1. 山々を覆っていた雪化粧が次第に薄れはじめ、麗らかな陽気が差し込んでいた。 春を迎えようとしている人間界を離れ、蔵馬は魔界の大統領府に来ていた。 昨年の晩夏に開催された第2回魔界統一トーナメントのあと、 再び優勝した煙鬼のもと、国家運営のための組織が再編成された。 蔵馬は、魔界と人間界の友好維持と、結界をなくしたことによる弊害が発生しないよう 人間界の治安を守ることを主に任務として担っていたが、たまに参謀として国営にも携わっていた。 飛影や躯は、引き続きパトロール隊の任を担い、魔界中を走り回っている。 今日は各隊の定期報告会が開かれるとともに、就任半年の節目ということもあり、 夜にはちょっとしたパーティーが催される。 パーティーは大統領府関係者以外も参加可能のため、それなりの規模にはなりそうだった。 会議を終え、会議室から大統領府内に用意されたホテルへと移動する最中、 蔵馬は雪菜とのことを思い出していた。 ぽかりと穴が空いたような感覚が、蔵馬の中に残っていた。 妹が自立していくのは、こういう気持ちなのかと蔵馬は思う。 弟がひとり暮らしをすると言い出したら、同じような気持ちになるのだろうか。 淋しいような物哀しいような。 まだまだ世間知らずで、人のことをすぐに信用してしまう。 危なっかしくて、心配せずにはいられない。 傍で誰かが見守ってくれるならそれでいい。 けれど、その誰かが見つかるまでは、自分が傍で護っていたいと思っていた。 「なんだ考え事か」 「…まぁね」 背後から聞こえた声に、蔵馬は振り向くことなく答える。 「お兄ちゃんって大変ですね」 「…は?」 怪訝そうな顔をして、弟がどうかしたのかと尋ねる飛影に、 いえこちらの話ですと蔵馬は苦笑した。 「ところで、パーティーには参加するんですか」 「くだらん。さっさと百足に戻る」 「幽助がパーティーには顔を出すって言ってましたよ。 久々にあなたに会いたがってましたけど」 「…どうせそのうち会うだろう」 わざわざ面倒だ、そう言って飛影はさっさと姿を消した。 * 大統領主催ということもあり、パーティー会場は豪華絢爛だった。 豪勢な食事に、華やかな賓客たち。会場も広く、知人を探すのも一苦労だ。 蔵馬は黒のスーツに身を包み、長い髪をひとつに束ねていた。 グレイのシャツに淡いグリーンのネクタイをして、 薔薇のモチーフが象られたネクタイピンをしている。 会場に着くなり、知人との挨拶もそこそこに、すぐに女性に囲まれてしまった。 「蔵馬様、お久しぶりです!」 「魔界は久々よね? 人間界ってそんなに楽しいの?」 「ちなみに、今夜の予定は?」 「あ、ずるーい! 抜け駆け禁止!」 女性たちの勢いに、蔵馬は苦笑するしかなかった。 妖狐の姿であれば、皆怖がって近よって来ないが、 秀一の姿だと温和な雰囲気が出てしまうのか、すぐに声を掛けられてしまう。 愛人のひとりやふたりでも持てばどうだ、と以前黄泉に言われたことを思い出す。 別に硬派を気取る気もないし、女性に興味がないとも言わない。 妖狐の頃だって、女がいなかったわけではない。 だが、やはり人間と融合したからか、分別や理性というものが強く備わっているらしく、 そこまで本能のままに振る舞えるような気はしなかった。 気が合う人がいればいい、それくらいにしか考えてはいなかった。 これだけ女性に囲まれてしまうと、さすがに男性陣からの視線も痛い。 そう思いながらふと会場の入り口を見ると、見知った人物がいることに気づく。 こんな場所には到底不釣り合いな、可憐な少女。 Aラインのミニ丈のドレスを身に纏い、高いヒールを履いている。 シャンパンゴールドのドレスが、彼女の優しげな雰囲気にぴったりだった。 長い髪はひとつに纏められ、サイドの髪は編み込まれていた。 まとめた髪に、薔薇の髪飾りが添えられている。 突然の雪菜の姿に、蔵馬は目を見開く。 なぜ、いるのか。 雪菜の後ろから、すぐに幽助が姿を現した。 グレイのスーツにノーネクタイ姿を見て、ああ彼と来たのかと理解する。 「ねぇ蔵馬様、話聞いてる??」 「ちょっとごめん、知り合いに挨拶に行かないと」 え〜!という女性たちを無視して、蔵馬は幽助と雪菜の元へ向かった。 「よぅ、蔵馬! よかったぜ見つけられて」 「なんで雪菜ちゃんがここにいるんですか…!」 「なんでって…パーティー行ってみたいっていうから、いいだろ別に」 「駄目ですよ! こんな悪の巣窟に…」 「悪の巣窟って…ひでぇ言い種」 蔵馬の言い方に幽助は苦笑した。 大統領府主催なのだから、むしろいちばん安全だと思うのだが。 「あの…ごめんなさい、勝手に来て…」 雪菜がしゅんとしたように俯く。 一度でいいから華やかなパーティーに行ってみたいという憧れがあった。 そこで丁度魔界でパーティーがあると幽助に聞き、連れて行ってもらえることになったのだ。 「飛影も来てんなら、ちょうどいいかと思ってよ」 幽助がぼそりと蔵馬にだけ聞こえる声で言うと、蔵馬は溜め息をついた。 「残念ながら、彼は来てませんよ」 「マジで?」 「知らせておいてくれれば、引き留めたのに」 来ると連絡をくれていれば、いろいろと対応が出来たものを。 「…大体、彼女はどこに泊まるんですか」 もう大統領府のホテルは満室だと聞いている。 別のホテルを取るにしても、ここからだいぶ離れたところしかもう空いていないだろう。 「あぁ、それなら、俺の部屋で陣や酎たちと雑魚寝…」 言葉の途中で、蔵馬の顔が険しくなったことに幽助は気づいた。 何やら不穏な空気を醸し出している。 「何考えてるんですか!」 「いや、あいつらも部屋取れなかったっていうし、一応静流さんや螢子の了承は取ったしよ」 「だからって…」 蔵馬は盛大に溜め息をつく。 野郎どもの中に女の子ひとりなんて、そんなの駄目に決まっている。 しかも絶対全員酔っ払いに違いない。 「雪菜ちゃん、せめて俺の部屋にしてください」 「え? でも…」 「酔っ払いたちと雑魚寝なんてさせられません」 「は、はい…」 半ば蔵馬の勢いに押されて、雪菜は頷いた。 幽助も特に異論はなく、承諾した。 男とふたりきりの方が危ないんじゃ…とも思ったが、 相手が蔵馬ならそんなことはないかと思い、黙っておくことにした。 雪菜は会場で小兎たちに会い、久しぶりの再会のためか話に花を咲かせていた。 蔵馬はその様子を遠巻きに見守る。 いろんな者と楽しそうに話しているのは良いが、目の届くところにいて欲しかった。 またいらぬ世話を焼いて煙たがられただろうか。 そう思うが、心配なのだから仕方ない。 大丈夫と言っていても、やはりどこか危なっかしさは抜けないし、 もう少し警戒してほしいとも思う。 「何をそんなにぴりぴりしている」 「…黄泉か。別になんでもない」 「嘘だな」 「……」 付き合いの長い黄泉には、繕ってもすぐに見破られてしまう。 確かに蔵馬は苛々していた。 彼女を見て、なぜか苛立ちが募る。 「…あの女か」 「やめろ」 「珍しい。お前が女の心配か」 くっくっと黄泉が笑う。 からかわれていることに、さらに苛立ちが増した。 「蔵馬よ」 「…なんだ」 「ロリコンという言葉を知ってるか」 「……」 黄泉から出てきた想定外の言葉に、蔵馬は絶句した。 そして、呆れたように溜め息をついて、そんなんじゃない、とだけ返した。 * パーティーも終盤に差し掛かり、酔っ払いが増えてきた頃、 蔵馬は雪菜に声を掛け、ホテルの部屋に戻ることにした。 フロントに預けてあった雪菜の荷物は、既に蔵馬の部屋に運ばれていた。 パーティー会場で会ったときから、蔵馬の機嫌が悪いことに、雪菜はなんとなく気づいていた。 何か怒らせるような軽率なことをしただろうか。 パーティーには幽助と来たから、別に見知らぬ男について来たわけではない。 部屋も、幽助とふたりきりではなく、陣や酎もいる。 彼らとは幻海の道場で一緒に暮らしていたのだから、気心は知れている。 何より静流や螢子も知っているのだから、危ないことはしていないはずだ。 だからこそ、なぜ蔵馬が怒っているのかが、雪菜には理解できなかった。 「雪菜ちゃん」 「はい…!」 「なんで来ること教えてくれなかったんですか?」 「え、だって……魔界に女性がいるって言ってたから…」 「…それは冗談だって言ったじゃないですか」 呆れたように蔵馬は溜め息をつく。 「そんな相手はいませんよ」 「…ほんとですか?」 「ほんとです」 話しかけてくれる蔵馬は優しいが、やはりどこか怒っているように感じた。 壁にもたれて立っている蔵馬から、何かぴりぴりした空気を感じる。 触れないでいた方が良いのかもしれない。 けれど、自分のせいだとしたら、それは居た堪れなかった。 雪菜は蔵馬の方に近づき、恐る恐る声を掛けた。 「あの…何か怒ってますか…?」 「……いや…。……そうかも」 「…! …ごめんなさい。……わたしがパーティーに来たからですか…?」 蔵馬は無言のまま答えなかった。 返ってこない返事に、雪菜は俯いた。 パーティーに来たから。 蔵馬は確かにそれを怒っていた。 だが、それだけのことで怒るなんて、自分でも解せなかった。 ドレスアップした彼女は、普段よりいっそう大人びて綺麗に見える。 こんな視線を引く容姿でパーティー会場にいたら、男たちが放っておくはずがない。 現に、どれだけの男の視線を、睨め付けて牽制したことか。 変な男に引っかかっては困るのに、彼女は無自覚で無防備すぎる。 だが、それだけがこの苛立ちの理由なのだろうか。 何かあれば自分を頼ってほしいと思っていた。 困ったことがあれば力になりたいし、行きたいところがあれば連れて行ってあげたい。 彼女が頼る存在は、いつも自分であってほしいと思っていた。 だから。 雪菜が自分に何も言わずに、幽助とパーティーに来た。 そのことに苛立っていた。 蔵馬は自分の思考にはっとした。 ああ、なんで気づかなかったのだろう。 すべて繋がってしまえば、至極単純なことだったのに。 「…ごめん、怒ってるのはパーティーに来たからじゃないですよ」 「……」 「ただ…心配だっただけです」 「…!」 「…ごめんね、また世話焼いちゃって。困らせちゃいましたね」 「いえ…!」 苦笑する蔵馬に、雪菜は首を振った。 蔵馬は自分の感情を悟らせないように、ただ柔らかい笑みを浮かべていた。 「ドレス、可愛いね」 「! …あ、ありがとうございますっ…」 「ホテルで借りたの?」 「そうなんです。幽助さんから話を聞いて、酎さんと凍矢さんが手配してくださって…」 「パーティー、憧れてたんだ?」 「…はい。完全に興味本位なだけなんですけど……。 憧れてるって言ったら、幽助さんが魔界のパーティーのこと教えてくださって、 それで連れてってもらえることに…」 ぽろっと口にしたことが、まさか実現するとは思っていなくて、 あれよあれよと色んな人を巻き込んで進んでいく話に、 途中からは申し訳ない思いがしはじめたほどだった。 「あなたのお願いは、みんな叶えてあげたくなるんですよ」 ふふっと笑いながら、蔵馬が言う。 話が進行していくうちに、申し訳なく思っているだろう彼女の姿は容易に想像がついた。 「…また、蔵馬さんを巻き込んでしまいました」 「…! 首突っ込んだのは俺の方なんだから、巻き込まれたとは言わないよ」 どうしても、彼女が男所帯の部屋で一晩過ごすことが気に入らなかった。 何もないであろうことはわかっている。 彼らが大事に扱ってくれることは承知している。 けれど、それでも、この魔界の地で、自分の眼の届く範囲にいてほしかった。 あ、そうだ、と蔵馬は思い出したかのようにつぶやく。 「卒業の掟、破ってごめんね?」 「…! いえ、そんな…」 苦笑しながら言う蔵馬に、雪菜は首を振る。 掟だなんて、そんな仰々しいルールを決めていたわけではないけれど。 ふたりきりで会ったりはしないし、余計な世話を焼いたりはしない。 それが、なんとなくのルールになっていた。 頼らないと決めた彼女を、静かに見護っていくつもりだった。 だけど。 「……俺の過保護は直りそうにないかも」 ぽつりと零れた言葉に、驚いた顔をした彼女の表情が、困ったような顔に変わる。 その表情に気づかないふりをして、蔵馬はただ微笑みを向けた。 * 雪菜のことを気に掛けたのは、人間界に途惑う姿を自分に重ね、 力になりたいと思ったからだった。 幼い少女が大人になっていく姿を楽しみにも思っていた。 危なっかしいところを見て、護りたいと思った。 保護者のつもりだった。 困っていたら、助けてあげたいと思っていた。 彼女が、自分のことを兄のような先生のようなそんな存在だと言っていたから、 妹のように大事にしたいと思っていた。 大事にしたい、それが重要なことのはずだったのに。 いつしか妹という言葉に囚われていた。 妹のように大事にしないといけないと思っていた。 戦友の大事な妹で。 親友の想い人で。 みんなから大事にされる彼女を、 大切に遠くから見護っているつもりだった。 けれど、気づいてしまった。 自分の中にある嫉妬と独占欲。 妹みたいだなんて、思っていない。 遠くから見護るなんてできない。 誰かに任せるなんて、そんなことできない。 この気持ちがなんなのか。 そんなことは、今更考えなくてもわかっていた。 戻/2 |