5. 無事を祈ることしかできない。 それはとても無力なことで、とても滑稽で。 そして、とても痛い。 * 「オレに勝てるとでも思ったのか?」 「……」 「まだまだだな、お前」 「…うるさい」 百足の上で、勝者は笑いながら言った。 敗者はその傍で突っ伏している。 「まぁ、確かに百足で探した方が早いだろうな」 「……」 「また焦ってるのか」 「……」 「らしくないぜ、お前」 今にはじまったことじゃないが、と躯は付け足した。 「…そんなことは俺がいちばんよくわかってる」 「自覚はあるのか」 「……」 「なんでそこまでこだわる?」 「……」 「名乗る気はないんだろ?」 「…あぁ」 「傍にいる気もないんだろ?」 「そうだ」 「だったら、お前がそこまで心配してやる必要はどこにある?」 躯の問い掛けに、飛影はすぐには答えなかった。 どうして、なんて、考える必要はない。 ただ、雪菜の顔が浮かぶからだ。 浮かんで消えないからだ。 それに理由をつけなければならないとすれば、その答えはひとつしかない。 「妹だからだ」 だから、守りたい。 名乗らなくても、傍にいられなくても、守りたい。 「その答えは30点だ」 「………は?」 「大切だからとか愛してるからだとか言ってみせろよ。どうせなら」 「……お前からかってるだろ」 「当たり前だ。ここまで付き合わされたんだ。少しはからかわせろ」 躯の言いように、飛影は不機嫌そうな顔をした。 「お前の妹はバカじゃないんだろ」 「…あぁ」 「だったら、ひとりででもなんとかやるんじゃないのか」 「……」 「それでも…」 「大丈夫かどうかなんてわからない」 「……」 「この目で確かめるまでは納得しない」 頑固な兄妹だな。躯はそうぼやいた。 「いいだろう。百足は貸してやる」 「…! お前…」 「ただし、ひとつ条件がある」 「…なんだ」 「次のトーナメントは出場禁止だ」 「……」 「力づくで奪えなかったんだから、それぐらいのペナルティはあって当然だろ?」 そう言う躯に、飛影は何も返す言葉が浮かばなかった。 トーナメント出場か、雪菜の捜索か。 そう言われれば迷わずに後者を選ぶ。 それに、百足が動いてくれるのなら早期発見もあり得るかもしれない。 普段からパトロールを任されている百足のメンバーなら、魔界の地理をほとんど熟知している。 ひとりで探すよりも余程効率が上がる。 なりふりなど構っていられなかった。 「作戦会議開くぞ。下に来い」 「…あぁ」 「それと、言うのを忘れてたが、ちょうど霊界が雇った探偵からも依頼が入ってるんだった」 「…!」 「そいつが煙鬼を説得したらしくてな、大統領命令もさっき下ったところだ」 「……おい」 「まぁ、煙鬼にしてみたら霊界との関係は良好に保っておきたいみたいだしな」 「……待て」 「狐も一枚噛んでるみたいだし」 「じゃぁ、今までのは…」 「茶番だ」 「……」 沈黙した飛影に、躯は唇の端を上げて笑った。 * 名前ばかりでいつも使われていない会議室に、今日は珍しく人が集まっていた。 百足の中で、頭も切れ影響力も大きい、いわばリーダー格の者たちと、 そして、普段は人間界にいるはずのふたり。 蔵馬と幽助を見た瞬間、飛影は無意識に安堵にも近いものを感じていた。 このふたりがいたら、見つかるかもしれない。 確信はなにもないけれど、なんとなくそう思えた。 「よォ、飛影! …大丈夫か?」 「…あぁ」 幽助の言葉にそれ以上なにも答えず、飛影は空いている席に座った。 「躯様。一体なんなのですか? 急に招集などかけて…」 「今後のことについて、大統領府から指示が出た」 「大統領府から…?」 「パトロールは暫く休みだ」 「? では、我々はなにを…?」 困惑している百足の主要メンバーの顔を見渡しながら、躯はゆっくりと口を開いた。 「人捜しをする」 「…人捜し?」 「名は雪菜。氷雪系の妖怪だ。 2週間ほど前から行方不明になってるそうだ。そいつを捜し出す」 「その女はそれほどの重要人物なのですか?」 「霊界の保護下にあるらしい。それ以上の詮索は不要だ」 躯がそう言い切ると、部下たちはそれ以上深く訊こうとはしなかった。 リーダーがやるといえばそれに従う。躯軍はそういう集まりだった。 しかし、ひとりだけ時雨がにやりと笑ったのを、飛影は見逃さなかった。 彼は、百足の中で躯以外に雪菜のことを知っている人物だ。 飛影の妹であることを口外したりはしないだろうが、 その名前が出てきたことをおもしろがっているように見えた。 その光景が、飛影にはなんだか癪だったのである。 作戦会議を開いて以来、雪菜が時空を超えて魔界に到達した地点から捜索を開始した。 彼女が確かにここを通過してきた痕跡は残されている。 しかし、ある商店でその痕跡はぱったりと途絶えていた。 雪菜はその店でコートを購入したのである。 こうやって追跡されることを恐れるかのように。 商店の店主に話を聞くと、コートを買いに来た人物のことを覚えていた。 そこで至高の宝石と引き換えにいくらか換金もしていったらしい。 宝石に残された妖気は紛れもなく雪菜のものだった。 自らの妖気を消すことが出来る特殊なコートは、決して安いものではなかった。 だから、世に出回る機会は少ないし、そもそもあまり使用する機会もない。 それでも雪菜が購入することが出来たのは、至高の宝石――氷泪石のおかげであった。 飛影は店主を問い詰めたが、もちろん彼が雪菜の行き先を知るはずもなかった。 痕跡が途絶えた地点から徐々に捜索範囲を広げていっているものの、 これまで得た以上の情報はまったく出てこなかった。 捜索を開始して数日で、躯軍は完全に行き詰ったのである。 策もなく、あてもない。 百足は動けないまま同じ場所にいた。 動向も掴めず、目撃情報もない。 話し合ったって答えが出るはずもなく、埒があかなかった。 「どーするよ、これから」 「ここまで手がかりが残っていないとはね…」 あそこまで飛影が落ち込むわけだ、と蔵馬は内心で納得した。 「少しはなにか見つかるんじゃないかと思ったんですが…仕方ないですね」 「仕方ないって…」 「当初の予定通り、氷河の国へ向かいましょう。それでいいですよね?」 蔵馬が躯に向かってそう言うと、躯は呆れたように言った。 「だから初めからそこに向かえばよかったじゃないか。 調査なんて面倒くさいことしやがって。これだから頭でっかちは困る」 「任せるって言ったのはあなたじゃないですか」 そう言って蔵馬は苦笑した。 「で? 氷河の国ってーのはどこにあんだ?」 「それは飛影に訊かないと。彼にしか見つけられませんからね」 「…あいつずっと百足の上にいるけど、大丈夫なのか?」 「お兄さんが妹を探さないわけにはいきませんから、大丈夫ですよ、きっと」 通路を歩きながら蔵馬は笑った。 「それに、もうお目当ての国は見つけてると思いますよ」 「え…?」 「だからずっと上にいるんでしょう」 なんの邪魔もなく見えるから。 幽助と蔵馬が百足の上に上ると、そこには微動だにせず座っている飛影の姿があった。 「飛影。氷河の国は…」 「東南東に2万キロだ」 「…動きは?」 「なにもない」 「…そうですか」 飛影は一度も顔を合わせなかった。 ただ集中して氷河の国を見ている。 手がかりはおそらくないとわかっていても。 繋がる場所は、ここしかないのだ。 月さえない闇のなか、百足は行き先を定めて走り出した。 進展したように見えて、しかし、本当はなにひとつ解決していなかった。 「氷河の国に入るのは、飛影だけでいいですよね?」 「あぁ。入口がわかるのもあいつだけだろ」 「なにか少しでもわかるといいんですけど…」 「どうだかな」 躯は注がれている目の前のグラスを手に取って一口飲んだ。 強いアルコールが身体に沁み込んでいく。 「とんだ茶番だな」 「え?」 「そう思わないか?」 躯は含み笑いを見せた。 「気づいてない飛影もバカだと思うぜ」 「躯…」 「お前だって本当はわかってるだろ?」 「……」 「オレたちが目指すべきは氷河の国なんかじゃない」 傾いたグラスが、いっきに空になった。 「飛影が最も行きたくない場所だ」 「…それを飛影に伝える気は?」 「ないな。お前もそうだろ?」 「…えぇ」 「本当に捕まってちゃシャレにならないが…十中八九オレたちの予想は当たってる」 躯の言葉に、蔵馬は差し出されたグラスを受け取りながら頷いた。 「まぁ、自業自得ですよね」 「厳しいな」 「俺は雪菜ちゃん派なんで」 そう笑って蔵馬はグラスを飲み干した。 あのとき、あの海で聞いた彼女の悲痛な叫びが、胸中に再び甦った。 4/戻/6 |