7.

「ねぇ、雪菜ちゃんの好きな人って、もしかして蔵馬さん?」
「!! …なんでわかったんですか?」
「いや、なんか話聞く限り、そんな完璧な人、蔵馬さんくらいしかいないなーって思って」

雪菜の怪我の見舞いと、護ってもらった礼の菓子折りを持って、螢子は桑原家に来ていた。
あんなに大怪我を負ったのに、雪菜の傷はすっかり治っており、
螢子は妖怪の回復の早さには改めて驚かされた。

花見のあの日。
途中で中断してしまった雪菜の恋バナの続きが螢子は気になっていた。
雪菜の好きな人が蔵馬かもと思った瞬間、あの日甲斐甲斐しく介抱していた蔵馬の姿に
ときめかずにはいられなかったのである。

「幽助から聞いたんだけど…魔界のパーティーでさ、蔵馬さんの部屋に泊まったんでしょ?」
「…! …はい」
「何もなかったの?」
「何もとは…?」
「だって、蔵馬さんだって男なんだし、一緒の部屋って…ねぇ?」

螢子の言わんとすることを理解したのか、雪菜は否定の意を示した。

「何もないですよ。蔵馬さんにとって、わたしはそういう対象じゃないみたいで…」
「そうなの?」
「護られてるだけなんだと思います。わたしがまだ世間知らずだから…」

雪菜の言葉に、螢子はなんだか腑に落ちない気がした。
確かに、目の前の少女は、まだどこか幼くて、危なっかしくて、護ってあげたくなる存在だ。
けれど、だからと言って、蔵馬ほどの分別のある人物が、
女の子と同じ部屋に2人きりで泊まろうとするだろうか。

「…わたし、諦めようと思ったんです。…傍にいるのがつらいから…」
「…!」
「でも、蔵馬さんは優しいから…わたしをずっと心配してくれて、傍についててくれて。
 そんなことされたら、ますます好きになってしまうのに…」

雪菜が切なげな顔をする。

「…蔵馬さんも罪作りな人ね」
「ホントそうです…放っておいてくれればいいのに」

でも、と言いかけて、しかし螢子は口をつぐんだ。
本当は、蔵馬が思わせぶりなことをするとは到底思えなかった。
彼は聡明で、思慮深い。
いくら心配だからといって、誤解を与えるようなことをするだろうか。
女性から好意を持たれないような振る舞いを心得ているはずだ。

雪菜が保護の対象に見えるからだろうか。
彼女が色恋などまだ知らないと思っているからだろうか。
それとも、本当に特別だと思っているがゆえの行動だろうか。

だとしたら、彼女にこんな切ない初恋をさせている自覚はあるのだろうか。

「告白しようとか思ったことないの?」
「こっ、告白ですか…!? な、ないです、そんなこと…!」
「ないの? どうして?」
「だって、結果なんて目に見えてるし…そんな…」
「そんなの言ってみないとわかんないじゃない」
「さすがのわたしでも、それくらいわかりますよ…!」
「そう? …でも、いいの? 想いを伝えないまま終わっても」
「…!」
「伝えたら、蔵馬さんだって意識してくれるかもよ?」
「…意識、される前に終わるかもしれません…。
 なんだか、そういう対象には見れないんだって申し訳なさそうに言う
 蔵馬さんの姿が容易に想像できます…」
「えぇ、ネガティブ〜! そんなのわかんないでしょ」

雪菜のマイナス思考に、螢子は苦笑する。

「だって……! あんな完璧な方が、わたしを好きになってくれる気がしません…。
 歳だって、離れてるし…」
「いや、言っとくけど、雪菜ちゃんだってかなりの美少女だからね?
 それに歳だって、見た目はそこまで離れてないから平気じゃないの?
 妖怪でも歳って気にするの?」
「…わからないですけど…でも、蔵馬さんにはもっと聡明な大人の女性が合う気がするんです…」

例えば麗子のような。
結果的にふたりの間には何もなかったが、並んだ姿はとてもお似合いだった。

「それは雪菜ちゃんのイメージでしょ?
 …まぁ、結局蔵馬さんの好みは聞き出せなかったけどね〜」
「そうですね…」
「でも、まだ頑張る気はあるんだ?」
「! …まだ、諦められる気はしないです…」

雪菜はカップの中の紅茶を見つめる。

「最初は、ただ、気に掛けてくれる親切な方が初めてで…
 それで、恋してるって錯覚してるのかもって思ったんですけど…。
 でも、やっぱり蔵馬さんじゃなきゃやだなって…。……誰かに盗られたくない……」
「いやー、もー、可愛すぎて、今の話蔵馬さんに聞かせてあげたいわ」
「え! だ、だめですっ!」
「ただでさえ競争率高いんだから、ちゃんとアピールしとかないともったいないよ?」
「うっ…そうですよね…。でも、わたしがアピールしたところで気づいてくれないんじゃ…」
「そんなことないって! 妹的存在から脱するためにも、もっとアピールしてかないと。
 魔界にもライバルいるわけでしょ?」
「そうだと思います…」
「魔界の女の人の方が手強そうよね」

なんとなくだけど、と螢子は付け足した。
アピールと言われても、具体的にどうすれば良いか雪菜にはわからなかった。
どこかに出掛けたいと誘ったとしても、ひとりで行くのが不安だからとか、
単に人間界のものに興味があるだけだとか、
そんな風にしか蔵馬は捉えてくれないだろうという気がした。
どこかに行きたいのではなく、蔵馬と出掛けたい。
それがどうやったら伝わるかが見当もつかなかった。

雪菜が小さく溜息をついたそのとき。
携帯が鳴った。メールの着信音だ。
雪菜は携帯のディスプレイを見て、あ、と小さくつぶやく。
その表情を螢子が見逃すはずがなかった。

「なに? もしかして蔵馬さん?」
「! …はい」
「なんて?」
「……その、今度フラワーガーデンに行かないかって…」
「えっ! それってデートのお誘い??」
「そんな、デートだなんて…! お花の勉強です…!」

以前誘われたとき、確かにデートの誘いだと彼は言っていた。
けれど、あのときは酔っていたし、本気だとは思っていなかった。

「よかったじゃん! もちろんふたりきりでしょ?」
「そうだと思います…」
「いやー、なんか私の方がどきどきしてきたわ」

笑いながら螢子が言う。
まるで少女マンガを見ているような甘酸っぱさだ。
盛り上がる螢子とは裏腹に、雪菜は努めて冷静になろうとしていた。
浮かれて変な期待をしてはいけない。そう自分に言い聞かせる。

「…きっと蔵馬さんには深い意味なんてないんですよ。
 わたしが花屋で働いてるから、たまたま誘ってくれただけで…」
「そうかな? 蔵馬さんが女の子を誘ってるとこなんて見たことないけど」
「もはや女の子なんて思ってないのかも…」

ネガティブな雪菜の言葉に、螢子は苦笑する。

「そうやって自分で暗示掛けてどうするの?」
「…!」
「雪菜ちゃん自身が、妹みたいになろうとしてるみたい。
 ホントのところは蔵馬さんに聞いてみないとわかんないんだし、決めつけたら勿体無いよ」
「……そう、ですよね」
「せっかくの機会なんだし、存分にアピールしてきたら?」

ふふっと笑う螢子に、雪菜は決心したように、はい、と頷いた。

自信なんかない。
選ばれる気もしない。
けれど。

――デートのお誘いですよ?

あのときの言葉を信じてみようと思った。



*



「おはよう」
「おはようございます…!」

皿屋敷駅の改札前。
チャコールグレーのシャツに濃紺の細身のジーンズ姿で、蔵馬は雪菜に笑顔を向けた。
雪菜はダークブルーのTシャツに、グレーのカーディガンを羽織り、
ふわりと広がる膝丈の白いフレアスカート姿だった。
足元は、歩きやすいようにヒールの低いパンプスを履いている。
いつもストレートの髪が、今日はゆるやかに巻かれていた。

「髪、ふわふわだね」
「え? …あ、そうなんです…! 静流さんに巻き方を教えてもらって…」
「可愛いですね」
「! …あ、ありがとうございます」

蔵馬の褒め言葉に、雪菜は照れて思わず視線を逸らした。
その様子に、蔵馬がふふっと笑う。
笑われて、雪菜はさらに恥ずかしくなってますます頬を染めた。
初っ端からこんな調子で、今日一日保つだろうかと今更ながら不安になる。

些細な変化にすぐ気づいてくれる。
それがどれだけ嬉しいか、きっと彼は知らないのだろうと雪菜は思う。
照れることなくさらりと相手を賛美する言葉が言えてしまうのが、
蔵馬の良さでもあり、罪深いところでもある気がした。

隣の県にあるフラワーガーデンまでは、乗り換えの時間も含めて電車で1時間ほどの距離だった。
土曜日ということもあって、入口は人混みで混雑していた。
入場ゲートに向かう列にしばらく並び、園内に入ると、目の前の広場には噴水があり、
周りを色とりどりのチューリップが囲んでいた。
写真スポットになっているようで、人垣が出来ている。

雪菜は蔵馬の隣を歩いていたはずが、前から来る人に道を譲り、
横から来る人とぶつかりそうになるのを避けたりしているうちに、
すぐに数歩遅れてしまい、慌てて蔵馬の後を追った。

「このままだと逸れちゃいそうだね」
「ごめんなさいっ…!」
「道譲っちゃうのが雪菜ちゃんらしいけど」

ふふっと笑いながら、蔵馬は自らの腕に視線を移した。

「腕、掴んでて」
「…え?」
「逸れないように」
「!」
「手繋ぐのでもいいですけど」
「う、腕でいいです…!」

手なんて繋いだら、緊張で死んでしまう。
そう思いながら、差し出された腕を雪菜は遠慮がちに掴んだ。
腕を組んだその距離の近さに、どきどきと鼓動が高鳴る。
手を繋ぐよりマシかと思ったが、これはこれで落ち着かない。

彼に触れている。
それだけで、早鐘のように鳴る鼓動は、鳴り止む気配がなかった。

「チューリップ、綺麗だね」
「…! そうですね…!」
「あっちはガーベラかな」

咲き誇る色とりどりの美しい花々。
晴天の青い空の下、見事なまでの光景が広がっている。

なのに。
隣にいる彼の存在しか意識の中に入らない。

園内を進むと、ジャスミンやラナンキュラス、クレマチス、ポピー、ルピナスといった春の花々が、
優美な空間を創り出していた。美しく可憐なその姿に、思わず溜息が漏れるほどだ。
雪菜は、なるべく腕を掴んでいることを意識しないよう、目の前の花々に集中する。
今日来た目的は花の勉強であることを頭の中で何度も唱えた。

「お店で花言葉を訊かれることがあって、覚えようとしてるんですけど、
 ひとつの花にもいろんな意味があるんですね」
「正反対の意味だったり、関連性のないものだったりするから難しいですよね。
 バラなんて、色や本数で花言葉が違うから、覚えるの大変でしょ?」
「そうなんですよ…! なんであんなにいろんな意味があるんでしょうか…」

バラは需要が高いこともあり、花言葉を聞かれることも多い。
色別は大体覚えられたが、本数別はカンペがないとまだわからない。
そもそも本数で花言葉を訊いてくるのは相当マニアックな客だが。

花言葉は、アラビア地方のセラムという風習が由来だといわれている。
花や果物や絹糸や小物に意味を込めて贈るその風習がヨーロッパに伝わり、
花に意味を込めて気持ちを伝えるようになったことが、花言葉の誕生とされる。
国の歴史や文化の違いから、花言葉は多様な意味を持って後世に受け継がれており、
様々な意味を持っているのであった。

「それほど、いろんな人の想いが花に込められてきたってことなんだろうね」
「…そうですね。そう思うと素敵なことではあるんですけど…」
「まぁ、花屋としては困りますよね」

笑う蔵馬に、雪菜も苦笑する。
良い意味の花言葉もあるが、ネガティブな意味の花言葉だと、なかなか伝えづらい。
まさに目の前にあるマリーゴールドが良い例だ。
『嫉妬』『絶望』『悲しみ』だなんて花言葉を聞いてしまったら、手に取るのを躊躇うだろう。

「春の花だと、雪菜ちゃんはジャスミンとかスノーフレークのイメージかな…」
「え…?」
「…スノーフレークなんて安易かな?」
「いえ…!」

蔵馬の言葉に答えながら、雪菜は花言葉を思い出そうと記憶を辿る。
ジャスミンは『優美』や『愛らしさ』、スノーフレークは『純粋』『汚れなき心』
といった意味だった気がする。どちらにせよ、自分には畏れ多い言葉だ。
単に、白い花のイメージということなのだろうと雪菜は思った。

園内の緩やかな上り坂を進んで行くと、小高い丘へと続いていた。
いくつか点在している木製のベンチのひとつがちょうど空いており、ふたりはそこに腰を下ろした。
掴んでいた蔵馬の腕から手を離す瞬間、雪菜は緊張から解かれてほっとしたような、
けれど、もう少し触れていたいような複雑な心地がした。
ベンチからは斜面に広がる花々が視界一面に広がっていた。

「わぁ、綺麗…」

思わず零れた雪菜の声に、蔵馬も微笑を返す。
色とりどりの美しい花々を見ているだけで、何時間でも過ごせるような気さえした。

「…こんなに素敵な景色を見られる日が来るなんて、思ってなかったです」

ぽつりと紡がれた雪菜の言葉に、蔵馬は視線を向けた。
雪菜は花を見つめたまま、話を続ける。

「故郷に花は咲かないので、当然花を愛でるなんて習慣はなくて…。
 わたしはよく国を抜け出して、森の中に咲く小さな花を見つけては喜んでいました」
「よく抜け出してたんだ?」
「はい。掟を守らない悪い子どもでした」

悪戯っ子のように雪菜は笑う。
冷たく凍りついた国にいるのが嫌で、その空間から逃れたい一心で、
外界に出てはならないという故郷の掟を何度も破った。

「外界に降りると、モノクロだった世界が一気に色付いたような気がして…。
 緑の樹々も、鮮やかな花も、元気な動物たちの姿も、何もかもが輝いて見えました」

当時を懐かしむかのように雪菜は目を細めた。
外界の動物たちが、幼いころの唯一の友達だった。
何度も抜け出したせいでブローカーに捕まってしまったわけだが、
そうなった運命に、今では後悔はしていなかった。

「泪さん…あ、育ての親が仕事に出掛けると、わたしはいつもひとりきりで…。
 だから、こっそり抜け出しても全然バレなかったんです。
 国から飛び出して、高い木に飛び移って外界の森に降りては、
 陽が沈むまで動物たちと遊んでいました」

空に浮かぶ氷河の国から脱出するには、地上まで続く長い梯子や転移装置などの手段もあるが、
こっそり抜け出そうとする子どもが使えるはずもなく、
高い木々の側を通り過ぎるのを見計らって飛び降りる必要があった。
今思えば、子どもながらの無謀さと好奇心によって成せる技だったのだろう。

そこまで話して、雪菜ははっとした。
思わず昔のことを語ってしまっていた。

「…あ、ごめんなさい! こんな話、つまらないですよね…!」

焦る雪菜の様子に、蔵馬は微笑を浮かべながら首を振る。

「そんなことないですよ。雪菜ちゃんの子どもの頃の話、興味あるし」
「え、そうですか…?」
「あんまり過去のこと、話してくれたことなかったから。
 思ってた以上に活発な子だったんだね」

笑った蔵馬に、雪菜は少し気恥ずかしくなった。

故郷の話をすると、どうしても暗い面を露呈してしまいそうで、
雪菜が過去のことを誰かに話すことはほとんどなかった。
だが、蔵馬には既に、故郷が滅んでもいいと思っていたことを知られているからか、
今さら隠すこともないような気がするのだった。

「外界に憧れて抜け出してはいましたけど、そこで見られたものは
 本当に世界のごく一部で…。まだまだ知らないことがたくさんあるんですよね」
「魔界はもちろんのこと、人間界も広いですからね」
「蔵馬さんは、どんな世界を見てきたんですか?」
「俺? 俺の世界は…そうですね。盗賊団をやっていた頃は随分と殺伐としていたけど、
 ひとりで古文書や遺跡の謎を解くようになってからは、魔界のあちこちに行ったな…。
 でも、あまり景色を楽しむような風情は持ち合わせてなくて、
 今思えば、もう少し魔界の美しさも知っておけば良かったなと思います。
 そしたら、この前一緒に見た幻蝶華のような綺麗なものを知ることができたのに」

謎を解く面白さや好奇心はあったものの、綺麗なものを愛でるなど考えたこともなかった。

「あの頃は、美しいものを眺めて心が安らぐだなんて、知らなかったんですよ」
「それを知ったのは、いつですか?」
「…母さんに会ったからかな」
「! …お母様はすごい方ですね」
「そうだね。この身体になって、母さんに会わなければ、
 俺はきっと、大事なものを知らずにいたんだろうなと思いますよ」

人間界での生活がなくても、魔界で誰かと出逢って、
優しい世界を知るなんてこともあったのかもしれないが、
少なくとも、今の自分を作り上げたのは、間違いなく母親の存在で。
そして、そうなった自分を、少なからず気に入っている。

「なんだか、不思議ですね。
 …本当は望んでいなかったことでも、それらのひとつひとつが歯車みたいに噛み合って、
 そのおかげで、こうして今過ごせてるんですよね」

雪菜が感慨深げに呟く。
これまで生きてきた道のりは、決して望んだものではなかった。

けれど。
それを嘆くことよりも、今、ここにいられる幸せの方が大事な気がした。
優しい場所にいられる自分は、きっと、それだけで果報者なのだ。

翡翠の優し気な瞳に見つめられていることに気づいて、
雪菜はどきりとして、前方の景色へと視線を逸らした。
だが、意を決したように、再び蔵馬に向き直る。

「…あの、幻蝶華を一緒に見たとき、言ってくれましたよね…」
「?」
「その…わ、わたしと、綺麗な場所を一緒に見るのも、幸せのひとつだと…」
「! …ええ、そうですよ」
「だから……えっと…」

どう言うべきか迷っているような雪菜の様子に、蔵馬は微笑を浮かべたまま言葉を紡いだ。

「こうやって、ときどき、綺麗な世界を俺と一緒に見てくれますか?」
「!」

言いたかったことを蔵馬に言われ、雪菜は一瞬呆然としたが、
顔を赤くしながらも、はい、と頷いて微笑んでみせた。

ああ、でも、これでは、一緒に出掛ける理由が、
綺麗なものが見たいから、ということになってしまう。
そうじゃないのだ。
綺麗なものは確かに見たいが、それだけではない。
蔵馬と一緒にいたいのだ。それをどうしたら伝えられるのか。

「わたしも、蔵馬さんと見たいです」
「…え?」
「蔵馬さんと一緒がいいです」
「!」

驚いた蔵馬の顔に、雪菜ははにかむように笑いかける。

いつか、この優しさを手離さなければならない。
いつまでも、自分に縛っていられない。
けれど、そのいつかは、まだ来ないでほしい。
もう少しだけ、この優しい世界に包まれていたい。

蔵馬が何か言おうとしたそのとき、一陣の風が吹き抜けた。
風に花びらが舞い、雪菜の長い髪を散らした。

「わ、すごい風ですね…!」

乱れた髪を直しながら、雪菜が驚いたように言う。
だが、風に誘われて踊るように舞う花びらたちの姿は、美しく降りそそぐ花の雪のように見えた。

「ふふ、なんだか、風に吹かれるのも悪くないですね」

嬉しそうに笑う雪菜に、そうだね、と蔵馬は頷き返す。

優しく舞い降りる雪のひとひらのように、
儚くて、愛らしくて、可憐なその花びらは、まさに彼女のようだと蔵馬は思った。

柔らかな微笑みが、心の奥底に降り積もって、いつまでも消えそうにないのだ。










6第4章