6.

相応しくない。
自信がない。
勇気がない。
それは、すべて言い訳で。

本当は傍にいるのが怖かったんだ。
とても大切だから、嫌われることも、失望されることも、呆れられることも怖かった。

だけど、もう逃げるのはやめた。
覚悟を決めた。

何があっても、この手で守る。



*



「1日中そうしてるけど、ちょっとは協力する気になった?」

格子の向こうから、黄緑色のボブカットの女が様子をうかがうように言った。
雪菜がここに連れて来られてから、そろそろ1日が経つ。
しかし、雪菜の態度は、依然として変わらなかった。
実験に協力する気も、蒐魁の言いなりになる気もない。

「ふ〜ん…氷女ってもっとか弱いイメージあったけど、意外と根性据わってんのね」
「……」
「でも残念ね、タイムアウトよ」
「…!」
「蒐魁様が痺れを切らしてるわ。早くいろいろ知りたくて、うずうずしてるの」

そう言いながら、女は格子の扉を開けた。

「来なさい」
「…嫌です」
「いけない子ね」

女が言うと同時に、いつの間にいたのか、後ろに控えていた大柄の男が、
格子の中へと入ってきた。雪菜の腕を問答無用で引きよせる。
雪菜は抵抗しようとしたが、大の男に敵うはずもなく、引きずられるように牢屋から出た。
男に後ろ手を掴まれ、そこに鎖を巻かれた。

「悪いわね、力づくでも連れて来いって言われてるの」

雪菜の乱れた服を直しながら、女は笑って言った。
丈の短い衣は、少し動いただけで、すぐに太腿が露わになる。
女はその裾を直しながら、雪菜に囁いた。

「あんたがその生態の神秘を教えてくれたら、蒐魁様があんたに快楽を教えてくれるわ」
「…?」
「交われないって言っても、戯れくらいは構わないんでしょ?」
「…それは、どういう…」
「あら、わからない? …まぁ、無垢を穢すのもそれはそれでいいかもね」

女はそう言って笑い、雪菜の返答を待たずに歩き出した。
女の言葉の意味がわからず、雪菜は困惑して立ち尽くしたが、
男に小突かれ、進まざるを得なくなった。



ただわかるのは、冷たい廊下の先には、絶望が続いているということだけだった。



仄暗い階段を上がり、地下牢から地上階へと上がる。
廊下の冷たい感覚が、裸足の足から伝わった。
これから起こることがどれだけの恐怖か、考えなくてもわかる。

甦る過去の傷。消えない火傷。
恐怖に襲われる度に浮かぶのは、彼らの顔だった。
絶対に来てくれると信じてやまない彼の姿。

だから、絶対に負けない。
恐怖にだって、耐えてみせる。
あの男の言いなりには絶対にならない。





廊下の奥へと進んでいくと、ひときわ大きな通路へと出た。
その両側には、大きなカプセルのようなものがいくつも並んでいる。
その傍を通り過ぎて、雪菜は息を呑んだ。
カプセルの中には、何かの液体に浸けられた妖怪の姿。

「あら、安心して? 別にあんたがこうなるわけじゃないわ」
「…でも…」
「これはね、まだ死んじゃいないの。まぁ、生き返ることもないけど」
「……」
「綺麗なまま残したいっていう蒐魁様のコレクションよ」
「…!」
「いくら珍しくても、老いたらみっともないでしょ?」

当然だという口調で女はそう言った。
カプセルの中の妖怪たちは、確かに美しい姿のまま、まるで剥製のようにこちらを向いている。

「データはすべて取ったし、あとは純粋に見て楽しめればそれでいいの」
「……」
「大丈夫よ。蒐魁様に気に入られれば、多少老いても傍に置いてくれるわ」

あんた、まだ若いんだし、と女は付け足した。
そして、立ち止まっている雪菜に近づく。
ただでさえ白い肌が色を失くしている様子に、女は笑みを浮かべた。

「こうなりたくなかったら、おとなしくしなさい」
「……」
「助けなんて、来ないんだから」

囁かれる言葉に、さらに恐怖が増していく。
抵抗の意思が徐々に削がれていく。
そのために、このカプセルは牢屋から続く道に配置されているのだろう。
実際目の当たりにすれば、その効果は絶大だ。





カプセルのある廊下を抜けて辿り着いたのは、大きな部屋だった。
中央に診察台のような大きめのベッドがあり、その周りには様々な器具が置かれている。
大型スクリーンの傍にコンピュータが置かれ、何かのデータを映していた。

「やっと来たか」

スクリーンの近くのデスクで、何やら作業をしていた蒐魁が、
待ちわびたように椅子から立ち上がった。

中肉中背で白衣を身につけ、髪はくすんだ黄土色だった。
長さはざっくばらんに切り揃えられ、時折伸びた前髪が顔にかかって、鬱陶しそうにしていた。
背は170センチもなさそうな小男で、細く小さい目が陰湿さをさらに演出していた。

青白い顔をする雪菜に向かって、蒐魁はにやりといやらしい笑みを向けた。

「君に僕のコレクションを紹介してあげよう」

そう言って、大型スクリーンに映し出されたいくつかの写真。
雪菜は金縛りに遭ったように動けないまま、スクリーンを見ていた。
珍しく、そして美しい妖怪たちの姿が、次々に映し出される。
その中のいくつもが、先程のカプセルで見た姿だった。
余程のお気に入りなのだろう。
蒐魁は自慢げな顔をしていた。

「僕は今まであらゆる珍しいものを手に入れてきた」
「……」
「コレクターの中じゃ、有名な方なんだよ」

得意気に語る蒐魁が、雪菜へと近づいた。

「コレクションの数も、データの分析力も、そしてこの結界の技術力も、僕の自慢さ」
「……」
「そして、やっと君を手に入れた」
「…!」
「これでまた、自慢が増える」

にやにやと笑う。
雪菜は不気味に感じて後ずさろうとした。
しかし、その腕を蒐魁に掴まれた。

「怖がることはないさ。君はただ僕に従えばいい」
「…っ…」
「悪いようにはしないよ」

背筋がぞくりと凍る。
脚が震え、鼓動が速くなっていく。

垂金権造の場合は、ただの金持ちの戯れだった。
暴力的行為を何度もされたが、数粒の氷泪石で、彼の怒りは治まった。
そして、次の氷泪石が必要になるまでは、恐怖から解放された。

しかし、目の前の男は違う。
この男が満足することはない。
データを取りつくすために、ありとあらゆることをするだろう。
データを取りつくしたあとも、コレクションとして支配されるのだ。



だめだ。

怖い。



雪菜は体を捩って蒐魁の手を振り払った。
後ろ手に縛られた鎖が、音を立てる。
後ろに立っていた大男が、すかさずその身体を掴んだ。

「…いやっ…! 放してっ!」

雪菜は精一杯の抵抗を見せる。
しかし、両腕を拘束されてうまく動けず、その上、力では敵わない。
大男に身体を抑えられ、首を蒐魁に掴まれた。

「相変わらず元気な娘だ」
「…っ…!」
「これは氷女の特徴なのか、それとも個体的特徴か…? ますます興味が湧くな」

掴まれた首に、わずかに力が込められる。
蒐魁の目が、鋭くこちらを見ていた。

「僕は気が短いんだ…言うこと聞かない子にはこうだよ」

そう言って取り出した、1本の注射器。
蒐魁が注射器のピストンを押すと、先端の針から一滴の液体が流れ落ちた。
その注射器を、雪菜の首元に向ける。

「やめて…っ!」

抵抗も虚しく、針が首に刺さる。
注射器の液体が体内に入っていく。
痛みはなかった。
しかし、徐々に力が抜けていく。
立っていられなくなって、足ががくりと崩れそうになる。
その様子を見ながら、蒐魁は雪菜の身体を支えている男に指示を出した。

「診察台に乗せろ」

ぐったりとした雪菜の身体を男が抱き上げる。
雪菜は朦朧とする意識の中、抵抗しようと必死だった。
身体は言うことを聞かなくなってきたが、それでも、
まだ瞳は蒐魁を捕らえて精一杯睨みつけていた。

「諦めの悪い娘だ」
「そうなのよ、蒐魁様。助けが来るって言って聞かないの」

女が大袈裟に肩をすくめながら言った。

「助け? 来られるもんか」
「…必ず…来ます…っ…」
「驚いたな、まだしゃべれるのか」

診察台の傍に何やら器具を並べながら蒐魁が言った。
雪菜は沈みそうになる意識を懸命に繋ぐ。

「…兄さんが…来てくれる…」
「兄さん? 氷女にそんなものいないだろう」
「…っ…いる、わ…」
「ふん…そいつは一体なんて名だ?」

信じていないように笑いながら、蒐魁が言う。
いたとしても来られるわけがない、そんな風に嘲笑っているかのようにも見えた。
雪菜は消えゆく意識の中、ひとりの顔を思い浮かべながら、一言だけ呟いた。



「……ひ…えい……」



雪菜は意識を手離した。















5//7