4. あたたかな春の日差しに包まれて、桜がひらりと舞い散る。 一面の薄紅色の景色は、息を飲むほど美しかった。 なのに。 なぜ、こんなことになったのだろう。 「螢子さん、ここから出ないでください!」 部屋の一角に小さな結界が張り巡らされる。 人ひとりしか守れないくらいの小さな結界。 結界を作った彼女は、その外にいる。 「早く、幽助さんに連絡を…!」 そう言って、彼女が視線を変えた瞬間。 強い衝撃がその小さな身体を襲った。 桜吹雪が辺り一帯に舞い散る。 赤い鮮血がその花びらたちを染めていた。 * 「いい感じにできたね」 「はい! とっても春っぽいです」 色とりどりの手鞠ずしを器に並べ、螢子と雪菜は満足げな顔をした。 他にもからあげや卵焼き、ポテトサラダなど、たくさんの料理が並んでいる。 幻海の道場で、ふたりは一足早く花見の準備をしていた。 道場の周りには、満開の桜が見渡す限り広がっている。 天気も良く、晴れ渡った空から、太陽の光が燦々と降り注いでいた。 ときおり風が吹き、桜色の花弁がかろやかに舞い踊っていた。 螢子は長い髪をハーフアップにまとめ、白いニットにジーンズ姿だった。 雪菜は淡いグリーンのニットワンピースをまとい、ひとつに編んだ髪をサイドに流している。 すっかり春めいた気候に、新しい服を買わないととふたりで話したところだった。 「雪菜ちゃん、最近ミニスカート履くようになったよね」 螢子の言葉に、雪菜はそうですか?と言おうとして、 そういえば、今日もミニスカートであることに気づいた。 「そうかもしれません」 「最初はあんなに抵抗あるって言ってたのに」 おしゃれに目覚めてくれてよかったと螢子は笑った。 着物しか着たことがない雪菜にとって、ミニスカートは初めは未知のものだった。 あんなに脚を出すなんて無理と、ロングスカートばかり履いていた。 だが、人間界の生活に慣れて行くうちに、ミニスカートが可愛いと思うようになった。 ファッション誌を見るようになり、いろんな服装や髪型をしたいと思うようになり、 今ではそれが楽しかった。 「ねぇ、もしかして最近恋してる?」 「…! …わかりますか?」 「やっぱり! なんか最近綺麗になったもん」 「そう、ですか…?」 「で? 相手はどんな人なの?」 にこにこと笑う螢子に、雪菜は少し考える素振りを見せた。 「…えっと…とても優しくて、面倒見が良くて、頭も良いし格好良くて…。 ときには叱ってもくれるし、心配もしてくれるし… わたしはきっと相手にはされてないんですけど、一緒にいて安心できる方なんです」 その人物のことを思い出したのか、雪菜が嬉しそうに微笑む。 雪菜の言葉を聞いて、螢子は目を瞬いた。 そんな完璧な人、ひとりしか思い浮かばない。 「え、それって…」 螢子がそう言いかけた瞬間、急に雪菜があらぬ方を向いた。 急に変わった視線と表情に、螢子は訝しげな視線を送る。 「どうしたの…?」 「螢子さん、ここにいてください…!」 そう言って、雪菜は台所を抜け、居間を通り、縁側に向かった。 中庭には桜の花々が晴れやかに咲き誇っている。 だが、そこに何か見知らぬ気配を感じた。 「雪菜ちゃん? 何かあった…?」 不思議そうな顔をして、螢子が後を追いかけるように居間へと来た。 そのとき、何かが襲ってくるような気がして、雪菜はとっさに縁側から中庭へ飛んだ。 すると、さっきまでいた場所を轟音とともに衝撃が襲った。 なんとか体勢を整え、螢子がいる場所に結界を張る。 応援を呼ぶよう頼んだ瞬間、雪菜の身体は宙を舞った。 吹き飛ばされて、数メートル先の木に強かに背中を打ち付けられる。 斬撃が太腿を裂き、鮮血が流れた。衝撃波で桜吹雪が荒々しく舞い踊る。 身体を打たれた衝撃で、呼吸が苦しくなる。 響く螢子の悲鳴と、見たことのない2人組の姿が雪菜の意識を捉えた。 蹲っている身体をなんとか起こそうとした瞬間、胸許を掴まれ、持ち上げられた。 「お前が霊光波動拳の継承者か」 低い声音で尋ねられる。 だが、雪菜が答えるよりも早く、男は自答した。 「…いや、違うな。ただの妖怪か」 「……あなた、たちは…?」 雪菜が辛うじて訊き返すと、後ろに佇むもう1人の男が卑しい笑みを浮かべて答えた。 「俺たちは霊光波動拳を奪いに来た」 * 「荷物はこれで全部さね」 「よし、じゃぁそろそろ行くとすっか」 そう言いながら、幽助たちは静流の車に乗り込んだ。 運転席に静流が座り、助手席には桑原、後部座席の1列目に幽助と蔵馬、 2列目にぼたんが座っている。 トランクにはお酒やらお菓子やらが大量に積まれていた。 「雪菜さんたちの準備も出来たみたいだぜ! さっきメール来てた」 螢子と雪菜が料理を用意し、他のメンバーは買い出しという分担になっていた。 目的地へと向かう車内で、幽助の携帯が鳴った。 幽助はジーンズのポケットから携帯を取り出し、画面を確認してから電話に出た。 「よぉ、螢子。今ちょうど向かってるとこだぜ」 幽助はいつもの調子で話し掛ける。 だが、電話口から聞こえてきた声は、想像と掛け離れていた。 『幽助! 早く来て! 雪菜ちゃんが…!!』 「あ? 雪菜ちゃんがどうしたんだよ?」 雪菜の名前が出てきたことに、車内の皆も幽助の電話に注目する。 『2人組の男が来てて…雪菜ちゃんが襲われてるのよ!』 「!?」 『早く助けに来て…!』 「オメェは無事なのか!?」 『結界の中にいるから大丈夫! でも雪菜ちゃんが…』 「わかった! すぐ行く! 携帯このまま繋いどけよ!」 幽助は隣の蔵馬に目配せする。 今の会話が聞こえていた蔵馬は、意を得て頷く。 「静流さん、車止めてくれ! 蔵馬と先に行く!」 その言葉に、静流は頷いて車を路肩に寄せて止めた。 「浦飯! 雪菜さんになんかあったのか!?」 「説明はあとだ! オメェらはこのまま車で向かってくれ!」 「おい!」 待てよ、と桑原が言おうとしたが、幽助と蔵馬は車を降り、遥か彼方へと飛び去っていった。 車で行くより、彼らが全速力で走った方が速かった。 襲われている。 その言葉に、蔵馬は苦い顔をする。 胸中に広がる不安を蹴散らすように、幻海の道場へと急いだ。 * 幽助と蔵馬が道場の門をくぐると、目の前に飛び込んできたのは、石畳の上に蹲る雪菜の姿。 淡いグリーンのニットは薄汚れ、結われた三つ編みはほどけていた。 白い太腿から赤い鮮血が流れ、血溜まりを作っている。 蔵馬が駆け寄って、その身体を抱きかかえるように起こした。 着ていたカーディガンを脱いで、雪菜の太腿に巻く。 「雪菜ちゃん! 大丈夫ですか!?」 「……蔵馬さん…」 辛うじて言葉を発するが、打ち付けた背中の痛みで息がしづらかった。 「…螢子さんは……」 その言葉に、中庭の奥へと様子を見に行った幽助が答える。 「無事だ! もう大丈夫だから、結界解いてくれ!」 蔵馬も振り返って後方を見る。居間に座り込んでいる螢子の姿が見える。 螢子の周りには強力な結果が張ってあり、中にいる彼女は傷ひとつ負っていないようだった。 「雪菜ちゃん、結界解いて」 蔵馬に言われて、はっとしたように雪菜はその力を解いた。 同時に、緊張が緩んだようにどっと疲労が押し寄せる。 雪菜の身体を、蔵馬は抱き上げた。 「ぼたんが来たら、治療を手伝うよう言ってください」 そう言って蔵馬は縁側から中へ入り、奥の客間へと雪菜を抱えたまま向かっていった。 「蔵馬さん! 何か手伝います!」 「とりあえず救急箱とすり鉢と棍棒を。 それから、お湯とタオル持ってきてもらえますか。あと着替えも」 螢子ははいと頷いて、言われたものを取りに向かった。 客間へと入った蔵馬は、畳の上に雪菜の身体を下ろす。 襖を閉め、押し入れから布団を出して敷いた。 雪菜をその上に寝かせ、所々破れてほつれているニットワンピースを脱がせ、 インナーも脱がせて、うつ伏せにした。 真っ白な背中が、痛々しいほどに変色している。 擦れて血が滲み、青く痣になっている箇所もある。 蔵馬はすぐに魔界の薬草を召喚した。 太腿の傷は止血用の薬草を調合する必要があるため、カーディガンで止血したままにし、 先に背中の治療にあたる。 そのまま傷口に使える薬草を選び、ブラジャーのホックを外して、擦り切れた背中に貼っていく。 薬草が貼られた感触に、雪菜は小さく反応したが、意識はすでに朦朧としているようだった。 傷も深いが、それ以上に、妖力の消耗の方が激しかった。 しばらくして、螢子が救急箱を持って現れた。 雪菜の傷の具合に息を呑んだ様子だったが、すぐに次に頼まれていたものを取りに戻った。 そうこうしているうちに、車で向かっていた桑原たちが到着し、 幽助から伝言を聞いたぼたんが、治療の手伝いに来た。 辺りの慌ただしさや動揺を感じながらも、雪菜は深い眠りに落ちていった。 3/戻/5 |