8. 魔界と霊界の合同会議のあと、 百足側だけで、蒐魁の捕獲方法や研究データの移送方法などが確認された。 蒐魁の身柄は、のちに合流する大統領府の車両で連行することになっている。 そして、保護した人物は、百足で移送することになった。 この人物について、百足内で特に話題になることはなかった。 人間界の者で、霊界が保護するということになっているため、別段興味を抱いてはいなかった。 そのため、1ヵ月前に百足が捜索を命じられ、 保護した少女だと知っているのは、ほんの一握りしかいなかった。 そもそも、1ヵ月前に百足に彼女が乗ったときも、その姿自体は、 ほとんど晒されることはなかった。 多くの者の目に触れさせたくないという配慮が働いた結果、 ごく一部の者としか対面していないのである。 前回の任務も、今回の任務も、どこか不透明性がある。 それでも、百足の面々は、それを気にしてはいなかった。 躯がやるといえば従う。それだけだった。 しかし、少しも疑問を抱かないわけではなかった。 「腑に落ちないか」 会議のあと、見透かされているかのような躯の言葉に、奇淋は畏まったように「少し」と答えた。 「今回の任務、失敗すれば恐らくオレたちも損害を受ける」 「…それは、飛影が関係しているのですか」 奇淋は、会議室の奥をちらりと見てから言った。 もともと気分屋な男であるが、ここまで妖気が荒れるのは珍しい。 「じきにわかる」 躯はにやりと笑った。 面白がっているようなその姿に、これ以上の詮索は無用だと奇淋は思った。 事が終わればすべて明らかになる。そういうことなのだろう。 躯は自室に戻り、ベッドに身を預けた。 自分は、少し肩入れしすぎなのだろうと思う。 今回のことに対してではなく、飛影自身に対して。 触れた記憶は心地よく、戦闘センスも天才的で、ひねくれた性格も気に入っている。 過去の呪縛を解いてもらった借りもある。 だから、多少は協力してやってもいいと思ったのだ。 焦ってらしくない言動をする姿を見るのも面白いと思った。 そして、何より、飛影が大事にしているものに興味があった。 記憶の奥底に大事に守られているその存在に。 1ヵ月前に初めて対面したとき、その少女はほんの少しだけ動揺の色を見せたが、 すぐににこやかに微笑んでみせた。 見た目とは裏腹に、肝の据わった女だと躯は思った。 容姿はまるで似ていないが、目だけはそっくりだった。 意志の宿った真紅の瞳。 あのときは、ただ礼を述べられただけで、あの少女のことを知る機会はなかったが、 飛影が守りたくなる理由を、なんとなく理解した。 ただの弱い存在ではないから、気に掛けずにはいられないのだろう。 * 雪菜はベッドに腰掛け、瞳を閉じていた。 これからすべきことを、脳内で反芻する。 結界によって妖力を抑えられているが、まったく使えないわけではない。 それは、先程確認済みだ。力を込めれば、2割程度は出せる。 垂金邸の結界と同じだ。直接呪符を巻かれない限り、多少の冷気を操ることは可能だった。 あとで食事を運びに使用人が来ると、白衣の女は言っていた。 まずは、情報を得る。 そして、この力でここから出る。 部屋のロックが開いた。 その音と同時に、雪菜は瞳を開けた。 「食事だ」 扉が開くと同時に入ってきた、1匹の妖怪。 長い耳と大きく長い尻尾が特徴的な、背の高い男だった。 恐らく自分よりは低級だ。雪菜はそう判断した。 「蒐魁様が夕食にはお前を部屋に連れて来いと言っていた。あとでまた迎えに来るぞ」 「…わかりました」 「なんだ、やけに素直だな」 男は意外そうな顔をしながら、持ってきた食事をサイドテーブルに置いた。 「…彼は科学者なんですか?」 「そうだ。コレクターである以前に、有名な科学者だ」 「結界は…絶対に破れないと」 「当たり前だ。今まで破られたことはねぇ。 …あぁ、そう言えば、お前、助けが来るとか言ったらしいな。諦めな。あり得ねぇ」 「どうしてそう言い切れるんですか? もしかしたら…」 「いや、無理だな。ここの結界は蒐魁様が開発したシステムによって無人で稼働してる。 機械ってのはすげぇもんで、どっか1ヵ所結界を破っても、すぐに復旧するように出来てる」 男は誇らしげに語り続けた。 「まぁ、いっぺんに結界全部破っちまえば、復旧する間もなく破れるだろうが、 そんなこと不可能に近い。中から切らない限り破れねぇよ、この結界は」 「そんなにすごいんですか?」 「すごいなんてもんじゃねぇ。この大掛かりな結界を、 たったひとつのシステムで制御してるんだぜ? そんなもん作っちまうなんて、天才だぜ、蒐魁様は」 「たったひとつ…?」 「そうさ。制御室にあるコンピュータが管理してるのさ。蒐魁様の傑作だぜ」 自分のことを自慢するかのように、男は結界について語った。 ここの者たちは、この結界について余程の自信があるようだった。 「それは、どこにあるんですか?」 雪菜が問う。 それは何かを決意したかのような顔だった。 「ふん、それはさすがに…」 そう言いかけて、男は異変に気づいた。 部屋の温度が急激に下がっている。 そう、ここは、既に氷点下の世界になっていた。 雪菜は冷気を集中して男に当てる。 結界で力を抑えられていても、目の前の男を凍らせるくらいならできそうだった。 「制御室はどこにあるんですか?」 雪菜が静かに問う。 冷気に覆われた男は、酷く凍えていた。 急激に冷やされ、寒さで意識が朦朧とする。 「教えてください」 雪菜が静かに囁く。 震える男は、朦朧とする意識の中、小さく答えた。 「……2階の…中央…」 「…そうですか。ありがとうございます」 そう言って、雪菜は男に息を吹きかけた。 それは、恐ろしく冷たい冷気だった。 男がその場に倒れる。 寒さに耐えきれず、気を失ったようであった。 「……ごめんなさい」 雪菜は男のポケットから鍵束を抜き取り、扉のロックを解除して、部屋を出た。 ここの住人は、誰もが結界に自信を持っている。 だから、自慢げに話してくれる人物がいるのではないかと踏んでいた。 今まで破られたことがないのではなく、破ろうとした者がいなかっただけなのではないか? 外からは確かに難しいかもしれないし、実際破ろうと試みた者もいたかもしれない。 しかし、中からはどうだろうか。 蒐魁の残酷さ、そして、絶望という状況の中で、 自信満々に語られるこの結界を破ろうとした者が、どれだけいただろうか。 機械は確かに万能だ。 しかし、それは外からの攻撃に対してであって、中からの攻撃には意外と弱い。 そこを突くのだ。 廊下を走る雪菜の鼓動は、早鐘のように鳴っていた。 ばくばくと脈打つ鼓動の音が、漏れ聞こえるのではないかと思うほどだった。 手が汗で湿っている。 部屋に食事係が来るまで、誰かを傷つける覚悟だけが、どうしてもできなかった。 誰かを脅すような行為を、まさか自分がやることになるとは思いもしなかった。 しかし、やらねばどうしようもなかった。 情けをかけたところで、別にあの男が助けてくれるわけではない。 生き残るためだ。 雪菜はそう自分に言い聞かせた。 結界の強固さからくる自信なのか、廊下にはほとんど監視カメラも巡回する者もいなかった。 どうせ結界の外には出られないのだから、内部に見張りは必要ないということだろうか。 誰もいない廊下を、雪菜は走り続けた。 丈の短い衣は、走るたびに裾が翻り、すぐに太腿が露わになる。 しかし、今はそんなことを気にしていられない。 なりふりなど構っていられなかった。 恐怖には負けない。 支配にも屈しない。 必ずここから出てみせる。 生きなければならない理由がある。 会いたい人たちがいる。 もう過去の自分とは違う。 胸を張れる自分で、あなたに会いに行く。 * 額に書かれた“V2”の文字。 その巨体を揺らしながら、百足は目的地に辿り着こうとしていた。 大きな音を轟かせ、徐々に要塞へと近づいていく。 「そろそろだな」 「ええ。みなさん、準備はいいですか」 幽助、蔵馬、飛影、躯の4人は、既に百足の上でスタンバイしていた。 肉眼ではまだ、その姿を捕らえることはできない。 しかし、確実に近づいていることを、感覚的に感じていた。 飛影は拳を握りしめた。 失敗すれば、要塞ごと吹き飛ぶ。 そんなことは、絶対に避けなければならない。 必ず救い出す。 この手で。 「…待ってろ」 飛影は誰に呟くでもなく、そう言った。 もうすぐ蒐魁の要塞が視界に入る。 そう思った瞬間、けたたましい音が鳴り響いた。 「!!?」 「おい! どうした!?」 「これは…!」 それは、異常を知らせるサイレンだった。 7/戻/9 |