くそばばー!!」

憎まれ口をたたきながらも、誰もが幻海との再会を喜んでいた。



次第に首くくり島が小さく見えなくなっていく。
長い長い戦いが終わったのだ。

同時にそれは、雪菜の新たなスタートでもあった。
兄探しを始めなければ。本格的に。
魔界で探すべきなのか、人間界で探すべきなのか。
それすら検討もつかなかった。

しかし、それ以前に、雪菜を思い留まらせるものがある。
双子の兄と忌み子の兄。
どちらを求めているのか、未だはっきりとはしなかった。

このまま探していいの?
兄を探すという意思は揺るがないはずなのに、どこかでそんな言葉が頭を掠めた。



「雪菜」
「…幻海さん」
「お前、これからどうするんだい?」
「……まだ、決めかねてます」
「当てがないならウチに来な」
「…え?」
「兄探し、するんだろ? 今すぐ魔界へ行って探すのは、あたしは賛成しないよ。
 そんな妖力で通用するはずがない。もっと修行が必要だと思うがね?」
「……でも、いいんですか?」
「実はコエンマから頼まれててね。お前のことを」
「コエンマさんが…?」
「それにあたしだって、故郷捨てる覚悟までしたヤツをそう簡単に死なせたくないさ。
 度胸もあるようだし」
「……」

雪菜は何もかも見透かされているような感覚に陥った。
心の葛藤までバレているような気がした。

「迷ってるんなら、おいで」

少し考える時間も、必要かもしれない。

「…よろしくお願いします」















9//11