2. 駅前の商業ビルの1階にある花屋は、 店先の床や壁が煉瓦で覆われており、可愛らしい雰囲気を醸し出している。 日曜の午前中ということもあって、店の前の通りはショッピングを楽しむ人で賑わっていた。 程なくして、店の奥から人影が出て来た。 ミントブルーの髪をひとつに束ね、黒いエプロンをしている。 店先にいた客に何かを尋ねられ、笑顔で対応していた。 難なく仕事をこなしている姿に、蔵馬は微笑ましい気分になった。 客の対応が終わったのを見計らって、蔵馬は彼女に話しかけた。 「すみません、花束見繕ってもらえますか」 「はい、どのような……あ、蔵馬さん!」 言葉の途中で蔵馬に気づき、雪菜は驚いたような顔をした。 「ちゃんと店員さんしてるんですね」 「ふふ、ちゃんとしてますよ?」 感心したように言う蔵馬に、雪菜は笑いながら返した。 蔵馬がふとエプロンのネームプレートを見ると、『桑原』となっていることに気づいた。 その視線を感じたのか、雪菜は小声で告げた。 「名字がないと困るので」 確かにそうだ。 いくら魔界がその存在をオープンにしたとはいえ、 世の中に浸透しているかといえばそんなこともなく。 魔界や妖怪の存在が認知されるのは、まだまだ先だろう。 雪菜も妖怪としてではなく、人間のふりをしてここで働いているのだった。 「あ、花束でしたよね? 女性にですか?」 「うん。大きさはこれくらいかな」 蔵馬は手で花束の大きさを示した。 あまり仰々しくなく、少し小さめのブーケくらいのイメージだった。 「お色はどうしますか? 入れたいお花があれば仰ってください」 「うーん、そうだな…色はオレンジで、マーガレットを入れてもらおうかな」 「わかりました。他に何かイメージありますか?」 「元気というよりは優しげな感じ…って抽象的すぎかな?」 「いいえ、大丈夫です。ちょっと待っててくださいね」 雪菜はてきぱきと花を見繕いはじめた。 時折少し考えながら、花を選んでいく。 「こんな感じでいかがですか?」 そう言って雪菜は花束を蔵馬の方へ持ってきた。 オレンジのマーガレットをメインに、黄色や白の花々が添えられており、 全体的に淡く優しげな印象となっていた。 「すごく綺麗ですね、イメージどおりです」 「よかったです! すぐにお包みしますね」 包み紙とリボンを選びながら、ふと雪菜は手を止めて、蔵馬に尋ねた。 「あの…もしかして彼女さんに、ですか?」 「え? …あぁ違いますよ。久しぶりに母さんに花でもと思って」 マザコンかなと笑う蔵馬に、雪菜はそんなことないですと返した。 会計を済ませて、蔵馬は花束を受け取った。 花のいい香りが鼻腔を掠める。 「ありがとう。母さんも喜びそうだよ」 「喜んでいただけると嬉しいです」 「そうだ、今度桑原くんちで花の勉強会でもしようか」 「はい! ぜひお願いしたいです!」 「じゃぁ、また電話しますね」 「はい、楽しみにしてます」 てきぱきと花を選んでいた彼女を見て、あまり勉強会は必要ないかもしれないとも思ったが、 この花束のお礼を何かしたいと蔵馬は思った。 「桑原さん、ちょっと」 「はい…!」 店の奥から、男の店員が雪菜を呼ぶ声が聞こえた。 なんとなく敵意を向けられているような感じがするのは気のせいだろうか。 雪菜を狙う客のひとりとでも思われたのかもしれない。 「じゃぁまたね。お仕事頑張って」 「はい! ありがとうございました!」 手を振って店を後にする蔵馬を、雪菜は頭を下げて見送った。 店員としての仕事ぶりは、危なげなく問題なさそうに見えた。 やはり問題があるとすれば、変な虫がつかないかということだろうか。 毎日気を揉んでいる桑原の姿を想像して、蔵馬は苦笑した。 * 「さっきのお客さん、大丈夫だった?」 雪菜に声を掛けてきたのは、大学生の男性の先輩・川上だった。 「大丈夫です! あの、知り合いなので」 「なんだ、そうだったんだ。長いこと話してるから、また絡まれてるのかと思った」 「絡まれるだなんて、そんな…」 「てかすごいイケメンだったよね!」 話に割って入ってきたのは、さっきまで店先で水遣りをしていた女性の店員・牧瀬だった。 彼女も大学生で、雪菜の教育係だ。 「桑原さん、あんなイケメンと知り合いなんだ! 羨ましい〜!」 確かに綺麗な顔立ちゆえか、花を買う間も、店内の女性たちがちらちら彼を見ていた気がする。 暗黒武術会のときもファンが存在していたし、高校でもモテていたと聞いた。 優しくて頭脳明晰で面倒見のいい彼なら、女性に人気なのも納得だと雪菜は思った。 「そうだ、桑原さん! このあとのランチ大丈夫だよね?」 「はい、大丈夫です!」 ここで働くようになってから、雪菜の交友関係は広くなっていた。 バイト先の先輩たちとごはんや買い物に行くことがよくあった。 人間界の常識に疎く、日本人離れした外見を持つ雪菜は、 桑原家の遠縁のハーフで、長年海外で暮らしていたことになっており、 日本に不慣れだろうとみんな何かと世話を焼いてくれた。 雪菜にとっては素性を偽っているのは心苦しく思えたし、 何より外国から来たという設定を覚えるのに苦労したが、 溶け込むには致し方ないと思った。 いきなり妖怪だなんて言って、理解してもらえる気もしなかった。 このあとは、牧瀬や他のバイトのメンバーも交えて、ランチをする予定だった。 「さっきのイケメンの話、詳しく聞かせてね」 牧瀬にそう言われて、雪菜は、外国設定に蔵馬は入ってなかったなということを思い出した。 * 「え? 外国から来たことになってるんですか?」 「はい。だから蔵馬さんは、和真さんの家庭教師で、 ついでにわたしにもいろいろ教えてくれた方ということになってます」 「そうなんですか。…ちなみにどことのハーフなの?」 「スウェーデンです」 北欧美女と言われれば、確かに納得するかもしれない。 蔵馬は雪菜をまじまじと見つめてそう思った。 休日の桑原家で、蔵馬と雪菜は先日約束した花の勉強会をやることにしていた。 桑原は大学のサークル活動、静流と桑原父は仕事で不在で、 この家には蔵馬と雪菜と猫たちがいるだけだった。 「でも本当に北欧の方がいらっしゃったら言葉わからないですし、バレてしまうと思います…」 「その場合は、俺がなんとかしますよ」 蔵馬はにこりとそう言ってのけた。魔界の植物を使えば、記憶を消すことは容易い。 あまり良い手ではないかもしれないが、彼女のためなら致し方ない。 この北欧設定は、桑原家で考えてくれたらしい。 というか近所の人に外見を突っ込まれ、咄嗟にハーフと答えたのがはじまりらしいが。 「バイト先の人たちとはよく遊びに行くんですか?」 「はい。ごはん食べたり買い物したり。あ、この間は遊園地に行って来ました!」 そのときの様子を、雪菜は嬉しそうに話してくれた。 余程楽しかったのだろう。聞いているこちらまでなんだか嬉しくなってくる。 新しい世界や新しい交友関係が、彼女に良い影響を与えているようだと蔵馬は思った。 「この間の男の人も仲良いの?」 「この間の…川上さんですか? 大学生の先輩で、よくしていただいてます。 バイト終わりにごはんに連れて行ってくださったり」 彼の名は川上というのか。 蔵馬は無意識にその名をインプットしていた。 「ごはんって…ふたりで?」 「みんなで行くこともありますし、ふたりのときもあります」 「……」 雪菜はなんでもないことかのように、にこにこと答えているが、蔵馬としては心配になって来た。 もちろん、男女の友情がないとは言わないし、下心のある男ばかりではないだろう。 だが、この間の敵意のあるかのような彼の態度。 もしかして、彼も雪菜を狙うひとりなのでは。 そんな気がしてきた。 「雪菜ちゃん、男は狼って静流さんに教わらなかった?」 「…教わりました…けど…?」 蔵馬の唐突な言葉に、雪菜は話が読めないのかきょとんとしている。 「その川上って人も簡単に信用しちゃ駄目ですよ?」 「え? でも良い人ですよ?」 「良い人かと狼かは別物です」 きっぱりと言い切る蔵馬に、雪菜の疑問符は増える一方だった。 「とにかく、大抵の男は下心を持って近寄ってくると思って 用心しておいてください。心配ですから」 「はい。気をつけます…」 そこまで話して蔵馬はふと気づく。 そういえば、色恋に疎い彼女に、この手の話はどこまで通じているのだろうか。 「ちなみに、今の話、氷泪石がどうのって話じゃないことはわかってるよね…?」 「は、はい! 大丈夫です…その、男女がどうのってお話ですよね…?」 静流さんからもよく言われてます、と雪菜は付け加えた。 「あの、恋愛も勉強中なんです」 「え…?」 「漫画で、ですけど」 笑いながらそう言う雪菜に、蔵馬はなんとなく安心した。 恋愛中ですとでも言われたらどうしようかと思ったのだ。 「でもやっぱり、恋は実際にしてみないとわからないですね」 「いつか良いなと想える相手に出会えますよ」 「そうだといいんですけど」 すぐ近くに全力で愛を注いでいる相手がいるというのに、それにはまったく気づいていないとは。 蔵馬は桑原のことを心底不憫に思った。 「蔵馬さんは恋してないんですか?」 「俺? 俺は全然ですよ」 「女性にあんなに人気なのに?」 「そうかな? …まぁ、長く生きると、そういうことは 暫くはいいかなって思っちゃうんですよね」 そう言って蔵馬は苦笑した。 この姿になって、恋と呼べるものはあっただろうか。 若かりし頃のあの子くらいか。 「俺の話より雪菜ちゃんですよ。本当に駄目ですよ、ほいほい付いてったりしちゃ」 「わたし…そんなに危なっかしいですか?」 「うん」 「…!」 「うそうそ。でもホントに心配なんですからね?」 いつか彼女が恋をして、心から信頼できる相手が現れたなら、そのときは本気で応援したい。 だから、それまでは、変な男に引っかかったりしないよう、ちゃんと見ててあげなければ。 1/戻/3 |