5. 雪菜が次に目を覚ましたときには、辺りは真っ暗になっていた。 仰向けになってしまわないよう、横向きにされた身体の背中側に丸めた布団が置かれており、 寝返りを打てないようにしてあった。 雪菜はゆっくりと身体を起こす。 鈍い痛みが走ったが、幸い重症ではなかった。 浴衣に着せ替えられ、背中や太腿に治療が施されている。 ところどころある小さな擦り傷も、丁寧にガーゼや絆創膏で処置されていた。 辺りはあまりにも静かで、今何時なのかがわからなかった。 ふと、障子の向こうを見ると、月明かりに照らされてうっすらと人影が見えた。 それが誰かわかるまでに時間を要しなかった。 毛布を纏い、障子を開けて縁側に出る。 すでに気配を察していたかのように、縁側にいた人物はこちらに視線を向けた。 「まだ寝てないと駄目だよ」 縁側に片膝を立てて座っていた蔵馬が、苦笑しながらそう言った。 雪菜は構わず縁側に出て、蔵馬の隣に座った。 「大丈夫ですよ。もうあまり痛みもないですし」 「それは痛み止めのおかげですよ」 言いながら、蔵馬は雪菜の頬に触れる。 顔色をうかがうように覗き込んだ。頬に貼られた小さな絆創膏が痛々しい。 「聞きましたよ、霊光波動拳を奪いに来た奴らだそうですね」 「はい。幽助さんが狙われてるみたいです…」 大丈夫でしょうか、雪菜がそう言う。 とばっちりでこんな傷を負ったというのに、幽助の心配をしている雪菜に、 蔵馬は内心で苦笑しつつも彼女らしいと思った。 「この辺りは俺と幽助の縄張りですから、こんなことは起きないと思っていたんですが… 知らない連中がまだいたようです」 幽助と蔵馬は、人間界ではもちろん、魔界でも名が知られている妖怪である。 そのふたりが治めている地で、こんな横暴を働く奴がいようとは。 懲らしめる必要があると、幽助はすでに2人組の跡を追っていった。 今頃コテンパンにやられているところだろう。 「…ごめんなさい、また心配を」 「ほんとですね、これじゃ一生目が離せないかな」 蔵馬が苦笑する。 もちろん、今日のことは雪菜のせいなどではない。 が、こうも巻き込まれてしまうと、護りたくても護れない。 「…これ、付けといてください」 「?」 そう言って蔵馬が差し出したのは、細いシルバーでできたバングル型のブレスレットだった。 切込みがあるC型の形状で、装飾のないシンプルなつくりとなっている。 「庇護の証と言って、魔界では、頭領から仲間の証を部下に与えたりするんです。 それで領土や部下を自分の縄張りとする」 もっとも、魔界じゃ革紐とかの洒落っ気のないものですけどね、と蔵馬は付け加えた。 実際のところ、見た目は関係なく、掛けられた術式が重要だった。 「これには俺の妖気を込めた術が掛けてあります。 よっぽどのもぐりじゃなければ、手出ししてこないはずです」 そう言いながら、蔵馬は雪菜の左の手首にブレスレットを付けた。 「もちろん普通の人間には効かないし、 文字どおり俺のものってことになっちゃうんですけどね」 「!」 俺のもの。 その言葉に、雪菜は嬉しいやら恥ずかしいやらで頬を染めた。 「高等妖怪ってだけで狙われることもあるだろうし、 氷女を狙う奴らはまだいるだろうから。だから、せめて護らせて」 「…! はい…! ありがとうございます」 雪菜は頷きながら、手首に付けられたブレスレットを見た。 理由は決してロマンチックなものじゃないが、アクセサリーを貰ったことが、 なんだか特別なような気がして嬉しくなった。 「…大丈夫ですか」 「え…?」 「怖い思いをしたでしょう」 「…大丈夫です」 「本当に?」 蔵馬は雪菜をうかがうように見る。 いくら大丈夫と言われても、不安が過ぎる。 暴力というものが、どれだけ彼女を虐げてきたのかを知っている。 過去の傷が、痛みが、抉られてはいないだろうか。 心が壊れてしまわないだろうか。 彼女が強いのは知っている。 けれど、心というのは、強さに反して脆く壊れやすいものだ。 蔵馬の意を汲んだのか、雪菜は微笑んでみせた。 「本当に大丈夫です」 「……」 「こうやって、蔵馬さんが隣にいてくれるから大丈夫」 「!」 この優しさが、独り占めできないのだとしても。 今は、自分のことだけを心配して視線を注いでくれている。 それだけで十分だ。 大丈夫と言える十分な理由になる。 にこりと笑う雪菜に、蔵馬はくすぐったい心地がした。 真っ直ぐで無垢な言葉に射抜かれた心を落ち着けながら、 その緑がかった蒼い髪を撫でた。 「いつでも傍にいるよ」 「!」 「だから、駄目なときはちゃんと教えてね」 こくりと雪菜は頷く。 見つめられ、頭を撫でられて、どきどきと鼓動が速くなるのを感じていた。 「あと、そうだ」 「?」 「雪菜ちゃんさ、力の配分下手すぎ」 「え…?」 「結界に妖力を使い過ぎです。少しは自分の防御に回さないと。 だからこんな怪我しちゃうんですよ?」 言われて初めて、雪菜はこの疲労感の正体を理解した。 単純に力を使い過ぎたのだ。 「ごめんなさい、あんまりそういうのわからなくて…。あのときは必死だったから…」 「まぁでも、そのおかげで螢子ちゃんを護れましたけどね」 「…!」 「ひとりで、よく頑張ったね」 蔵馬の言葉に、雪菜はなぜか泣きそうになった。 ちゃんと護れた。役に立てた。 そのことが嬉しかったし、何よりも、それを蔵馬が認めてくれたことが嬉しかったのだ。 「さ、そろそろ布団に戻って。まだ安静にしてないと駄目ですよ」 そう言って蔵馬は、背中の傷になるべく触れないようにしながら、雪菜を抱きかかえた。 「蔵馬さん…! わたし歩けますよ…!」 雪菜の抗議に、蔵馬は微笑んで返しただけだった。 布団に下ろして身体を横向きにし、掛け布団を掛ける。 離れていこうとするその手を、雪菜は思わず掴んでいた。 「…?」 「……行かないで」 「!」 小さな声だった。 蔵馬は驚いた顔をしたが、すぐに微笑を返して、控えめに掴まれた手を強く握り返した。 「どこにも行かないよ」 その言葉に安心したのか、雪菜は微笑んで、すぐに眠りに誘われていった。 * 翌朝。 痛み止めが切れたのか、思い出したかのような痛みに襲われて、雪菜は目を覚ました。 最初に視界に飛び込んできたのは、蔵馬の姿だった。 「おはよう」 「…!」 雪菜は思わず飛び起きた。 そして、未だ繋がれた手に、昨夜のことを思い出す。 「ごめんなさい、もしかしてずっとこうして…?」 「可愛い寝顔を見るのは飽きなかったですよ」 「!」 「…魘されたりしないか心配だったけど、よかった」 蔵馬は繋いでいた手を離し、雪菜の頭を撫でた。 薬湯作ってきますね、そう言って出て行く蔵馬の姿を、雪菜は茫然と見つめていた。 一晩中ずっとここにいて、手を握り続けてくれていた。寝ずにずっと。 申し訳なくもあり、嬉しくもあった。 行かないでだなんて、我ながら恥ずかしいことを言ってしまった。 けれど、どこにも行かないと言って、本当に傍にいてくれた。 誰に頼まれても、きっと同じことをしてくれる。 だけど、彼の優しさがとても嬉しかった。 * 「雪菜ちゃん! 大丈夫!?」 程なくして部屋に入ってきたのは、螢子とぼたんと静流だった。 蔵馬から受け取ったのだろうか、螢子は薬湯が載ったお盆を手にしていた。 「螢子さんこそ、ご無事ですか?」 「私は全然平気よ! 護ってくれてありがとう! でも、もうあんな無茶しないでね」 今にも泣きそうな螢子に、はいと雪菜は微笑んだ。 「蔵馬くんから薬草の湿布とか預かってきたから、とりあえず包帯交換しようか」 「あの、蔵馬さんは…?」 「居間にいるよ。さすがに雪菜ちゃんの裸を2回も見るのは申し訳ないって」 「!!」 「もう、静流さん! そんな言い方蔵馬さんはしてなかったでしょ!」 そうだっけ、と言いながら静流は預かってきたものを布団のそばに並べた。 そして、ふと気づく。 「どうしたの、そんな赤い顔して」 「…だ、だって…わたし、蔵馬さんに裸を…!」 「え、いまさら?」 「だって、あのときは朦朧としてて…」 「これまでだって診察とかしてもらってたじゃない」 「それとは違います…! どうしよう…もう絶対子どもだと思われた……」 「子ども…?」 赤面して顔を覆う雪菜に、螢子たちはにやにやと頬を緩ませる。 少し前なら、裸を見られても治療のためならと、なんとも思っていなかっただろう。 だが、今は、照れたその姿が年相応の女の子に見えた。 「大丈夫よ、雪菜ちゃん。もう子ども体型なんかじゃないし、胸だって立派に成長してんだから」 「白くてすべすべの肌見れて、蔵馬も目の保養になったんでないの」 「あ、確かに雪菜ちゃんの太腿って白くてそそるかも」 好き勝手に言う静流たちに、雪菜はさらに頬を赤くした。 「まぁ要は、雪菜ちゃんは完璧に可愛いから大丈夫ってことよ」 「そうそう。それに、あのときの蔵馬はホントに必死だったから、 やましいことは考えてないだろうしね」 「! そうですよね」 「今はどうか知らないけど」 「……」 蔵馬はきっと治療に専念していて、裸を見たことなんて気にも止めてないだろう。 だから、気にしなくていい、そんな気がするが、なんとも思われていないのだとしたら、 それはそれでショックな気もした。妹としか見られてない。それが確定してしまう。 ぼたんたちに包帯や湿布を替えてもらい、薬湯を飲む。 薬湯は苦かったが、蔵馬が出来るだけ苦くない薬草を選んで煎じていることを知っているため、 我慢して飲むことが出来た。 * 居間では、まだ雪菜に会えていない桑原が、 落ち着かないように畳の上を行ったり来たりしている一方で、 幽助がにやにやと蔵馬を見ていた。 「…で? 実際どうなわけ?」 「…何がですか?」 「とぼけちゃって。聞こえてんだろ?」 幽助の言葉に、蔵馬は答えに窮したようだった。 耳が良いというのは、こういうときには困りものである。 あのときは、本当に何も考えてはいなかった。 ただ痛々しい傷を治療することしか頭になかった。 だが、今改めて問われてみると、陶器のように白く滑らかな肌が思い起こされてしまうのは、 否定できないことだった。 「…完璧に可愛いってのは確かですね」 蔵馬がそう答えると、さらに幽助がにやにやと笑った。 * 1時間くらい経った頃だろうか、居間の襖が開き、女性陣が姿を現した。 その中には新しい浴衣に着替え、上掛けを羽織った雪菜もいた。 「雪菜さん!! もう起きて大丈夫なんですか!?」 「はい。もう大丈夫です。怪我は大したこと無いんですけど、力を使い過ぎてしまいました」 「そうだったんですね…! でもでも、無理はしないでくださいよ!」 心配する桑原に、雪菜ははいと頷いた。 「雪菜ちゃん、悪かったな。巻き込んじまって」 幽助が申し訳なさそうに言うのを、雪菜は首を振って応えた。 「螢子護ってくれてありがとな」 「! …はい!」 改めてお礼を言われて、雪菜はなんだか気恥ずかしい気持ちになった。 だが、何もできなかった自分が、誰かのためになれたことは、少しだけ自分を誇れる気がした。 ふと、蔵馬と目が合う。 さっきの話を意識してか、雪菜は頬を染めて、上目遣いに蔵馬を見る。 蔵馬は、その可愛い仕草は無意識だろうなと苦笑した。 「さて、1日遅れちゃったけど、花見しようか!」 空は快晴。 本日も花見にふさわしい天気だった。 4/戻/6 |