10.

彼が会いに来るときは、氷泪石を返しに来るとき。
だって、それ以外に彼が会ってくれる理由がないもの。

頼りたくなる背中を、二度と見られなくなるの。



*



雪菜は飛影の胸の中で、積もりに積もった気持ちを吐き出した。
哀しみも苦しみも願いも、すべて。

口にしたら自分が崩れるような気がした。
でも、彼が支えてくれた。


自分のために泣けない彼女が、自分のために泣いた。


小さな小さな光が、再び灯った気がした。



「お前はもう、居場所を見つけただろう?」

優しい声が頭上から降る。

「今いる場所が、お前の帰るところだ」
「……不安です。…いつか、捨てられたらって…」

小さな心が弱音を吐いた。
ずっと思ってきた果てない不安。
そんな雪菜を飛影は鼻で笑った。

「オイオイ、アイツらのこと信用してないのか?」
「違います…! 自分に、自信がないだけで…」

愛されたことのない私が愛してもらえるの?
傍にいてくれるの?
わからない。



「自信がないことを理由に相手から逃げるな」
「!」
「自分で自分を下げるな」

雪菜は飛影を見上げた。
いつも変わらない、厳しさを宿した瞳。
いつも強いそのまなざし。

「お前が考えてるほど壁は厚くない」
「…はい」

雪菜は微笑った。
まだ頼りないけれども、それでも、微笑った。





泣かないって何度も決めた。

強くあろうって何度も誓った。

ひとりで生きていこうって覚悟した。


なにも知らなかったの。

なにも気づいてなかったの。



でも、今は違う。





「もっと周りに頼ればいい」

飛影の瞳が諭すように雪菜を見た。

「なんでも話したらいい」
「…はい」
「蔵馬も幽助も桑原も、他のヤツらも聞いてくれるさ」
「……飛影さんは?」

雪菜は伺うような瞳で見上げた。

「飛影さんではダメですか?」
「…俺は…」

飛影の言葉が一瞬途切れた。

「……魔界にいるからな」
「あ…」
「そう聞いてやれん」
「…そうですよね」

雪菜は少し残念そうな顔をしたが、飛影はそれを見て見ぬ振りした。

「俺の居場所は魔界にあるんだ」
「はい」
「だから、そうこっちには来られない」
「…はい」
「でも」
「?」
「今日のお前の言葉は覚えておいてやる」
「!」

嬉しさがこみ上げるのを雪菜は感じた。
何度言っても伝えきれない想いを言葉にこめた。

「ありがとうございます…!」

うまく笑えているだろうか、とか。
声は震えていないだろうか、とか。
そんなことを心配していた。
飛影の前では綺麗に笑っていたいと雪菜は思った。





雪菜の心は晴れたのだろうか。
これで、よかったんだろうか。
話しただけで楽になれたんだろうか。

飛影の心の中に、まだわずかに不安が残っていた。
完全によくなったわけじゃない。
でも、これが快方に向かうきっかけになればと思う。
過去に感じた焦燥感も胸騒ぎも、今は感じない。

大丈夫。

それは自分を納得させる言葉でも、安心させる言葉でもない。
確信が、ある。


だって、彼女はもう泣いていない。





「おかしいですよね」

雪菜の言葉で飛影は思考の底からすくい上げられた。

「私は兄しか見てませんでした」
「……」
「兄しかいないんだって決めつけてました」

兄だけがすべてで。
兄だけが生きる目的で。
私を見てくれるのは兄だけだと思っていた。
それが愛情でも憎しみでも。

「まわりにたくさんの方がいることに気づきもしないで…」

たくさんの人の顔が頭に浮かぶ。
いつも心配してくれた人達。
今ならそれが、優しいからだけじゃなかったことがわかる。

「3年前に兄探しをやめました。やめてよかったと思ってます」
「……」
「苦しいからって私の気持ちだけで兄を探してたら、
 それは兄にとってあまりにも重すぎます。私もきっと、辛いだけです」
「……」
「どれほど残酷なことを兄に求めていたのか、今ならわかるのに…」

国を滅ぼしてほしい。
自分の淋しさをうめてほしい。
苦しみを理解ってほしい。

なんて自分勝手なわがまま。

「辛いとなにも見えなくなるんですね」

そう言って雪菜は微笑した。
それは、哀しみを含んだ綺麗な微笑だった。

「…お前は、賢いな」
「え? …そうですか?」





俺は、お前の気持ちなんて優先していなかった。
俺の気持ちだけでお前を探した。

お前だけがすべてで。
お前だけが生きる目的で。
それしかなかったんだ。

見つけたあとも名乗ろうとしなかったのは、お前が傷つくからなんてただの理由で。
本当は、俺が傷つきたくなかったんだ。
拒絶されたくなかったんだ。


自信がないことを理由に相手から逃げるな。

自分で自分を下げるな。


まさに自分に対する言葉だ。
情けないほど執着していた。
そうすることしかできなかった。

今、お前を守りたいと思っているこの気持ちは、愛情だと呼んでもいいのだろうか。
執着ではなく愛情なんだと断言してもいいのだろうか。

でも、まだ、負い目がある。





「私は、今は純粋に兄に会いたいんです」

長いまつげが頬に影をつくった。

「ただ、会いたい」

雪菜の言葉が飛影の胸を揺さぶる。

ふたりの間に沈黙がおとずれた。
どちらも何も言わなかった。





願った祈りは歌を紡いで。

望んだ未来は光を宿して。


いつついえてもおかしくないほど儚くても、きっと守ってみせるから。

儚いものは愛しいと、教えてくれたのは誰だろう。



*



線香の煙が空へと昇る。
亡き人を弔うように。

幻海の墓の前で雪菜は手を合わせた。
飛影もまた、黙祷を捧げた。
墓は手入れが行き届いていて、たくさんの花が飾ってあった。

「私、幻海さんに叱られるのが好きでした」

おかしいでしょう?と雪菜は笑った。

「厳しい言葉が、いつも私を励ましてくれたんです」

たくさんの言葉が今でも心に残っている。
これからも、決して忘れない。





雪菜の長い髪を風が弄んで揺らした。
太陽の光を反射して、緑がかった蒼が銀に煌く。

飛影はただ雪菜を見つめた。

探し求めた光は、今でも淡く輝いている。
華のような笑顔も、鈴のような声も、失われずにここにある。


決意するときが来た。





飛影は服のポケットに手を突っ込んだ。
中にあるのは彼女に託されたもの。

ふたりをつなぎとめる唯一のもの。


「…お前に返すものがある」
「はい」


雪菜にも予想はついていた。
このときが来たのだと思った。

飛影は黙って氷泪石をかかげた。



今目の前にあるこの姿を、目に焼きつけておこうと思った。















9//11