6.

墓前に添えられた花は凍りついていた。
ここは、他の場所よりもいっそう寒く、荒涼としている。

朽ちた墓を見つめて、そして、泪は瞳を閉じた。
悔いても悔いても悔やみきれない。
だけど、当人たちは誰も自分を責めはしなかった。
氷菜も雪菜も。
そして、あの子も殺しに来ない。

「それとも、氷菜。本当は私を恨んでる…?」

問いかけても、当然答えは返ってこない。
だけど、本当は知っている。
氷菜が誰かを恨める性格じゃないことを。
責めたりなんかしないということを。



「母は全部わかってましたよ」
「え…?」
「兄さんのことも、私が出ていくことも」
「雪菜…」
「だから、泪さんはなにも悪くない」
「…!」
「むしろ、巻き込んでごめんなさい」
「やめて、雪菜…。私は、あの子を捨てたのよ…!」
「きっと誰にも守れなかったと思います。この国で、兄を守れた人なんてきっといない」
「…雪菜…」
「だから、泪さんのせいじゃありません」



そう言って氷菜の娘が笑ったことを、泪は昨日のことのように覚えていた。
雪菜は責めないどころか謝った。
殺されるのを待つだけという自分の道さえも認めてくれた。
自分のせいじゃない。そう言った。

氷菜も雪菜も自分を恨みはしないだろう。
でも、だからこそ、自分の罪を自覚せずにはいられない。
深い優しさを知っているからこそ、さらに自分の罪は重くなる。
あんなにも優しい人を裏切ってしまった罪は、一生消えない。



あの子はどうなのだろう。
恨んでいるだろうか。

そこまで考えて、泪は自分が莫迦らしくなった。
忌み子が、人を恨んでいないはずがない。
いくら氷菜の子だからといって、雪菜の片割れだからといって、
あの子まで優しさに満ちているはずがない。

忌み子は冷酷で残忍で。持っているのは残虐な心。
自分を恨んでいないはずがない。



必ず復讐にやってくる。
あの子は私を殺しに来る。
絶対に。



泪はそう強く思った。
それだけが泪の希望だった。
あの子が自分を殺しに来ることで、泪の償いは果たされる。


そこでふと、泪は思った。
氷菜の願いはなんだったのだろうかと。
今まで幾度となく考えてきて、それでも答えの出ない難問だった。

ふたりにしか叶えられない、氷菜はそう言っていた。
氷菜はなにを求めていたのだろう。

国を滅ぼすこと?
国を変えること?

どちらも違う、なんとなく泪はそう思った。





「…おい」

思考の中に埋没してた泪を一瞬ですくい上げる声がした。
この国では全くの異質で、ありえないことで。
その声の低さに、泪は背筋が凍った。
聞いたこともない声音に、振り向くことさえ怖ろしくなった。

もしかしたらあの子かもしれない。
はた、とそう思って、泪は意を決して振り返った。

「…ひとつ訊きたいことがある」

そこには、黒いマントに鋭い目つきの逆毛の少年がいた。
小柄なその少年は、見た目以上に低い声で自分に言葉を投げかけている。

泪はその鋭い目つきに確信を抱いた。
忘れもしない、その強い瞳。

あの子だ。





「あなた…私を殺しに来てくれたの?」

突然の泪の言葉に、少年――飛影はなにごとかと思った。
しかし、次の瞬間にはその言葉の意味を理解した。
この女は、自分を投げた女だ、と。

あのときの言葉が脳内にフラッシュバックする。
殺しに来いと、確かにこの女は言った。
そして、自分は確かにそれに笑って答えた。

でも、それは昔の話だ。
今はそんなの関係ない。

「…あいつがここに来なかったか」
「…え?」
「来ていないか」
「…あいつって…雪菜…?」
「……」
「雪菜を知ってるの…?」
「…来てないならいい」
「あなたが、あの子を捜してるの…?」

泪は事態が飲み込めなかった。
どうしてこの少年が雪菜を?

知っているのは、確かにこの少年が雪菜の片割れであるという証拠。
捜しているのは、雪菜が自分の血を分けた妹だから。

少年は忌み子。
それは、つまり―――

「殺すためじゃない」
「…!」

思考を読んだかのように、飛影はそう言った。

「ここに来てないなら用はない」
「…! 待って…!」

来た道を戻ろうとした飛影を泪は引き止めた。

「あなた氷菜の子でしょう…?」
「……」
「私を覚えてる…?」
「…そんなことに興味はない」
「復讐に来たんじゃないの…?」
「……」
「お願い…私を殺して」





会うつもりはなかった。泪にだけは。
飛影はそう思った。

会ってはいけない気さえしていた。
会えばなにかが変わってしまう。
彼女と自分の因縁は、均衡を保ったまま動かしてはいけなかった。

でも、声をかけてしまったのは、彼女が氷菜の墓前にいたから。
他に理由はなかった。
雪菜のことを訊けるのは、氷菜の墓前に来るような、そんな者でなければならなかった。


本当は会ってはいけなかった。
けれど、いたのが泪でよかったと思っていたのも事実だった。
この国で、雪菜のことがわかるのは彼女しかいないだろうから。
泪が雪菜に会っていないのなら、それは、雪菜はここに来ていないということだ。

国を捨てたはずの雪菜が、そんな簡単にここへ来るはずもない。





「私を、恨んでいるでしょう…?」
「……」
「本当に赦されないことをしたわ…ごめんなさい」
「……」
「氷菜を裏切った私が、赦されるはずがない…」

泪の瞳から一粒の涙が流れた。
氷泪石に変わる前に、雪に紛れて見失った。

「私を殺してちょうだい」
「……」
「それが氷菜とあなたへの償いになる」
「…そんなに死にたいか」
「それであなたの気が済むのなら」
「お前の気が済むだけだろ?」
「…!」
「お前の生死になど興味はない」
「…私を、恨んでいないの…?」



忌み子は冷酷で残忍で。
凶悪で乱暴で、怖ろしい生きもの。
国を滅ぼす災厄。


そうではなかったの?

私を殺してくれるのではなかったの?



「…あいつはいつかお前に会いに来る」
「…!」
「それまで生きてろ」
「…あなた………間違いなく氷菜の子だわ…」

泪は涙が止まらなかった。

こんな言葉をもらう資格なんてないのに。
彼は殺すどころか、新たな生きる希望をくれた。
自分に生きろと言ってくれた。

それは忌み子だからじゃなく、氷菜の子だからこそだと泪は思った。

殺される覚悟をずっとしてきたはずなのに。
それが唯一の償いのはずだったのに。

「後悔しているなら生きて償え」
「……」
「お前の死を氷菜は望んでいない」
「…!」


わかってるんだろ?

そんな目で飛影が自分を見ている。
泪はそんな気がした。





「あなた、名前は…?」
「…俺のことはもう忘れろ」

そう言い残して、飛影はその姿を消した。
なにごともなかったかのように、雪だけが吹雪いていた。



どうして彼が雪菜を捜しているのか。
そんなことは、訊く必要などない。

泪はそう思った。















5//7