10.

悲鳴と怒号。
何かがぶつかり合い、ひしゃげて飛び散った。
肉が裂け、血しぶきが舞う。
崩れる身体に容赦なく敵意の刃が振り下ろされる。

雪菜は思わず視線を逸らした。
もう見ていられない。
遠くで聞こえる悲鳴に、耳までも塞ぎたくなった。

これで何度目だろうか。
このエリアに来てから、このような光景を目にするのは。
行く先々で、戦闘、略奪、暴行が繰り返されていた。
激しい戦闘に遭遇するたびに、雪菜は蒼輝の判断で一定の距離を保ちながら草陰に息を潜めた。
血の気の多い彼らに巻き込まれないためには、そうするしかなかった。



13層北東部。
そこは、雪菜が想像していたより遥かに荒々しい土地だった。

兄はここに落とされた。
まだ生まれて間もない赤子のままで。
兄はここに生きていた。
頼るものは何もなく、たったひとりで。

死んだとはどうしても思えなかった。
赤子が生きていくには厳しすぎる場所であるが、
でも、それでも、落とされた兄がここで果てたとは、雪菜にはどうしても考えられなかった。

兄は生きている。
その確信は消えなかった。



「雪菜嬢。大丈夫か?」
「…はい。平気です」
「目的地までもう少しだ」
「はい」
「もっとも、有力な情報があるか定かではないが」

そう言いながら、蒼輝は死体の傍を通り過ぎた。
蒼輝のあとに雪菜も続く。

先程の戦闘が終わり、辺りは打って変わったように静寂に包まれていた。
鼻をつく血の臭いが漂う中、敗者の亡骸だけがそこに横たわっていた。
雪菜は、できるだけ蒼輝の後ろ姿を見て歩くようにした。
足元を見ていたら、とてもじゃないが耐えられない。

ふたりが向かう先は、この付近にあるパブだった。
情報を得るには、やはり情報屋に頼るのがいちばん早い。
そのためには、酒場のような多様な者たちが集まるところに行くのが一番効率が良かった。

森の中を進むと、少し開けたところに、古ぼけた建物が目に入った。
恐らくあそこが目的のパブだろう。
蒼輝は立ち止まって、雪菜を振り返った。

「いいか。君は一言も話すな」
「え…?」
「できるだけ顔を隠して、俺から離れるな」

首を傾げる雪菜に、蒼輝は念を押すように言った。

「ここは、君みたいな若い娘が出入りするような場所じゃない。格好の餌になる」
「…!」
「注目されるのは不本意なんだろ?」

纏ったコートを見ながら蒼輝は言った。

「だが、そのコートは特殊なゆえに注目される恐れもある」
「…はい」
「その分は何かあれば俺がなんとかするが、
 それ以外にはできるだけ気づかれないようにしておいた方がいい」
「わかりました」

雪菜は頷いて、被っていたコートのフードをさらに深くかぶり直した。
露出を極力抑えてはいるが、それでも時折見える白い肌が視線を引いた。
注目されないのは無理かもしれない。
蒼輝は心の中でそう思った。



*



「いらっしゃい」

扉を開くと、カウンターにいるマスターが無愛想にそう言った。
店内は酒の匂いと喧騒で満ちていた。
その内の何名だろうか。
一瞬だけこちらに視線を移し、何事もなかったかのように、また酒を飲みはじめた。

雪菜が纏うコートの違和感は、高位の者でないと気づかない。
しかも、ごく僅かに感じるのみだ。
違和感よりも容姿の方に目が行くかもしれない。
その方が面倒だと蒼輝は思った。

「捜しものをしてるんだが」
「なにをお捜しで?」
「あんた、ここは長いのか?」
「あっしは、ここに来て10年くらいになりますわ」
「10年か…」
「ここでは長い方でっせ。流れ者が多いもんで」

マスターの言葉に、蒼輝は少し考える素振りを見せた。
10年いれば、何か噂の片鱗くらいは知っているかもしれない。
蒼輝は振り返って雪菜に視線を送った。
雪菜はただ黙って頷いて応えた。

「20年ほど前、この地に落とされた赤子を捜している」
「赤子、ですかい?」
「炎の妖気をまとっていたそうだ。何か知らないか?」
「他に情報は?」
「いや…これ以上は何も」

マスターはしばらく考え込んでいたが、何か思い出したかのような顔をした。

「そういやぁ、昔えらく強いガキがいたって聞いたことがあるが…そいつのことですかねぇ?」
「…! その話詳しく聞かせてくれ」
「いんや、あっしは噂程度しか聞いたことないんで詳しくは…
 しかし、えらく残忍なガキだったと聞いとります」
「他にこの話を知っている者は?」
「さぁ…この噂自体は有名なんで、当時からいるもんなら知っとるかもしれんですが…」

そう言いながら、マスターはちらりと蒼輝を見た。

「紹介料いただきますぜ?」
「構わん。紹介してくれ」
「わかりやした。荒くれ者なんで、扱いにはくれぐれもお気をつけて。それとお客さん…」

マスターは、コートを被った雪菜に目をやった。

「そんな珍しいもん連れてっと目立ちますぜ」
「…!」
「あんたのコレクションかなんかで?」
「……」
「あぁ…気を悪くしたならすんません。どうも最近流行ってるんでね」
「流行り…?」
「稀少種集めて見せびらかすもんがね、最近多いんですわ」

実験なんかもしとるみたいですよ、とマスターは付け加えた。

「そんなコート着とったら、自分は稀少種だと言いふらしとるもんでっせ。
 そうじゃないにしても、気をつけなはれ。この地区にもコレクターがうろうろしとる」
「…ご忠告、ありがたくいただいておこう」

そう言いながら、蒼輝はマスターから紹介状を受け取った。



*



「行き先変更だ!」
「え? 何かわかったんですか!?」

突然の幽助の言葉に、捜索の指揮を執っていた躯の部下は、途惑いを隠せなかった。

「13層北東部に向かってくれ!」
「13層…!? わ、わかりました!」

その応答とともに、百足が大きく方向を変え、
今までとは比べものにならないくらいに速度を上げた。

「どれくらいで着く!?」
「ここからでしたら、百足の速度だと2日あれば…!」
「2日か…わかった。あと頼んだぜ」



急に速度を上げた百足に、誰もがその異変を感じていた。
躯は、ひとり自室でにやりと口の端を上げて笑った。

「やっと気づいたか、あのバカ」

そうひとりごちた瞬間、自室のドアがバンと勢いよく開いた。

「躯!」
「…騒々しいな」
「雪菜ちゃんの行き先がわかったぜ!」
「あぁ、そのようだな」
「あ? 妙に落ち着いてやがんな、オメェ」

冷静な躯の姿に、幽助は不満そうな顔をしたが、躯はただ笑っていた。

「どうせ13層北東部だろ?」
「そうそう、13層…って、なんで知ってんだよ!?」
「知ってたさ。初めからな」
「!?」
「オレと蔵馬はそうじゃないかと踏んでた」
「だったらなんで…!」
「こうでもしなきゃ、あのバカは何も気づかないさ」

躯の言葉に、幽助は首を傾げた。
なんでもストレートな自分には、躯や蔵馬の考えは理解できないと思った。

「幽助、知ってるか?」
「なんだよ?」
「“忌み子飛影”」
「…?」
「13層北東部ではかなり有名だったらしい」
「!」
「オレもそのおかげで飛影のことを知った」
「だったら…!」
「俺たちが着くか、ユキナが知るか…」

躯は楽しんでいるかのように笑った。

「どっちが早いだろうな」















9//11