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1.

「こんにちは」
「お久しぶりです」

新緑の清々しい木漏れ日が降り注ぐ中、久しぶりに会った彼女は、
Tシャツとジーンズに身を包み、変わらぬ笑顔ではにかんでいた。

幻海の道場。
蔵馬はここで黄泉軍との約束を果たすため、戦士の育成に取り組んでいた。
幻海をはじめ、コエンマや霊界特防隊からも協力を得ており、
目の前の彼女も、食事や生活面で協力してくれているひとりだった。
蔵馬は数週間ぶりに戦士たちの様子を見に来たのだが、
その前に、彼女の様子に驚きを隠せなかった。

「珍しい格好ですね」

蔵馬は雪菜の姿をまじまじと見ながら言った。
これまで白い着物姿しか見たことがなかったせいか、あまりにもラフな格好が意外に思えた。

「買いものに行くのに着物じゃさすがに目立ってしまって」

静流さんが用意してくれたんです、と雪菜は答えながら、少し照れたような顔を見せた。

「変ですよね、なんか…。自分でも慣れなくて」
「そんなことないですよ。でもちょっと新鮮だなって思って」

蔵馬の言葉に、わたしもです、と雪菜は笑ってみせた。

幻海のおつかいで街まで行ってくるという雪菜の後ろ姿を、蔵馬は門の前で見送った。
付いて行こうかと申し出たが、人間界に慣れるために勉強中だからと、雪菜に断られてしまった。
頼ってばかりじゃだめなんです、そう笑った彼女の姿が頼もしく見えて、
蔵馬は大人しく引き下がることにした。
幸いこの辺りは治安もいいし、皿屋敷市と違って不良学生もいないだろうから安全なはずだ。
少しずつ人間界の暮らしに慣れて行こうとしている姿に、蔵馬は感慨深いものを感じた。

あとから静流に聞いた話だが、
雪菜のイメージに合わせて可愛らしい服を用意しようと思ったのだが、
男所帯の道場でそんな格好はさせられないし、街で変な虫が付いても困るから、
出来るだけ地味にしようと考えたらしい。
確かに、ただでさえ整った可愛らしい顔立ちで目を引くのだから、
Tシャツにジーンズくらいのラフさで正解かもしれないと、蔵馬は妙に納得した。



*



「これが新しいレシピですか?」
「はい。明日から作ってあげてください」

おつかいから帰ってきた雪菜に、蔵馬は新しい特製ドリンクのレシピと、
それに使う数々の薬草を渡した。修行に欠かせない特製ドリンク。
陣たちがとても嫌そうに飲んでいるのを雪菜は思い出した。

「これ、お味は…」
「雪菜ちゃんは絶対味見しちゃだめですよ。まずいですから」

にこにことそう言う蔵馬に、雪菜はやっぱりと思った。
特製ドリンク以外にも、特製メニューとしていくつかレシピを渡されているが、
絶対に味見は禁止されていた。

「良薬口に苦し、ですよ。彼らのためです」
「…わかりました」
「だから、他の食事はおいしいものを作ってあげてください」
「…! はい、がんばります!」

道場に居候するようになってから、何か自分に出来ることはないかと、
雪菜は料理をするようになった。
幻海や螢子たちに教えてもらいながら、少しずつ料理の腕を磨いているようだった。

「今日は泊まっていかれますか?」
「ええ、そのつもりです。たまには俺も修行しないと鈍ってしまいますからね」

明日は学校休みですし、と蔵馬は付け加えた。

「では、お部屋の用意をしておきますね」
「ありがとう」



*



久々に陣や凍矢たちと手合わせすると、彼らはまた格段に強くなっていた。
計画通りのこととはいえ、やはり彼らの成長度合いには驚かされる。

「ああそうだ、ドリンクをバージョンアップしておきましたから、
 明日からそちらを飲んでくださいね」

手合わせが一通り終わったあと、蔵馬が涼やかな顔でそう告げると、
大ブーイングが巻き起こった。

「まだあのクソまずいの飲まなきゃなんねーのか!」
「バージョンアップ…おそろしいな」
「そんなに嫌なら飲まなくてもいいんですよ?」
「…いや、飲むけどよぉ。てか、あの子に作らせるってタチ悪いよな」
「それな。飲まないと申し訳なくなる」
「さてはそれも蔵馬の作戦のうちだったりして…」
「さぁ? それはどうでしょう」

蔵馬はくすりと微笑を向けた。
実際は、細かい薬草の調合を委ねられそうなのが雪菜だったから頼んだだけなのだが、
彼女の性格自体が、特製メニュー摂取の促進剤となっているようだった。
彼ら曰く、心配そうな顔をしている彼女を見ていると、
平気なふりをして飲まざるを得なくなるらしい。
さらに、彼女を悲しませるイコール幻海に睨まれるため、余計に進んで飲むしかなかった。

何はともあれ、雪菜がここの道場の暮らしに馴染んで大切にされていること自体に、
蔵馬は安堵を覚えていた。

暗黒武術会の後、雪菜はこの道場に身を寄せていた。
道場を手伝ったり、治癒能力向上の修行に励んだり、人間界の生活のお作法を学んだりしている。
故郷に戻るつもりはないだろうとは、飛影からなんとなく聞いていた。
彼女の生い立ちの話を聞いたことはなかったが、故郷に戻らないと言うことは、
そこにもう居場所がないだろうことは容易に想像がついた。

だから、今ここが居場所になっているのだとしたら、それはとても嬉しいことだと蔵馬は思った。



*



夜の修行が終了し、蔵馬が結界が張り巡らされた修行場から屋敷へと戻ると、
中庭の縁側に人影を見つけた。

「雪菜ちゃん?」

そう声をかけると、縁側に腰掛けていた彼女は驚いたようにこちらを向いて、
すぐにいつもの微笑を見せた。

「修行は終わりましたか?」
「ええ。どうしたんですか、こんな時間に」

修行は遅くまでやっていたため、時刻はもう日付を越えようとしていた。

「今夜は月が綺麗だなって思って」

思わず見とれていました、雪菜はそう笑った。
蔵馬もつられて見上げると、雲ひとつない星空の中に、綺麗な三日月が輝いていた。

寝支度を済ませているのか、雪菜の服装は昼間見たTシャツにジーンズではなく、
浴衣姿に変わっており、やはりこちらの方がしっくりくるなと蔵馬は思った。
月明かりに照らされて、雪菜の緑がかった蒼い髪が、銀色を帯びているように見えた。
蔵馬は雪菜が座っている縁側の方へ向かった。

「わたしあんまり月を見たことがなくて」

雪菜は月を見上げたままそう言った。

「故郷から魔界の月は見えないんです。人間界でも…外はあまり見えませんでしたから」

ぽつりとそう溢す言葉を、蔵馬は静かに聞いていた。
分厚い雲に覆われた故郷では、月どころか空さえもなかった。
囚われた人間界の屋敷では、小さな窓から見えるのが世界の全てだった。

蔵馬は目の前の少女の姿を見ながら、
ああそうだった、自分は彼女のことを何も知りはしないのだと思った。
いつもふわふわと笑って見せるから。微笑んでいる姿しか見たことがないから。
彼女が自由を手に入れたのは最近のことなのだと、つい忘れてしまいそうになる。

月に照らされる横顔を見て、初めて彼女の儚い姿を見た気がした。

魔界の行く末だとか、戦友たちの動向とか、黄泉軍での地位だとか、戦士たちの修行の成果とか、
新しい家族のこととか、人質に取られている弟だとか、高校生活とか、受験生の友人だとか、
気にかけなければならないことがたくさんある。
さらに、目の前の少女が気にかかるだなんて、あまりに欲張りだろうか。
この手にそんなに持てるだろうか。

「あ、ごめんなさい、こんな時間に付き合わせてしまって…!
 修行でお疲れですよね? もう休んでください」

雪菜が慌てたようにそう言った。

「…雪菜ちゃんはまだ見てるんですか?」
「はい、もう少し」

その言葉を聞いて、蔵馬は縁側に腰を下ろした。

「俺も月なんて久々にじっくり見たな…。一緒に見ててもいいですか?」
「…! はい、もちろん」

ふたりで月を眺めながら、人間界での生活のことや近況報告といった他愛のない話をした。

彼女のことは何も知らない。
彼女もこちらのことは何も知らないだろう。

だけど、せめて今夜だけでも、ひとりにしたくないと思った。










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