9. 何度もくり返した言葉が虚しく響く。 守りたい。 守れない。 守るものがない。 ねぇ、私のなにがいけなかったの? * 「…元気にやってるのか?」 「……わかりません」 視線を落とした雪菜を、飛影は見つめた。 この小さな身体で、どれだけのものを耐えてきたのだろうか。 どれだけのことを背負ってきたのだろうか。 想像もできない。 彼女の苦しみも痛みもなにも。 だって自分は、彼女のことを何も理解できてない。 「夢を、見るんです」 雪菜が静かにつぶやいた。 「雪の中にいる夢…」 「故郷の夢か?」 飛影が訊ねると、雪菜は首を傾げた。 「雪があるだけで…どこにも行けないんです」 「?」 「前に進もうとしてもできなくて、雪の中に沈んでいく夢…」 故郷の呪縛。 雪菜の口からそうこぼれた。 「捨ててきたはずなのに、いつも私を苛める…」 「生まれ育った場所は、そう簡単には捨てられない」 「…でも、私には要りません…」 「お前は、故郷が嫌いか?」 「…はい」 「なぜ?」 「生まれた子どもを平気で殺すような国です。そうやって自分たちの保身だけ考えて、 外の世界を知ろうともしないで生きて、なんになるんですか…!」 そう訴える雪菜の姿に、飛影は昔の自分を見たような気がした。 ずっと故郷に捕らわれて、復讐ばかりを考えていたあの頃。 復讐の先に何もないことさえも気づけなかった。 ただ国を憎んだ。 「じゃぁ、滅ぼすか?」 「!」 「そうすればお前の気は晴れるのか?」 「……」 滅べばいいと何度も思った。 失くなってしまえばいいのにと。 でも、どこかでそれを惜しむ自分がいた。 だって、望みがあったの。 「違うんだろ?」 「……」 「お前はきっと、滅べば泣くんだ」 復讐の先に何もないことを知っているから。 優しさと憎しみの狭間で揺れて泣くんだろう。 「本当は、別の理由があるんじゃないのか?」 「…え?」 「故郷に縛られる理由」 雪菜は飛影の瞳を見た。 同じ、真紅の瞳。 でも、宿している意思は全然違うと思った。 本当は、何度も願った思いがあった。 望んだ未来があった。 叶わないと知っていたから、余計に捨てられなかった。 「…あの国には、私の帰る場所なんてないんです…」 「……」 「居場所なんてどこにもない」 故郷の姿が頭をよぎる。 誰も自分のことなんて見もしない。 「……でも、本当は、ほしかった…」 雪菜の瞳が揺れた。 誰にも言わなかった、虚しい願い。 「何度も願った…。叶わないってわかってても、本当は、あの国に居場所がほしかった。 いつかはって、ずっと願ってた…」 だって、知ってる場所はあの国しかなくて。 他にどこがあるの? どこに行けばよかったの? 「あの国が嫌いでも、あの国しかなかった。 …でも、どこを探しても居場所なんてないんです…」 泪さんは私を見たら泣くの。 いつも母と兄を思い出すの。 そんな哀しい目で見ないで。 私があなたを苦しめてるの? 私が、いけなかったの? 泪さんの笑顔はもっと綺麗だと思ってた。 愛情よりも罪の意識が。 優しさよりも自責の念が。 私を育てることが責任だったの? 償いだったの? だけど、私は、あなたの免罪符なんかにはなれない。 「国が憎くても、滅べばいいと思っても、捨てられない願いがあった……」 いつも思うの。 私のなにがいけなかったの? 太陽は空高く大地を照らす。 緑茂る木々から、蝉の声が聞こえた。 雪菜は何度か瞬いて、下を向いた。 「…なんだか、飛影さんには何でもしゃべってしまいますね」 今まで誰にも言えなかったことを話す相手は、いつもこの人だった。 3年前も、今も。 飛影は視線を眼前の山々へ向けた。 「…話せばいい。聞いてやる」 そのために来たんだ。 全部吐き出せばいい。 潰れてしまわないで。 壊れてしまわないで。 そう祈ることしかできなくても。 「…私、人間が嫌いでした」 雪菜は立ち上がって数歩歩いた。 「あの日々が永遠の地獄に思えた…」 人間に捕らわれて、何度も何度も傷つけられた。 「でも、そんな中で、たったひとつの光があったんです」 「……」 「たくさんの話をしてくれました。そのときに見せる彼の笑顔が好きでした。…だけど…」 雪菜は言葉を切った。 両手をきつく握りしめる。 「…だけど、私がその命を奪ってしまった…!」 「!」 「たったひとつの希望だったのに…。 彼しか、いなかったのに…私なんかを助けようとしたから…!」 悲痛な声が響いた。 何度思い出しても心が張り裂けそうになる。 なぜ彼が死ななくてはならなかったの? なぜ私じゃなかったの? 「目の前で撃たれて…でも私にはなにもできなかった…」 雪菜の瞳から涙がこぼれた。 飛影の脳裏に助け出したときの雪菜の姿が浮かんだ。 あのとき自分は彼女のことを大丈夫そうだと判断した。 精神状態は大丈夫そうだと安心さえした。 今思えば、どこにそんな根拠があったのか。 あのときすでに、雪菜の心はぼろぼろだったのではないか。 果てしなく思える5年間にわたる苦痛。 その上、自分のために散った命と罪も背負って。 でも、それでも彼女は自分のためには泣かないから。 「…そいつはお前を恨んでいない」 「でも! 自分が赦せません…!」 「命は背負ってやればいい。でも、お前が罪まで背負う必要はない」 「…!」 振り返った雪菜の目から、あとからあとから涙が溢れていた。 「他人のために泣けるんなら、自分のためにも泣いてやれ」 飛影は立ち上がって雪菜の傍に行った。 雪菜の瞳から、堰を切ったようにとめどなく涙が流れた。 「……ずっとずっと怖かった…。淋しくて、苦しくて、どうしようもなくて… でも、誰にも言えなくて…っ…」 瞳からこぼれた涙が氷泪石へと変わって地に落ちた。 「辛いことも笑ってれば平気だって、忘れてしまえば何とかなるって… そう思ってたのに……なにも消えてくれないの………!」 苦しくても苦しくても、それでも前に進んできたの。 願ったことは、そんなに欲深いことだったの? 望んだことは、そんなに愚かなことだったの? 「…私がほしかったのは、望んだことは…ただ居場所がほしくて、愛されたかっただけで…! それが、そんなにいけないことだったの……? 欲張ったわけじゃない…。 …当たり前のことがほしかっただけなのに…」 見上げた瞳が優しくて、雪菜は飛影の胸に顔を埋めた。 もう自分で立っていられなかった。 「……兄なら愛してくれるかもしれないって、勝手に期待してた…」 「…!」 「…でも、兄は、私のことなんかいらないかもしれないっ…!」 「……」 「もう、どこにも…帰れない…」 雪菜は飛影の胸で泣き続けた。 飛影はそんな雪菜を抱きしめようと思わず手を伸ばしかけて、やめた。 彼女を抱きしめる腕なんて持っていない。 飛影はただ頭を撫でた。 雪菜はただ、泣くことしか知らない幼い子どものように泣いた。 いつも、思うの。 私のなにがいけなかったの? だけど、それは、自分へのいいわけ。 8/戻/10 |