11. 蒐魁の要塞は破壊され、蒐魁自身も研究データとともに大統領府へと連行された。 彼のコレクションとして捕まっていた者たちも解放され、9層南部は再び静けさを取り戻した。 夜も更け、任務を終えた百足内部は、静寂に包まれていた。 数名の見張りを残し、ほとんどが眠りについている。 医療室を後にした飛影も、自室に戻ろうと薄暗い廊下を歩いていた。 ここ数日まともに休んでいなかったせいで、睡魔が一気に押し寄せてきていた。 疲労感と安堵。 そのふたつを感じながら、飛影は重い足取りで自室へと向かった。 しかし、目の前に現れた人物を見て、その足を止めた。 その人物は、飛影を見て、にやりと笑う。 「ずいぶん派手に暴れたようだな」 「…ふん。お前は高みの見物か」 「わざわざオレが出る必要なかっただろ」 そう言って笑う躯に、飛影は不機嫌そうな顔をした。 蒐魁の要塞に突入する前、結界がすでに破られているとわかった途端、 躯は百足へと引っ込んでしまったのだ。 自分の出る幕ではないと。 「それにしても、さすがはお前の妹だな」 「…?」 「助けが来るまで待っていられないところとかな」 「……」 「まぁ、でも、無事でよかったじゃないか。なぁ、“お兄ちゃん”?」 「…やめろ」 心底楽しんでいる様子の躯に、飛影はため息をついた。 「だが、もうこれで満足したろ?」 「…何の話だ」 「心は変わるものだ」 「…!」 「そう認めるにはもう十分だろ?」 名乗り出るつもりはない。 兄妹である必要はない。 こんな兄は要らない。 そう思っていた。 興味などなかったはずだった。 けれど、今は違う。 「…そうだな」 どうやら変わったようだ。 たくさんの時間をかけて、たくさんのものを巻き込んで、やっとここまで辿り着いた。 「…躯」 「なんだ」 「……いろいろとすまない」 「…なんだそれは。気持ち悪いな」 「……」 「お前はホントに妹が絡むと性格変わるな」 「…うるさいな」 くっくと笑う躯に、飛影はバツが悪そうな顔をした。 性格が変わる。 確かにそうなのだと思う。 雪菜が絡むと、ペースを乱される。 自分が自分ではなくなるような、そんな感覚に襲われる。 初めはそれが嫌だった。 らしくない自分に途惑った。 しかし、今ではもう、それにも慣れた。 むしろ心地よいとさえ感じることもあるくらいだ。 大切だと認めるということは、そういうことなのだろうと自然と納得した。 「仕方ないから、ゆっくり走ってやるよ」 「…!」 「ちゃんと話すんだな、妹と」 百足の速度を落とせば、その分人間界に着くのも遅くなる。 おそらく、今でなければ話せないことがたくさんあるような気がした。 今でなければ伝えられない想いがある。 「これでまたお前に貸しができるな」 「!」 「これからも思う存分こき使えそうだ」 そう言ってにやりと笑う躯に、飛影は反論するすべを持たなかった。 「強くなれよ、飛影」 「……」 「それがお前に出来ることだ」 「…あぁ」 飛影が頷くのを見届けてから、躯は廊下の向こうへと消えていった。 残された飛影は、しばらくその場に立ち尽くしていたが、自室へと戻るために再び歩き出した。 冷たいシャワーが身体中に降り注ぐ。 飛影は瞳を閉じたまま、しばらく冷水に打たれていた。 冷たい水を浴びれば、少しは頭がしゃきっとするかと思ったが、 そんなことは気休めにもならないくらい疲労はピークに達しているらしかった。 無事でよかった。 今はただ、そのことしか考えられない。 あの笑顔がなくならなくて、本当によかった。 彼女は小さな灯りだった。 この殺伐とした暗い闇の中を照らす、唯一の光。 心の中に灯って、消えない。 深くに触れて、掴んで、離れない。 だから、何がなんでも守りたいと思った。 ただ、そこにいてくれさえすればよかった。 ただ、微笑んでくれればそれでよかった。 この優しい灯りを、ただ見ていたかった。 この湧き上がる気持ちはなんなのだろう。 冷たく凍りついていたはずの感情が、心の奥底が、掻き乱される。 小さな小さな灯りが、揺らめくように儚く、しかし、熱を帯びたまま消えることはない。 愛だなんて、知らないはずだったのに。 飛影はシャワーを止めて、バスルームを出た。 濡れた身体と髪を適当に拭いて、服を着る。 そして、そのままベッドに倒れこんだ。 冷たいシャワーを浴びたおかげでひやりとする身体が心地いい。 ああ、そういえば、彼女の体温もこれくらい冷たかったなとふと思った。 雪菜の姿が浮かんでは消え、飛影はそのまま眠りについた。 それは、久しぶりの深い眠りだった。 * 「まだ目覚めないのか」 「はい。しかし、熱も下がりましたので、すぐ目を覚ますでしょう」 カーテンの向こうから話し声が聞こえて、雪菜は目を覚ました。 少し気怠い身体を動かして、起き上がる。 「飛影が朝から何度も様子を見に来ておりましたよ」 「はっ、想像すると笑えるな」 「まことに貴重な姿を拝めました」 くっくと笑う男女の声が聞こえてくる。 雪菜はしばらく呆然としていたが、はっとしてカーテンを開けた。 「あ、あの…」 「…! 噂をすれば…起きたか」 カーテンの向こうから姿を現した雪菜に、躯と時雨が同時に視線を向けた。 「体調はもういいのか?」 「はい、大丈夫です。あの、二度も助けていただいて、ありがとうございました」 雪菜はそう言って、深々と頭を下げた。 「別に…大統領命令に従っただけさ」 「でも…!」 「それに、礼なら飛影に言うんだな」 「!」 「ついでに文句のひとつやふたつでも言ってやれ」 「文句だなんて…!」 「ないのか?」 そう問いかける躯に、雪菜は少し考える素振りをみせたが、すぐに微笑んだ。 「…ないです。なくなりました」 いらないと思ったことは一度もない。 そう言ってくれたから。 だから、もう、その言葉だけで十分だった。 「ないなら別にいいが…とんだお人好しだな」 「あの…もしかして、ご存じなんですか…?」 「あぁ…オレはあいつの記憶を覗いたことがある」 「記憶を?」 「そうだ。だから、お前があいつにとってどんな存在か、痛いほど知ってる」 「…!」 「どんだけうじうじ悩んできたかもな」 そう言って躯は苦笑してみせた。 「ちなみにあの男は、飛影に口止めした張本人だ」 「え?」 「躯様! 口止めだなんて人聞きの悪い」 今まで静観していた時雨は、突然話を振られて焦ったように言葉を返した。 確かに手術代として名乗らないことを条件にはしたが、今の言い方ではまるで悪者だ。 しかも妹本人の前で言うものだから、なおさら意地が悪い。 「ちょうどいい機会だし、昔話でもしてやれよ」 「…!」 「どうせあいつは自分から話さないだろうし」 「聞きたいです…! 何があったのか」 「決まりだな」 躯がそう言うと、時雨は観念したように、首を縦に振った。 10/戻/12 |