13. “忌み子飛影”。 その名を聞いた瞬間、自分が何を考えていたか思い出せない。 嬉しいのかも、哀しいのかも、わからない。 本当にあなたなの? だったら、私の言葉は通じてなかった? どうして。 どうして? あなたの口から聞きたかった。 * 「…まさか、君の兄が“飛影”だとはな」 「知ってるんですか?」 「三竦みの話は俺も知ってる。有名な話だ」 「…そうなんですか」 雪菜はただそうとしか答えられなかった。 未だに信じられない。 「それで…今後はどうする気なんだ?」 「それは…」 雪菜が言いかけたところで、蒼輝はそれを制した。 視線は遠くを見ている。 「蒼輝さん…?」 呼びかけても答えはない。 この旅で初めて、僅かながらも蒼輝から緊張感が漂っていた。 蒼輝が感じ取ったのは、大きな妖気。 それも、ひとつではない。 複数の強大な妖気が、確実にこちらへと向かってきている。 「…雪菜嬢。俺のうしろに」 「! …はい…!」 蒼輝が雪菜をうしろに庇う。 逃げてもたぶんすぐに追いつかれるだろう。 誰かの追手だろうか。 まさか、さっきの男からの報復か。 どんどん妖気が近づいてくると同時に、大きな地鳴りが聞こえてきた。 地面を何かが走っているというよりは、這っているという方が近かった。 その地鳴りの正体が、開けた道のかなり先の方に姿を現した。 昆虫だろうか。それとも、大掛かりなブリキか。 額に“V2”と書かれたそれは、大きな瞳でこちらを見つめ、真っ直ぐに向かって来ていた。 蒼輝が焦りを見せる。 しかし、それとは裏腹に、雪菜は冷静さを取り戻していた。 この距離ならば、雪菜でも感じ取れる。 それは、見知った妖気だった。 「蒼輝さん。大丈夫です」 「え…?」 「私を迎えに来て下さったみたいです」 そう言って雪菜は、前方の生物の上部に目をやった。 そこには、3つの人影。 蒼輝もそちらに視線を移し、そして目を見開いた。 「…そうか。君はもう出逢っていたのか」 「……はい」 そう頷いてから、雪菜は纏っていたコートを脱いだ。 * 百足の上から確認できたのは、捜し求めた少女の姿と、その傍らにいる見知らぬ男だった。 細身の長身で、無造作にうしろで束ねられた漆黒の長い髪。 耳より前の髪は一房ずつ残され、面長の輪郭に影を落としていた。 装飾の施された紺色のロングコートが、風に揺れて翻った。 注目すべきは、その妖力だった。 意識的に抑えられてはいるが、秘められた力は計り知れない。 幽助と蔵馬は、雪菜の姿と妖気が確認出来た瞬間、百足から跳躍し、彼女のもとへ向かった。 残された飛影は、雪菜の姿を凝視し、無事な様子にただ安堵した。 傍の男には、危害を加えようとする素振りは見えない。 本当は駆け寄りたかった。 しかし、飛影の身体はそこから動かなかった。 「雪菜ちゃん!」 「無事か!?」 「…はい」 雪菜はそう頷いて、にこりと笑って見せた。 駆け寄ってきた幽助と蔵馬の視線は、当然ながら蒼輝へと向いた。 「で、オメェは一体…」 「…! …お前は…まさか、“蒼輝”!?」 「なんだよ、蔵馬。オメェ知ってんのか?」 「知ってるも何も…“伝説の用心棒”さ」 「用心棒?」 首を傾げる幽助とは対照的に、蒼輝は驚いたような顔をした。 「俺を知ってるのか」 「盗賊時代に、数々の要人をあなたが護衛していたおかげで、 俺たちは散々手こずらされましたよ」 「なるほど、そういうことか。 しかし、俺が知ってる“盗賊蔵馬”は、確か銀髪の妖孤だったと思うが…?」 そう言って蒼輝は、蔵馬の姿をまじまじと見た。 「いろいろあってね…今はこれが俺の姿さ」 「人間の姿が…? わからないものだな」 蒼輝は笑った。 しかし、笑いながらも、鋭い視線を受けていることを感じていた。 威圧されているわけではない。 どちらかというと心配しているのだろう。 躯軍のナンバー2ともあろう者が、ひとりの少女の身を案じている。 それが蒼輝にとっては意外であり、可笑しくもあった。 だが、さっきまで聞いていた忌み子の話は、ただの過去なのだと確信できた。 顔見知りのようなのに、真実を知らなかった妹。 今も駆け寄って来ようとはしない兄。 複雑な何かがあるのだろうと蒼輝は思った。 「迎えに来たということは、彼女を君らに託してもいいということかな」 「あぁ。俺たちが人間界に連れて行く」 「そうか。…では、雪菜嬢。ここでお別れだ」 「…はい。ありがとうございました」 雪菜はそう言って頭を下げた。 「これ、残りの謝礼です」 そう言って袂から取り出したのは、前金にと渡したものよりも いくらか重みを増した藍色の巾着だった。 「…確かに、受け取った」 「本当にありがとうございました。凛光さんにもよろしくお伝えください」 「あぁ。気が向いたらまた顔を見せてやってくれ」 「はい」 「では、俺はこれで…」 「…あ、そうだ! 蒼輝っつったっけ?」 去ろうとした蒼輝を、幽助が呼び止めた。 蒼輝は怪訝そうに振り返る。 「オメェ強いんだろ?」 「…?」 「来年のトーナメント参加しろよ。闘おうぜ!」 「…!」 幽助の言葉に蒼輝は呆気にとられ、蔵馬は苦笑した。 「…俺が得意なのは守りであって、攻めじゃないんだがな」 「楽しいぜ、きっと!」 「面白い奴だ。…考えておこう」 そう笑い、一度雪菜に視線を移してから、蒼輝は姿を消した。 「アイツが用心棒やってたんなら、心配することなかったかもな」 「…! …ごめんなさい」 「いや、謝んなくてもいいけどよ。…なんでこんなとこに?」 幽助は、答えがわかっていながらそう尋ねた。 「…兄を捜しに」 「!」 やはり、みんなの予感は的中していた。 「それで…兄貴は見つかったのか?」 「………わかりません」 「…?」 そう言ったきり、雪菜は何も言わなかった。 * 幽助と蔵馬とともに百足内部へと乗り込んだ雪菜は、躯の部下に出迎えられた。 その通路の奥には、飛影の姿があった。 「ようこそ、移動要塞百足へ。躯様のもとへご案内します」 その言葉に、雪菜は黙って従った。 通路を進むにつれて、飛影との距離が近くなる。 どうして言ってくれないのだろう。 兄だというのなら、なぜ。 言う価値もない。 そう思ってる? 妹なんて必要ない? 私は、いらない? いつも助けてくれた。 叱ってくれた。 信頼してた。 あなたが兄だったらいいと思った。 なのに、どうして何も言ってはくれないの。 妹という存在自体に興味がないのだろうか。 生き別れ。 そんなものには執着していないのだろうか。 彼は自由に生きているから、 氷河の国のことはもう気にも止めていないのかもしれない。 もうとっくに過去は捨て去ったのかもしれない。 だから、妹なんて、ただの過去の遺物で。 捜してもいない? 不必要なもの? それとも もしかしたら、彼にとっても、 妹が私だなんて夢にも思っていないのかもしれない。 わからない。 垂金邸で出逢ったのは偶然? 話を聞きに来てくれたのも偶然? 今、ここにいるのも、偶然? わからない。 紅い瞳と目が合った。 その表情からは、何も読み取れない。 何を考えて、今自分と対峙しているのか。 目の前の少女は、何を知り、何を思ったのか。 「…飛影さん」 「……」 「やっぱりこれは、あなたが持っていてください」 手渡されたのは、いつか返した氷泪石。 その顔は、怒りとも哀しみとも取れない表情をしていた。 受け取った飛影は、何か言葉を紡ごうとして、 しかし、それが出来ないうちに、雪菜は躯の部下とともに通路の奥へと消えて行った。 なぜ託されたのか。 それすらもわからない。 残された飛影の手許で、氷泪石が微かに揺れた。 私には願いがあるの。 どうしても叶えたい願いが。 それは、この子たちにしか叶えられない。 きっと、叶うわ。 第3章「Reach」 了 12/戻/第4章 |