7.

嫌われているかもしれない。
いらないと思われているかもしれない。

だけど、必ず来てくれる。
きっと見捨てたりはしない。
あなたは、いつだって私を助けてくれたから。

だから、絶対に来てくれる。



*



「…っ…!」

雪菜は目を見開いて、飛び起きた。
鼓動がばくばくと早鐘のように鳴っている。
辺りを見渡すと、先程までいた実験室ではなく、地下牢でもなかった。
ごく普通の部屋の、ふかふかのベッドの上にいた。

部屋の奥のソファには、黄緑色の髪のボブカットの女がいる。
雪菜が目を覚ましたのに気づき、ソファから立ち上がってこちらに向かってきた。

「あら、もうお目覚め?」
「……」
「どう? 気分は」
「…ここは…」
「あんたの部屋よ」

困惑する雪菜をよそに、女は遠慮なくベッドに腰掛けた。

「あんたって、なかなか薬効かないし、目覚めるの早いし…こういうのの耐性でもあるわけ?」
「……」
「まぁ、いいわ」

女が溜め息をつきながら言った。
雪菜は女の言葉を脳内で反芻しながら、記憶を辿る。

自分に、何が起きたのか。

実験室で注射をされ、力が抜けて、意識を失った。
そのあと、一体どうしただろうか。
何を、されたのだろうか。
まったく思い出せない。

身体が少し気だるいくらいで、それ以外に違和感は感じない。
けれど、自分の知らないところで何かされたのだろうか。
あの男が欲するデータとやらを、取られたのだろうか。
協力すれば、部屋を与えられると言っていた。
ということは、自分は協力したということなのだろうか。



「兄貴がいるなんて、なんなのまったく」
「え…?」
「しかも“飛影”? 躯軍のあの飛影だっていうの?」

女はイライラしたように言った。

「なんなのよ、おかげで何もできなかったじゃない!」
「…! …何も?」
「そうよ! だいたい氷女に男兄弟がいるなんておかしいと思ってポリグラフとかやったけど、
 あんたは嘘ついてないし!」
「……」
「飛影について調べてみたら、忌み子だなんて情報出てくるし…なんなのよ、もう!」

女の投げやりとも取れる言いように、雪菜はただ呆然としていた。

「本当に兄妹かなんてどうでもいいのよ。あの飛影と知り合いっていう時点でヤバイの。
 あいつの仲間…躯とか妖狐蔵馬とか、いろいろ出て来るじゃないの…!」
「……」
「本当にあの飛影が助けに来るっていうの?」
「…来ます。絶対」

それだけは、自信を持って言える。
女は雪菜をじっと見た。
その真偽を確かめているようだった。
しかし、諦めたかのように溜め息をつく。

「飛影が絡んでるんじゃ、下手に手出せないじゃない」
「……」
「蒐魁様もがっかりしてるわ。せっかく手に入れた上玉なのに」
「……」
「…でもね、それは飛影が本当に助けに来たらの話よ」
「…!」
「あんたみたいな小娘に肩入れするような男には見えないし。
 それに、いくらなんでも、ここの結界は破れないわ」

誇らしげに女が言う。
結界には、絶対の自信があるようだった。

「あんたの言葉が本当かどうか、しばらく様子を見ることにしたわ」
「……」
「もし、助けが来なかったら…そのときは、大人しくコレクションになるのね」

女はにこりと笑って、白衣を翻して部屋を出て行った。
ドアが閉まる瞬間、ロックが掛かる音がした。
この部屋から出ることは、容易ではなさそうだった。



女が出て行ったあと、雪菜はしばらく呆然としていた。
驚いたのは、何もされていないというその事実。

あの恐怖から救われたのだ。
彼の名が、守ってくれた。
こんなに離れていても大きな影響力を持っている彼に、自分は守られたのだ。

そして、今、この瞬間も、心の中で大きな支えになっている。



だから、待っているだけでは駄目だ。
自分の力でなんとかしないと。

兄に会うためだったら、なんだってする。
そう覚悟を決めた。

頼るだけじゃない。足手まといにはならない。
そのために、まず、ここから出るんだ。



雪菜は静かに目を閉じた。
そして、ゆっくりとその身体に妖気を漲らせた。



*



9層南部へと一直線に目指す百足の中。
捜査チームの面々はミーティングルームに集まっていた。
といっても、ごく限られたメンバーしか招集されていなかったが。

魔界と霊界の合同チームであるため、百足内には霊界の特防隊も乗っている。
異質な状況に、百足側は明らかに不満気な顔をしていた。
しかし、それ以上にピリピリした空気を醸し出しているのが、飛影だった。
迂闊には近づけない程に不安定な妖気で、無意識に周りを威嚇している。
百足側も特防隊も、腫れ物に触るかのように遠巻きに見ていた。
その様子を唯一楽しんでいるのは、躯だけだった。

「今回の任務は、珍種コレクター蒐魁の捜査及び逮捕だ」

進行役を任された躯の部下が話し始めた。

「蒐魁は魔界の自治法と霊界の保護法に違反し、人間界における家屋の破壊および拉致の容疑で、
 現在、指名手配中だ。奴は、大統領府からの出頭の要請にも未だ応じていない」

部下がモニターに、蒐魁の顔と要塞の写真を写し出した。
ミーティングの出席者は、手許の資料とモニターを交互に見ている。

「我々の目的は、蒐魁を生きたまま捕らえ、研究データを持ち帰ること。
 そして、霊界の目的は、拉致された人物を保護することだ」
「それで? 要塞への侵入方法は?」
「それについては、蔵馬が説明する」

指名を受けた蔵馬が、その場に立ち上がった。

「蒐魁の要塞の結界は、非常に高度で複雑です。
 完全にシステム化されており、たとえ一部を解除しても、すぐに修復されるように出来ている」

蔵馬がモニターに図面を表示させながら説明した。
様々な数値や数式が表示されていたが、それを理解できた者は、ほんのわずかだった。

「ですから、今回の方法は至ってシンプルです。
 幽助、飛影、躯、俺の4名が、それぞれ40%の力を一気にぶつければいい」

そう言って、また新たな数式が映し出された。
それぞれの妖力値と、結界の強度の推定値をもとに、導き出されたものらしい。

「40%って…大体でしか調節できねぇよ」
「誤差は±3%までです」

んなこと言われてもなぁ、と幽助は頭を掻いた。

「待て。躯様にも協力させる気か」

口を挟んだのは、奇淋だった。

「そのようなことはさせられん。我らにやらせろ」
「構わん」
「しかし、躯様…!」
「オレは、さっさと終わらせたいんだ。これが一番効率がいいんなら仕方ない」

躯は気分を害した様子もなく、淡々と言った。
その協力的ともいえる姿勢を奇淋は不思議に思ったが、それ以上食い下がることはなかった。

「こんなことなら、桑原連れてこりゃよかったな」
「そうさね! 桑ちゃんの次元刀なら一発だよ!」

幽助のぼやきに、ぼたんが賛同した。
確かに桑原の次元刀なら、難なく結界を破ることが出来る。
しかし、それは、不可能に近い。

「そんなことしたら、辿り着く前に彼が死にますよ」

生身の人間である桑原は、魔界の濃い瘴気には耐えられない。
瘴気を遮断する防護服のようなものがないわけではないが、今は彼を迎えに行く時間が惜しい。

「そもそも、そのデータってのは信用できんのか?」
「信憑性はかなりあります。大統領府に寄せられたこのデータは、
 実際に蒐魁から被害を被った者たちが、奴を打倒するために集めたものですからね」

随分恨まれてるみたいですよ、奴は、と蔵馬は付け足した。

「40%かぁ…」
「しっかりしてよ、幽助! あんたたちに懸かってるんだからね!」
「わーってるけど…強すぎたら全部吹き飛ぶんだろ?」
「そういうことです。シンプルでわかりやすいでしょ?」
「いや、そーだけどよ…」

プレッシャーかけんなよ、と幽助は蔵馬を睨んだ。

「安心しろ。オレが調整してやる」
「躯!」
「そのためにオレも頭数に入ってるんだろ?」
「…お見通しですね」

躯の視線に、蔵馬は観念したように言った。
この結界を破るためには、強大な力だけでなく、ベテラン戦士のテクニックも必要とされる。
力が足りなくても、強すぎても駄目なのだ。そのために、力を加減できる者が必要だった。
その役目を、躯と蔵馬自身が負う予定だった。

蔵馬はちらりと自分の向かいの席を見る。
蔵馬の懸念は、幽助よりもむしろ飛影であった。
彼の妖力は、恐らく感情に大きく左右されるだろう。
少しでも余裕があればいいのだが、今もなお一言も発しないところを見ると、
そうはいかないだろうと蔵馬は思った。



シンプルな作戦が吉と出るか凶と出るか。


それは、誰にもわからないことだった。















6//8