3.

「ちょっと待てよっ! どーゆーことだよっ!!」
「仕方ねぇーだろ、桑原! オメェーは人間なんだから」
「そんなもん平気だぜ! 俺ァ、仙水との闘いで魔界に行ったことあるんだ!
 あんときは無事だったじゃねぇーか!」
「だから、あれは表層だったからで! 9層はオメェには無理だ!」

制止する幽助の言葉に、桑原はなおも引き下がろうとはしなかった。

「大丈夫だって! 雪菜さんのピンチだってのに、じっとしてられるか!」
「気持ちはわかるけどよ…」
「幽助の言う通りだ。9層の瘴気は表層とは比べものにならないくらい濃い。
 桑原くんが行くのは無理だ」
「蔵馬まで…! けど、雪菜さんが…!」

桑原は唇を噛んだ。

「俺が幸せにするって決めたんだ…!」
「桑原くん…」
「あんなに傷ついてるのによ…助けに行けねぇなんて…、そんなの…」
「……」
「…そんなの、あんまりじゃねぇーか…」



贅沢になってしまった。そう言って笑った彼女。
あまりの儚さを痛感した瞬間だった。

彼女がどんな日々を過ごしてきたのか。
里帰りで何があったのか。
彼女は話してくれなかった。


今思えば、彼女は核心に触れることは何ひとつ話してくれてはいなかった。
いつも優しくて、いつも笑顔で、いつも新しい生活に楽しそうに笑ってくれた。
今日は何をした、今日は何を覚えた。
そういうことはなんでも話してくれたから、彼女のことを知っている気になっていた。

本当は、何もわかってはいないのに。



「助けてぇーんだよ、この手で…」
「桑原…」
「…ふん。だから死んでも構わないってことか」

今まで黙っていた飛影が、桑原を睨みつけた。

「ふざけるのもいい加減にしろよ」
「! なんだと!?」
「9層の瘴気は根性でどうにかなるもんじゃない。貴様が行っても邪魔になるだけだ」
「でも俺は…!」
「雪菜が助かっても、貴様が死んだら意味ないだろうが」
「…!」
「貴様の死をあいつに背負わせる気か」
「! そんなつもりは…!」
「…これ以上は時間の無駄だ。貴様は家でも直してろ」

そう言って飛影は背を向けた。
うなだれた桑原の肩を、蔵馬が叩いた。

「俺たちが必ず救い出します。だから、任せてください」
「……あぁ、わかった…」
「部屋、直しておいてくださいね」
「……」
「雪菜ちゃんが、また暮らせるように」
「…! …おぉ」

桑原は穴の空いた部屋を見上げてから、幽助、蔵馬、飛影、ぼたんの顔を順に見た。

「絶対に、助け出してくれよ! 俺の分まで…絶対に!!」
「おぅ、任しとけ!」

桑原の言葉に強く頷いたと思った次の瞬間には、彼らの姿は消えていた。



*



9層南部。
そこには大きな要塞が建てられていた。
それ以外の建物は、ここには見当たらない。
要塞には結界が何重にも張り巡らされ、さらに建物の周りを警備員が絶えず巡回していた。

珍種コレクター蒐魁(しゅうかい)。
コレクターを名乗る者の中では、そこそこ名の知れた妖怪だった。
コレクションを手に入れるためには手段を選ばず、
欲しいものはなんでも手中に収めようとする強欲な奴だった。
彼自身が捕獲に乗り出すことはほとんどなく、部下にその役目を任せていた。
その部下の手荒さも、蒐魁を有名にしている一因となっていた。

要塞の中で、実際に何が行われているかを知る者は少ない。
しかし、蒐魁はコレクションを傍に置いて愛でるだけではなく、
生体実験を繰り返しているのではないかという噂があった。
稀少な種を捕獲し、生体のあらゆるデータを採取しているのではないかと。

データを取られたサンプルがどうなったかは、もちろん誰も知らない。



その一室。

「さっさと歩け!」
「…うっ…!」

どさりと音を立てて、雪菜の小さな身体が崩おれた。
そのとき、頭上から別の声が聞こえてきた。

「おい! いつも言っているだろう! コレクションは大事に扱えと」
「蒐魁様! も、申し訳ありません。娘が想像以上の抵抗を見せたもんで…」
「言い訳はいい。…そいつが氷女か」
「はい! 人間に飼われていたのを奪ってきました」
「…!? 私は…!」

その言い方に反論しようとしたが、雪菜は反射的に動いた男に取り押さえられてしまった。

「ったく、油断も隙もねぇ」
「元気な女だ」

そう言って近づいてきた蒐魁と呼ばれた中肉中背の白衣の男が、雪菜の顎を持ち上げた。
陰湿な目が、雪菜の大きな瞳を覗きこむ。

「すまないな。部下が手荒な真似をしたようだ」

そう言って、雪菜の身体を上から下まで見下ろした。
クリーム色のパイル地のルームウェアに身を包んだ雪菜の身体は傷だらけだった。
彼女がどれだけの抵抗を見せたのか。
その姿を見ただけで、容易に想像がつく。

「…私を…どうする気ですか」
「なに、ちょっと協力してくれればいい」
「協力…?」
「そうだ。氷女の生態は今も神秘に包まれている」
「…!」
「そういう珍しいものがどうなっているか知りたくてね」
「…氷泪石ですか」
「そんな石ころには興味はない」
「…?」
「そのメカニズムには興味があるがな」

その言葉と蒐魁の表情に、雪菜は背筋がぞくりと凍るのを感じた。

「俺が欲しいのはその身体さ」
「…!?」
「君が持ってるあらゆるデータが欲しい」
「……」
「氷女のデータはそうそう入って来なくてね。ずっと欲しいと思ってたんだ」

にやりと蒐魁が笑う。
そして、顎に手をかけたまま、親指で雪菜の唇をなぞった。

「それにしても…これはなかなかの上玉だ」
「……」
「氷女は男と交われないのが残念だな」
「!」
「…まぁ、それはデータを全て取ったあとに考えるか」

指の腹が唇を何度も撫でた。
その度に、雪菜を恐怖が襲う。

蒐魁の仕種と視線に、雪菜は今まで感じたことのない恐怖を感じていた。



*



「まさか本当に捕まるとはな」
「……」
「だが、これも」
「俺のせいだと言うんだろ」
「…わかってるじゃないか」

そう言って笑う躯と、飛影は一度も視線を合わせようとしなかった。

9層南部へと向かう百足には、躯軍の面々と、幽助、蔵馬、
そして、ぼたんをはじめとする霊界の者たちが乗っていた。
霊界からの使者だと聞いて、躯はあからさまに嫌な顔をした。
しかし、大統領命令である以上、敗者である躯は従わざるをえない。

魔界と霊界の両者の目的は、蒐魁の逮捕だった。
魔界の自治法と霊界の保護法を彼は破ったのだ。
この合同捜査チームは、両者のメンツを立てるために設立されたものだった。

犯人である蒐魁を、生きて捕獲すること。
それが、この捜査の唯一の条件だった。

「9層へ行くのも、奴を捕らえるのも、恐らく簡単なことだろう」
「……」
「蒐魁自体の強さは目に見えてる」
「…あぁ」
「雪菜を救い出すのは容易い」
「…本当に救えればの話だがな」

飛影の言葉に、躯もそうだなと同意した。

「何かはされるだろうな」
「……」
「げすい奴で有名だ」

躯の言葉に、飛影の妖気が怒りで波立つ。
拳を強く握りしめていた。

「殺したければ殺せばいい」
「…!」
「言い訳などいくらでもできる」

そう言った躯の顔は、いつものからかう調子ではなかった。

「この手の奴はオレも嫌いでね…虫酸が走る」















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