7.

義弟が夏休みに入り、蔵馬は家族で京都に旅行に来ていた。
蔵馬がひとり暮らしをするようになってから、家族と過ごす時間が減っていたが、
家族旅行には以前と変わらず定期的に行っていた。

一度、この姿を手離す覚悟をした。
けれど、それを雪菜に救われ、こうしてまだ秀一の姿でいられる。
雪菜を護るために下した決断だったのに、雪菜に命懸けで救われた。
そのことに、蔵馬は感謝してもしきれない思いだった。

京都の街を散策しながら、店先に飾られた土産物を見やる。
あるものに視線を奪われ、ふらりとその店に立ち寄った。
店先に飾られていたのは、硝子細工の髪飾りだった。
蔵馬はそのうちのひとつを手に取った。
そのかんざしは、桜色の硝子の花の中心にパールがあしらわれ、
ふたつの蒼い硝子の葉が添えられている。
淡く美しいその印象が、雪菜のミントブルーの髪に似合う気がした。
庇護の証であるブレスレットでさえ喜んでくれたのだから、
かんざしひとつでも、嬉しそうに笑ってくれる姿が想像できた。

「髪飾り?」
「…母さん」
「でも、どっちかっていうともうちょっと渋めの色がいいわ」
「…え?」
「あら? 母さんにじゃないの?」
「…違うよ」
「え…! じゃぁ、もしかして彼女?」
「…そうじゃないけど」
「違うの?」

なにやら楽しそうににやにやしている母親に、なんだか蔵馬はバツが悪い心地がした。

「秀一はなんでも自分のことは後回しだから、ちょっと心配してたのよ」
「…そうかな?」
「でも、好きな子ができたなら、母さん嬉しいわ」
「…! …好きな子っていうか………まぁ、そうなんだけど…」

認めた蔵馬に、志保利はあらと嬉しそうな顔をする。
これまで、彼女を連れてくるどころか、浮いた話さえ一切なかった息子の恋バナに、
母親は色めき立った。

「どんな子なの?」
「どんなって…」
「今度うちに連れて来てほしいわ」
「え…! いや、それは、まだ…」

珍しく照れたような顔を見せる息子に、志保利はくすくすと笑う。
蔵馬は諦めたように小さく溜め息をついた。

「…時期が来たら、ちゃんと紹介するよ」



*



「これ、京都のおみやげです」
「ありがとうございます!」

蔵馬が定番の生八ツ橋を手渡すと、雪菜はにこにこと受け取った。
桑原家のリビングで、蔵馬と雪菜はソファーに隣り合って座っていた。
周りには猫たちが思い思いの場所で寛いでいる。
蒼露の定期検診を受けているとはいえ、夏の暑さにあてられていないか心配で、
蔵馬は雪菜の様子を見に来たのだった。

「それから、これ」

そう言って、蔵馬はもうひとつの包みを差し出す。
綺麗な和柄の包装紙に包まれたものを、雪菜は不思議そうに受け取る。

「開けてもいいですか?」
「うん。雪菜ちゃんに似合いそうだと思って」

雪菜が丁寧に包みを開けると、中には桜色の花のかんざしが入っていた。
雪菜は驚いて蔵馬を見上げる。

「これ…わたしにですか…?」
「もちろん」
「こんな素敵なもの、いただいていいんですか…?」

遠慮がちに見上げる雪菜の視線に、蔵馬は笑いながら言った。

「雪菜ちゃんのために買ったから、もらってくれると嬉しい」
「…! はい、ありがとうございます…!」
「あ、でも、買ってから気付いたんだけど…
 最近あんまり着物着てないから、出番はないかな…」

苦笑する蔵馬に、雪菜はぶんぶんと首を振る。

「夏祭りで浴衣着るので、そのときに付けます!」
「あぁ、そっか、浴衣か…」
「すごく綺麗なかんざし、ありがとうございます…! 大事にします!」

にこにこと雪菜が嬉しそうに笑う。
その笑顔に、蔵馬はこちらまで嬉しくなってくるような心地がした。

「…今年は、誰かと行くの?」
「はい。和真さんと螢子さんとみんなで行こうって話をしてて…
 あ、あの、蔵馬さんも一緒に行きませんか……?」

おずおずと伺い見る雪菜の様子に、蔵馬は微笑を返す。

「ぜひ」
「! よかったです…! ふふ、楽しみですね」

にこにこと雪菜が嬉しそうに笑う。
蔵馬は本当はふたりだけで行きたかったが、雪菜が喜んでいる様子を見て、
一緒に行けるなら何でもいいかと思ったのだった。



*



7月の末。皿屋敷市のとある神社で、夏祭りが開催された。
地元の住民にとっては定番ともいえるお祭りで、たくさんの出店が並ぶ神社の境内には、
祭りを楽しみにしてきた人々で既に埋め尽くされていた。

「毎年のことながら、すごい人だぜ…」

神社の入り口で辺りを見渡しながら、幽助が溜め息交じりに呟く。
持参してきたうちわで自身を扇ぎながら、
花火があがるころにはもっと混むんだろうなと億劫な表情を見せた。

幽助と桑原は浴衣を着るのが面倒だといつものジーンズ姿だったが、
蔵馬と螢子と雪菜は浴衣に身を包んでいた。
蔵馬は濃紺の無地の浴衣に、群青に白い横縞の入った帯をしている。
螢子は白地に淡いブルーとグリーンの花があしらわれた浴衣に薄黄色の半幅帯、
雪菜は藍色に白や薄紫の大きな花が散りばめられた浴衣に赤紫の兵児帯をしていた。
ゆるく結われたミントブルーの髪には、蔵馬からもらった桜色のかんざしが付いている。

静流は美容院での着付けの仕事があるため、今日は不参加だった。

「雪菜ちゃん、浴衣可愛いね」
「…! あ、ありがとうございます…!
 あ、蔵馬さんにいただいたかんざし付けてみたんですけど…どうですか…?」
「うん、すごく似合ってる。可愛いですよ」

可愛いと連呼されて、雪菜はどぎまぎと視線を彷徨わせた。

「蔵馬さんも浴衣素敵ですね…! その…かっこいいです…!」
「ほんと? ありがとう」

にこりと蔵馬が笑う。雪菜は照れたようにはにかんだ。
ふたりのやり取りを幽助と螢子はにやにやしながら見ていたが、桑原は釈然としない想いだった。

蔵馬と雪菜が仲が良いことは知っていた。
だが、それは友人以上のものではないと思っていた。
思っていたのに。

穹鬼の事件で、蔵馬が雪菜を抱きしめたとき、そうではないことを知った。
雪菜の決意が恩返し以上のものであることも、
蔵馬の好意が保護者としての親切心以上であることも、
自覚せずにはいられなかったのだ。

「おっし、浦飯! 射的で勝負しようぜ!」
「あ? いいけどよ…じゃぁ、買った方がたこ焼きおごりな」

幽助は、勝負挑む相手違うんじゃ…と思いながらも、桑原とともに射的の屋台へと向かった。
またくだらない戦いが始まったと溜め息をつきながらも、螢子は勝負を見守ろうと後に続いた。
蔵馬と雪菜もそれに続いたが、射的の隣にあるヨーヨー釣りを見つけて、そちらをやることにした。
幽助と桑原の戦いは長くなりそうだな、と蔵馬は思ったのである。

「何色がいい?」
「えっと…じゃぁ、赤いのがいいです!」

蔵馬は難なく雪菜が指定したヨーヨーを釣って見せた。
はい、と手渡すと、雪菜は感嘆の表情を浮かべる。
雪菜は既に何度かチャレンジしたが、失敗してしまって取れなかったのだった。

蔵馬が取ってくれたヨーヨーを雪菜は嬉しそうに見つめる。
けれど、何日かしたら絞んじゃうのかな…としゅんとしてしまった。
残念そうにする姿が可愛すぎて、蔵馬が苦笑したのは言うまでもない。
ヨーヨーくらい、何個でもプレゼントしたい気分だった。

「…こうやってまた過ごせてよかった」
「え…?」
「雪菜ちゃんの傍にいられてよかった」
「…!」

ふわりと蔵馬が優しく微笑む。
その笑顔に、雪菜はしばらく呆然としていたが、はっとして、わたしもです、と小さく返した。

あの事件で、お互いの距離はさらに縮まった。
かけがえのない存在であることを認識できた。

けれど。
それが恋ではなく、信頼関係なのだとお互いがそう思っていた。



*



幽助と桑原の射的勝負は、幽助に軍配があがり、桑原は泣く泣くたこ焼きを奢る羽目になった。
そのあとは、焼きそばやかき氷を食べたり、輪投げやくじで遊んだりと、
みんなで夏祭りを満喫した。

時刻は19時に迫り、花火があがる時間が近づいていることを場内アナウンスが告げていた。
それが合図かのように、急に人通りが激しくなった。
花火がよく見える場所を求めて、人々が移動を始めたのである。

「やべ! 俺たちもそろそろ移動しねェと、いいとこ取られちまうんじゃねェか?」
「だな! 駐車場の近くが穴場なんだよな。急ごうぜ!」

そう言いながら一行は穴場の駐車場を目指して歩き始めたが、
よく見えるスポットとして王道である神社の傍の河川敷を目指す人々の波とは反対方向だった。

「雪菜さん、逸れないでくださいね!」
「はい…!」

桑原の言葉に雪菜は頷くが、人に道を譲ってしまう性分のせいで、
雪菜は徐々に桑原たちから離れてしまっていた。
先陣を切って道を拓こうとしている桑原は、そのことに気づいていない。
雪菜は懸命に付いて行こうとするが、人に押され、その勢いでヨーヨーを落としてしまった。
人に踏まれて、ぱしゃんっと水が零れる音がした。
あ、と雪菜がヨーヨーに気を取られて人波に流されそうになったとき、
強く掴む手に引き寄せられた。

「大丈夫?」
「! 蔵馬さん…!」

蔵馬は雪菜の手を繋いで引き寄せたまま、人波を避けようと神社の敷地の隅へと移動した。
木々に囲まれたその場所は、花火のことなど気にせず
涼んでいる人たちがぱらぱらといるだけだった。

「完全に逸れちゃったね」
「ごめんなさい、わたしのせいで…」
「ん、いや、それは全然、いいんだけど…」

蔵馬はそう言いながら、空を見上げた。
目線の先に辛うじて高い建物はなかったが、ここから花火が見えるのかは疑問だった。

「ヨーヨー、落としちゃいました…」
「え…?」
「せっかく取っていただいたのに…」

雪菜がしゅんとした様子でぽつりとつぶやいた。
蔵馬はその様子に、くすりと笑みをこぼす。

「そんなに落ち込まなくても、また取ってあげますよ」
「ほんとですか?」
「ええ。何個でも」
「ありがとうございます…!」

ぱぁっと嬉しそうな顔に変わったのを見て、なんだこの可愛い生き物はと蔵馬は思った。
ヨーヨーひとつでこんなに喜んでくれるなんて、可愛すぎるにもほどがある。

雪菜は蔵馬の言葉に喜んだのも束の間、
はたと、自分の右手が未だ蔵馬と繋がれたままであることに気づいた。
手を離す様子のない蔵馬に、雪菜は焦ったように蔵馬に視線を送る。
蔵馬がその視線に気づいた刹那、どんっと夜空に大輪が咲いた。

「あ、花火…!」
「よかった…ここからでも辛うじて見えるね」
「ほんとですね。綺麗…」

夏の夜空を彩る花火が、次々にあがっては消えていく。
咲いては散っていくその光景が、美しくもあり儚くもあった。
束の間の夢であるかのように、幻のようにさえ見えた。

まるで、今の自分が置かれている世界のようだ。

信頼で繋がっているのだとしても、ずっと傍にいられるわけではなくて。
今は、いろいろとあった後だから、こうして傍にいられるだけで。

いつか、この手を離さなければならないときが来る。

雪菜は花火を見上げたまま、繋がれた蔵馬の手を握り返して、きゅっと掴んだ。
その感触に、蔵馬が雪菜へと視線を向ける。
切なげに揺れる横顔を見て、蔵馬はぎょっとする。

「どうしたの?」
「……」
「大丈夫? 体調良くない?」

気遣う蔵馬の優しい声に、雪菜はふるふると首を横に振る。

「ごめんなさい、そうじゃなくて……」
「……?」
「…この手を……このままずっと、離してほしくないって思ってしまって……」
「…!」
「…そんなの…無理なのに……」

いつかは、この手から離れなければならない。
いつまでも縛ってはいられない。
心配をかけなくて済むように。世話を焼かなくても済むように。
いつかは、この隣から離れなければならない時が来るのだ。

蔵馬は雪菜の様子に少なからず動揺しながらも、握る手に力を込めて、雪菜を見つめた。

「…雪菜ちゃん」
「……」
「俺は、離す気はないよ」
「…!」
「言ったでしょ? ずっと閉じ込めておきたいって」

抱きしめたあのとき。
この腕の中に閉じ込めておきたいと思った。
大切にしまって、誰にも触れさせたくないと。

だから。
この手を振りほどかれない限り、離すつもりはない。

「………でも、そんなの……」

雪菜は逡巡の色を見せる。
蔵馬の真意を理解していない雪菜は、それがただの家族愛のようなものだと思っていた。
家族を気遣うのと同様に、自分のことも気遣ってくれているのだと。

そして、蔵馬もまた、雪菜が信頼と遠慮からこのようなことを言っているのだと思っていた。
ひとりで生きてきた彼女が、信頼できる拠り所として自分を選んでくれているのだと。

「ずっと傍にいるよ」
「…!」

雪菜は蔵馬を見つめ返して、しばらくの沈黙のあと、こくりと頷いて見せた。
それを見届けて、蔵馬は微笑を返してから、再び花火へと視線を向けた。
雪菜もそれに倣うように、空を見上げる。

美しい夜空の花が、いくつも咲いては散っていった。

握られた手が、本当は嬉しいはずなのに。
どきどきと鼓動が高鳴っているのに。

雪菜の心に切なさが増していった。










68