3.

それは黎明のことだった。

複数の足音と、少し先にあるひとつの足音が深い森の中を駆け抜ける。
追われているかのように進むひとつの足音は、灰色のコートをたなびかせ、後ろの集団を引き離す。

追いつけないと判断した集団のひとりが、狙いを定めて矢を射った。
しかし、それは灰色のコートに触れる前に砕け散った。

放たれたのは、冷たい妖気だった。



*



ある建物の前にひとりの男が立っていた。
長身に細身で、長い漆黒の髪が無造作に後ろで束ねられている。
耳より前の髪は一房ずつ残され、褐色のいい頬に影を作っていた。

男は久々に来た街を見渡して、変わっていないことになんとなく安堵を感じた。
懐郷にも似たような思いを抱きながら、一番馴染みのある目の前の建物の中に入った。
そこは2階建ての建物で、1階は酒場、2階は宿屋になっている。
もっとも、宿屋は常連しか泊まれないので、知るものは意外と少ない。

広い酒場のカウンターの一番端に男は向かった。
そこが彼の定位置だった。

「蒼輝…? 蒼輝でしょ!? 久しぶりじゃない!」

カウンターで客と話し込んでいた女主人が、彼に気づいて嬉しそうに声をかけた。

「凛光。元気そうだな」
「当たり前でしょ! そういうあんたは今までなにやってたのよ?」
「まぁ、いろいろな。いつもの頼む」

凛光と呼ばれた女主人は、にこりと微笑んだ。
彼とのやり取りは20年ぶりだ。
久しぶりの再会が彼女には嬉しかった。

凛光はこの地で数百年ものあいだ店を続けている。
その中で、一番付き合いが長いのがこの蒼輝だった。
店で話をする以上の付き合いはなかったが、お互い気心が知れている。

「何百年も生きてるのに、どうしてたった20年がとても長く感じるのかしら」

不思議ね、と凛光は笑った。
頼まれたいつものを出しながら、凛光は艶やかな瞳を蒼輝に向けた。

「この20年、どこでなにしてたの?」
「別にたいしたことじゃない。魔界を転々としてただけさ。知ってるだろ? 俺の放浪グセ」
「それにしたって20年は長いわ。あたしがどれだけ心配したと思ってるの?」
「そんなに俺に会いたかったか」

そう言って蒼輝が笑うと、凛光もまた笑みを見せた。

「もちろんよ。色男に会いたいと思ってなにがいけないの?」



*



何度たぐってみてもどこにもいない。
妖気を感じることすらできない。
地道に魔界をくまなく見渡すしか方法はないのか。
しかし、そんなことをしていたら、この広大な魔界をすべて捜すのに何十年もかかってしまう。

あのときと同じだ。
飛影はそう思った。
2年間捜し続けたあのときも、名前以外の手がかりはなかった。
見つけ出したときはすでに5年の苦痛を味わったあとだった。
あんな目には二度と遭わせたくない。
そう思うのに、見つける手立てがなにひとつない。

「雪菜…」

なにも知らないで探していたあの2年間とは違う。
今は、雪菜の優しさも強さも儚さもすべて知っている。
雪菜への想いが違う。

「なんで魔界に来たんだ…」

訊いても答えてくれる者はいない。
あてもなく捜す。
それ以外に手段を見つけられない自分に、飛影は苛立ちを感じた。



*



「オメェー、飛影と連絡取れるか?」
「飛影と? どうかしましたか?」
「いや、なんかさ、雪菜ちゃん捜すように頼まれたんだけど、邪眼に頼った方が早い気がしてさ」
「…あぁ、そのことですか」
「あ? なんかオメェ知ってんのか?」

幽助の屋台でラーメンを食べていた蔵馬は箸を止め、改めて幽助を見た。

「飛影はすでに邪眼で雪菜ちゃんを捜しましたよ」
「そーなのか? じゃぁ、俺が捜す必要なんて…」
「それが、見つからなかったんです」
「!?」
「彼女の妖気はどこにもなかった」
「…行方不明っつーのはホントみてぇだな」
「えぇ。だから今日ラーメンを食べに来たんですよ」
「…は?」

にこりと笑っている蔵馬の言葉に、幽助は意味がわからないというような顔をした。

「そろそろ霊界から幽助に依頼が来る頃だろうと思ってね」
「!」
「協力しますよ、俺も」

たぶん、どんな結末が訪れたとしても、あの双子の幸せを願わずにはいられないから。



*



「知ってる? 最近この辺物騒なのよ」
「…今に始まったことじゃないと思うが」
「話の腰折らないでくれる? 前より荒れてるのよ」

もともと魔界は治安の悪いところが多いが、ここは比較的おとなしいところであった。
凛光の酒場はこの街の情報の中心地であり、いろいろな取り引きや交渉が行われる場でもある。
凛光自身が仲介人となって仕事を斡旋することも多く、商業から暗殺業に至るまで、
様々な職種の者がこの店に出入りしている。もちろん、ただ飲みに来るだけの客も大勢いるが。
様々な世界の者が入り乱れてはいるが、皆ビジネスの場として利用しているので、
客同士の争いが起こることは滅多になかった。そもそも、マナーの悪い者は、凛光が歓迎しない。
だから、ここは、魔界の中でも割りと治安のいい場所であった。

「荒れてるって…具体的には?」
「裏の森で盗賊が増えたのよ。
 たぶん、この店に出入りしてる金持ちを狙ってるんじゃないかと思うんだけど」
「心配ないだろ。金持ちならボディーガードくらい雇ってるだろうし、
 第一、お前の店をどうにかしようなんて怖いもの知らずはいないさ」
「まぁ、それはそうだけど…」

凛光はその見た目とは裏腹に、大の男が畏れるほどの妖気を持っていた。
だから、迂闊に手を出す者はいない。
凛光自身もそのことは自負している。
だからこそ、この手の店を経営できるのだし、客の方も安心と信頼を寄せることができた。

「でも、妙な噂があるのよね」
「妙…?」
「灰色のマントを着た何者かがその盗賊たちを潰して回ってるって」















2//4