12. 愛されたかった。 当たり前のものがただ欲しかった。 そう言いながら彼女は泣いていた。 慰めることも、抱きしめることもできなかった。 そんな俺に何がしてやれる。 俺じゃ、当たり前のことさえあいつにはしてやれない。 何もできない。 傷つけること以外は、何も。 ほら、今も、真実で彼女を傷つけようとしている。 * うらびれた木造の小屋。 周りには雑草が生い茂り、手入れなどされている様子はまったくなかった。 マスターから受け取った地図が指し示すのと同じ場所。 ここに、過去の情報を知る者がいる。 マスターの話だと、この地に100年以上も身を置く元盗賊だという。 何度か扉をノックする。 しばらくの沈黙のあと、しゃがれた低音が聞こえてきた。 「…誰だ」 「旅の者だ。少し訊きたいことがある」 蒼輝がそう言うと、扉が開いて男が顔を出した。 「客なんて珍しい」 「人を捜している。お前に訊けばわかると、パブのマスターが」 「あぁ…あいつか。面倒なことは全部俺に押しつけやがる」 そう言いながら、男はちらりと蒼輝のうしろの人物に目をやってから、部屋へと手招いた。 「…入んな」 通された部屋は、ほとんど物もなく殺風景だった。 雪菜と蒼輝は促されるままにソファへと腰掛け、その向かいに男は腰を下ろした。 「…で? ただで訊く気じゃねぇよな?」 「もちろんだ」 そう言って蒼輝はテーブルの上に札束を置いた。 雪菜が持っていた氷泪石を道中で換金したものだった。 男が札束を受け取ろうとする。 しかし、蒼輝はそれを男の手から遠ざけた。 「情報が先だ」 「…ちっ。わかったよ」 男は軽く睨みつけたが、しぶしぶ納得したようだった。 「人捜しって言ったな。誰を捜してる?」 「20年ほど前、この地に落とされた赤子の情報が知りたい」 「赤子?」 「マスターの話だと、えらく強くてえらく残忍だったとか」 「…! …残忍ね、あいつのことか」 「知ってるのか?」 蒼輝が尋ねると、男は笑った。 「人捜しなんて言うから、どんな難題かと思えば…」 笑いながらも、男は呆れたような顔をした。 「金払って捜すような奴じゃねぇよ、そんな有名人」 「……」 「あぁ、でも、金はきっちりもらうぜ?」 「構わん」 蒼輝の答えに満足したのか、男は話しはじめた。 「確かにあれは20年ぐれぇ前だった。森の中に、呪布にくるまれた赤ん坊が捨てられてたそうだ」 「!」 「俺が直接見たわけじゃねぇが…その赤ん坊は、近づいたもんを一瞬で丸焼きにしたらしい。 本当かどうかは知らねぇけど、そいつがとてつもなく強かったことは間違いねぇ」 「……」 「そいつをある盗賊が拾い、名を与え、そして育てた。 チビのくせに恐ろしく強くて、恐ろしく残忍だった。 吹きだす血を見て笑うガキを見たことあるか? 俺は背筋が凍ったね」 「……」 「ガキはどんどん強くなり、誰の手にも負えなくなった。 盗賊たちは奴を恐れ、近づこうとしなかった。 誰も敵わなくなったのさ。そいつの非道なまでの強さに。戦闘センスは天才的だった。 でも、俺は、そのガキが薄気味悪くて仕方なかった」 男は、蒼輝と雪菜を交互に見ながら言った。 「ここいらじゃ有名な話さ。この辺の盗賊はみんな知ってる。今でもそいつが恐ぇのさ」 「……」 「そんなヤツ探してどうする? スカウトでもする気か?」 「いや、そうじゃないが…」 「ふん、まぁ、なんでもいいけどな。…あぁ、そうだ」 男は何か思い出したかのような素振りを見せた。 「そのガキは、自分のことを“忌み子”だと言ってたな」 「…!」 「氷河の国から落とされたんだと。それがそいつの自慢話だった」 「!!」 雪菜は胸の鼓動が速くなっているのを感じていた。 彼がどれだけ関わってきたのかは知らないが、それでも、確実に兄の過去を知る人物だった。 「どうかしたか、お嬢ちゃん」 「…いえ、なんでもないです」 男は一度雪菜を凝視してから、また話に戻った。 「氷河の国っていやぁ、女だけの国じゃねぇか。 男がいるなんておかしいって言ったら、だから捨てられたんだとよ。 そりゃ、あんなの生まれりゃ捨てるわな」 そう言って男は笑った。 雪菜はただ黙って聞いているしかなかった。 兄がどう生きてきたか、想像できなかったわけではない。 だが、それでも、胸中に苦いものが広がった。 「13層北東部じゃ、あのガキは有名だった」 「……」 「そんで今では、魔界の有名人さ」 「…え?」 「まさか三竦みの闘いに関わってくるとはな」 「…!!」 「“忌み子飛影”。それがそいつの名さ」 時が、止まったかのようだった。 「飛影…? 確か、躯軍の?」 「そうさ。筆頭戦士になったと聞いたときは驚いたもんだぜ」 「そうか、なるほど…有名人だ」 「“忌み子飛影”って名は、この辺じゃ誰もが知ってる」 ふたりの会話でさえ、耳に入らない。 「しかし、なんであんな奴を捜してる?」 「それは…お前には関係のないことだ」 「そうは言われても…」 「余計な詮索はしない方がいい」 「……わ、わかったよ。ただの興味さ」 あの人は、なんて言った? 誰の名前を言ったの? 「情報料だ。受け取れ」 「確かに。他に訊きたいことは?」 「いや、十分だ」 「そうかい。じゃぁ、お気をつけて」 イ ミ ゴ ヒ エ イ 。 ヒエイ…? 「あぁ、そうだ。なんか似てるなーと思えば、目だ」 「? どうした?」 男は雪菜の方を向いて言った。 「目つきは全然違うが、その紅い目見てるとあのガキを思い出す」 「!!」 その言葉に、雪菜は明らかに反応を見せた。 同じ、真紅の瞳。 「どうしたお嬢ちゃん。さっきから変だぞ」 「………いえ…」 「そういやぁ、その白い肌…。…! なるほど…そういうことか」 「……」 「お前、氷女か」 「!!?」 「あー、それなら納得できる。…そうか。息子でも捜しに来たか?」 それにしちゃ、若いか。 そう男が笑った瞬間、ピンと空気が張り詰めたかと思うと、 次の瞬間には男の身体が浮いていた。 「! 蒼輝さん…!」 「…不都合があれば消すが?」 そう言う蒼輝の手は、しっかりと男の首を掴んでいた。 苦しそうな男の息遣いが聞こえる。 氷女だとバレた。その忌み子と関係があることも。 だから、消すべきだと蒼輝は言っているのだ。 だが、今の雪菜には、そんなことはどうでもよかった。 そんなのは、些細な問題だ。 第一、氷女とバレたところで、今の彼に何かができるわけではない。 「…いいです。構いません」 「そうか」 その言葉とともに、男の身体は床へと崩おれた。 荒い呼吸を繰り返す男を見ながら、たぶん口止めは必要ないだろうと雪菜は思った。 おそらく、今の一瞬で蒼輝の恐ろしさを身を持って実感しただろうから。 「ごめんなさい。…行きましょう」 途惑いか期待か失望か。 未だに聞いた言葉が信じられなかった。 混乱する心の中で、言葉にすることができるものがあるとすれば、 それはただひとつだけだ。 どうして。 その言葉だけが、唯一言い表せる感情だった。 11/戻/13 |