2.

――心まで凍てつかせなければ永らえない国ならいっそ、滅んでしまえばいい。そう思います。

――いいか、甘ったれるなよ。滅ぼしたいなら自分でやれ。
  生きてるかどうかも知れん兄とやらに頼るんじゃない。



雪菜がそんな風に国を思い、兄にそんな願いをかけていただなんて知らなかった。
そして、正直少しショックを受けた。

おかしいと思ったんだ。
忌み子の兄を探そうだなんて。
正気の沙汰じゃない。
忌み子がどれだけ残忍で、忌み子がどれだけ非情か。
聞いていないはずがない。
あの氷女どもが教えないはずがない。
そんな兄を探そうだなんて、どうかしている。

期待していたわけじゃない。
探してほしかったわけじゃない。
でも、その事実を知ったあのとき、確かに感じた失意の念。
本当は心のどこかで浅はかな願いを抱いていたのかもしれない。

バカげている。本当に。

見守れればそれでいいと。
名乗り出る資格などないと。
知っているのに。

俺はあいつが求めているような兄じゃない。
国を滅ぼしてやることも、その想いを溶かしてやることも出来はしない。



あいつが兄を探していたのは、国が許せなかったからだけで。
忌み子を可哀想と思ったからだけで。

それはいわば、同情で。

きっといっときの感情で動いたに決まってる。
もう兄を探すなどとは言わないだろう。
3年前のあの瞬間、何かに気づいたような、何かを後悔したような、そんな顔をしていた。

どうせ、また、そこで兄に情けをかけたんだろ?


なんてことを願っていたのだろう、と。



*



「また妹のことか」

凛とした声が、俺の思考を打ち消した。
半身を失っても、その美しさを失わない女。
俺があまりにも無口なので、ときどきこいつは俺の心を読んでくる。
その行為は、迷惑極まりない。

「……読むな」
「心外だな。読んでなんかないぜ? 見てりゃわかる」
「………」
「そんなに大事に思うなら、何故言ってやらない?」
「…お前に関係ないだろう」
「臆病だな」
「なんだと?」
「つまらない意地張りすぎなんだ、お前は。
 それとも、探し当ててもらえるまで待つつもりか? 鬼畜なヤツだな」
「そんなんじゃない」
「…まぁ、名乗ろうが名乗るまいが俺の知ったことじゃないが、上の空でいられると困る」
「……わかっている」



本当に最近の俺はどうかしている。
時間があればあいつのことを考えている。
なんだか妙な気持ちだった。
不透明で、気分の良いものじゃない。
あいつのことを思い出すたびに、焦燥感に駆られた。
何かが押し寄せてくるような、一種の不安。
いつしかそれは、胸騒ぎへと形を変えた。

何を心配している? 何を焦っている?

あいつは人間界で平和に暮らしている。
そこにいる。

わかっているのに、この異様な気持ちは消えてはくれない。
いざというときに守れる位置に、蔵馬も幽助も桑原もいる。
自分だって駆けつけられる。
だけど、そんなことでは安心できないような不安が俺の中にあった。

危惧? この俺が?



あれがただの強がりで、精神ギリギリのところで笑っているのだとしたら…?

今はそうじゃなくても、いつか重みに耐え切れなくなってそうなってしまったら…?



過去に感じた一抹の不安が、俺の心をよぎった。

まさか。
これはただ、俺が心配しすぎなだけだ。
そんなこと、あるはずがない。

俺はすぐにこの考えを打ち消した。



*



すぐ傍で、躯のため息が聞こえた。
また深く考え出した俺に、相当呆れているらしかった。

「そんなに気になるんだったら直接見てきたらどうだ? もう3年近く会ってないんだろ?」

躯の言う通り、俺と雪菜はあの日以来会っていない。
姿を見に行くことさえしなかった。
自分のことで精一杯だったのも確かだし、平和な場所にいる雪菜をわざわざ見守る必要もなかった。

俺にも雪菜にも、今は居場所がある。
もう昔とは違うのだ。

「会う必要などない。もう二度と会わないことになっても構わんさ」

あいつが幸せなら、それで。
雪菜を大切に思っているのは、俺だけじゃない。

「ホントに不器用なヤツだな、お前は。
 母親の形見よりも優先して探したものなのにいいのか? 傍においてなくて」
「……」
「お前の人生の中で、“妹”が生きる目的になっていた時期があったんじゃないのか?
 その妹が、今は兄を探してるんだぜ?」
「…お前は、ただおもしろがっているだけだろう」
「ははっ、まぁ、それは一理あるな」

あるのか。

「でも、何かを大切にしようとするヤツは嫌いじゃないぜ。
 俺にはそんなものなかったから、羨ましい」
「……」
「守るものがあったから強くなったんだろ? お前たちは。贅沢なもんだよな」

お前たちというのは、俺以外にあと誰のことを指すのかはよくわからなかった。
躯の視線がどこか遠くを見ているようで、俺は深くは追求しなかった。
前にも、そんな部下がいたのかもしれない。



「お互いが大切に思ってるくせに、不毛なすれ違いばかりしてどうするんだ」
「……大切にするのはそんなに簡単じゃない」
「そうかもしれないが、手遅れになってからじゃ遅いんだぜ?」

手遅れ…。
そう思うときがいつか来るのだろうか。
そのときに俺は何かを後悔するんだろうか。

守りたいものはたくさんあっても、守れたものなどひとつもない。
大切に思ったって、大切に出来なきゃ意味がないんだ。

絶対に傷つける。
確かなのは、その事実だ。



「お前まさかまだ時雨との約束にこだわってるのか?」
「何度も言わせるな。初めから俺は名乗る気はない」
「心は変わるものだ」
「……」
「そう言っていたな、時雨は。お前もそう思ってるんじゃないのか?
 現に一番それを実感しているのはお前だろ?」

故郷を探す理由も、妹への想いも、時が経つほどに変わっていった。
心は変わる。
それは、知っている。

「……もしいつかは変わるのだとしても、それは今じゃない」

じゃぁいつなんだと、躯はそんな視線を向けていたが、俺はそれを無視した。

いつまでも心が変わらなければいい。
名乗り出る必要も、会う必要もない。
生まれたときから別の道を歩んだ俺たちが、今更“隣同士”になることはない。



*



妹に執着して生きた時期があった。
妹を探すことが俺のすべてで、そのことで生かされていた。

“妹を探すこと”が大事だったんだ。
妹が“雪菜”じゃなくてもよかった。
“雪菜”を守りたかったんじゃない。
“生きる目的のある自分”を守りたかった。
生きる目的がほしかった。
“妹探し”は生きるための口実だった。
雪菜を利用していたんだ。
当時の俺は目的がなければ生きている価値を見い出せなかった。

もちろん今は、雪菜を生きる目的だとは思っていない。
雪菜を残して死ぬことさえ出来るだろう。
そう思っていた時期が実際あったくらいだし。

お互いがなくてはならない存在であるためには、いささか時間が経ちすぎた。
そうでなければならない理由ももうない。
第一、俺とそんな存在になってどうする。
良いことなんて何もないさ。
気まぐれな俺なんかと兄妹でいる必要なんかない。


こんな兄はいらない。


俺はそこで考えるのをやめた。






それでも、いつになってもこの胸につっかえるものは消えなかった。















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