4.

「国を出て生もうとは思わないの?」
「それじゃ意味がないわ」
「…どういうこと?」

疑問の眼差しを向ける泪に、氷菜は微笑んだ。

「言ったでしょ? どうしても叶えたい願いがあるって」
「それは…」
「この国で生むことに意味があるのよ」

この氷河の国で双子を生むこと。それに意味がある。
託した願いはこのふたりにしか叶えられない。
見ることはできないとわかっているけど、叶うと信じている。

唯一の希望だから。



*



「追え! 絶対逃がすな!!」

森の中を駆け抜けるひとつの集団があった。
その中でも、リーダー格の人物が声を荒げて指示を出す。
彼らの前方にいるのは、灰色のコートを着た何者か。

「そろそろ体力も落ちてきてる。すぐ捕まえられるはずだ!」
「任しといてください、お頭!」

返事をした者が弓を構えて矢を射った。
追いかけられている方は、灰色のコートを翻してそれをかわしたが、躓いて体勢を崩した。
そんな絶好のチャンスを見逃すほど、彼らは優しくはない。

「捕えろ!!」

頭の声に、部下たちが手を伸ばしかけた。
しかし、それは威圧的な妖気によって遮られた。

「悪いけど、あたしのナワバリで暴れないでくれる?」

突然現れた女性は、鋭い視線を彼らに向けた。
整った顔立ちに白い肌。
艶っぽい唇に引かれた真っ赤なルージュと、腰まで伸びたウェーブのかかったオレンジの髪。
美人という言葉では形容しきれないほどの美貌を持っている。
しかし、その容姿からは想像できないほどの妖気が彼らを射抜いていた。

「くそっ…動けねぇ…!」
「なんなんだ、この妖気…」
「…凛光…!」
「お頭! 知ってるんスか!?」
「ああ…有名さ」

その会話を聞いて、凛光は満足げに唇の端を持ち上げた。

「今後一切ここで暴れないと約束するなら見逃してもいいわ」
「…!」
「それができないのなら…わかるわね?」

敵意むきだしの凛光の言葉に、頭は黙って頷いた。
言葉を発するだけで命が取られそうな気がした。

「じゃぁ、さっさと消えなさい。ここから」

その言葉とともに、一団はさっと散った。
一目散に逃げていく彼らの後ろ姿を見ながら、凛光はため息をついた。
最近こんなことをしてばかりだ。



「あの…ありがとうございました」

うかがうように後ろから聞こえてきた声に、凛光は振り返った。

「あんた、名前は?」
「…雪菜です」
「そう。…あんたが盗賊を潰して回ってるっていう犯人ね」
「え……?」



*



魔界のどんよりとした空が、いつも以上に闇を帯びていた。
魔界独特の風も、重みを増して纏わりついてくる。
気持ちが重いからそう思うのか。
飛影は星さえ見えない空を、百足の上から眺めていた。

動きたくても動けない。捜したくても捜せない。
手がかりはなにひとつないのだから。

無力感と、それに対する怒りが飛影の中で日に日に大きくなっていくばかりだった。



「働け」

突然聞こえてきた躯の声。
いつの間に後ろにいたのかと思うくらいに突然だった。
しかし、飛影は振り向きもしなかった。

「このあいだまで張り切ってたくせに、急にサボりやがって」
「……」
「そんなんだからお前煙たがられるんだぜ?」
「……」

黙ったままなにも答えない飛影に、躯はため息をついた。
飛影は相変わらず遠くを見たまま、沈黙を保っている。

何を考え、何をしようとしているのか。
躯には見当がつかなかった。
こんなにも無気力な姿は、らしくない。
妹のことになると、彼はつくづくらしさを失う。

躯がもう一度ため息をつこうとしたとき、今まで黙っていた飛影が振り返った。

「…躯」
「なんだ」
「百足を貸せ」
「……なんだと?」
「俺に百足を好きにさせろと言ったんだ」

突然話し始めたと思ったら何を言い出すのかと、躯は飛影を凝視して、不敵に笑った。

「本気で言ってるのか?」
「冗談に聞こえるか?」
「悪いがお前のわがままに付き合ってやれるほどオレは暇じゃない」
「…そうか」

飛影は躯の言葉に頷いてみせ、そして、腰の剣を抜いた。

「なら、力づくで奪うまでだ」



*



「くくくっ…」
「…なによ。笑うならもっと盛大に笑いなさいよ」
「十分精一杯笑ってる」
「……あっそう」

笑い続ける男と、バツが悪そうに顔を逸らす女を交互に見つめながら、
雪菜は、どうしたものかと考えあぐねていた。
自分のせいでこんな状態になったのは明らかなのだが、それがなぜなのかがわからない。

「まさか勘違いとはな…」
「仕方ないでしょ」
「どう見たってこんな子が盗賊潰して回ってるはずないだろ」
「そりゃ、おかしいなーとは思ったけど…」

置き去りにされたまま進んでいく話に、雪菜は意を決して口を挟んでみることにした。

「あの…さっきからなんのお話を…?」
「え? …あぁ、ごめんなさいね。あたしちょっと勘違いを…」
「勘違い…?」

凛光の話はこうだった。
最近、裏の森で盗賊が増え、しかも、その盗賊たちを潰して回っている、
灰色のマントの者まで出たという噂が街で広まっていたのだ。
だから、凛光は真偽を確かめるべく、自ら森に出向いては、
出くわした盗賊に話を聞いたり、場合によっては追い払ったりしていた。

「灰色のマントって…私?」

自分の纏っているコートを持ち上げながら、雪菜が尋ねた。
凛光はため息をつきながら頷いた。

「そうよ。そうなんだけどね…」
「?」
「実際に盗賊を潰して回ってたのは、あたし自身だったのよ」
「え…?」

首を傾げる雪菜に、今まで黙っていた蒼輝が口を挟んだ。

「灰色マントの目撃情報と盗賊が増えたことと、凛光が治安を守ろうとしたことが、
 全部ごちゃ混ぜになって話ができたってことだろう。噂なんてそんなもんさ」
「ホント噂なんて当てにならないわ…。疑って悪かったわね」
「いえ…! 助けていただきましたし、むしろ感謝してます…! ありがとうございました…!」

雪菜が頭を下げると、凛光は人懐っこい顔で笑った。

「あ…でも、なんで盗賊が増えたのでしょう…?」
「さぁ…新しい溜まり場を見つけたとでも思ったんじゃない?」
「…いや、たぶん違うな」
「蒼輝…?」

蒼輝はまっすぐに雪菜を見た。

「君は…」
「雪菜です」
「…雪菜嬢は、いつからこの街に?」
「1週間ほど前ですけど…?」
「凛光。盗賊が増えだしたのは?」
「ここ最近だから、1、2週間くらい前から…。…え、もしかして…?」

凛光の言葉に蒼輝は頷いた。

「たぶん君が狙いだ」
「…! …どうして…?」
「そのコート、妖気を特定させないためのものだろう?
 低級だったらなにも感じないが、上位の者が見ると微かに違和感を感じる」
「……」
「それから、匂いだ」
「匂い…?」
「君からは人間の匂いがする」
「…!」
「そのコートで種族特有の匂いも消されているから、余計際立つ」

蒼輝の言葉に、雪菜は黙った。

「そんな異質がいれば、いろいろ集まって当然だな。
 …まぁ、下級や中級程度じゃ気づかないから大ごとにはなっていないようだが」
「……」
「俺は一応この辺を守る義務があるんだ」

蒼輝は雪菜を見据えた。

「雪菜嬢。君は一体何者だ?」















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